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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

親が注意を傾けているところに問題があるのかもしれない

今回もツバリ博士の本からの抜粋をカバーしたいと思います。

今回の抜粋は恐らく親である私達の根本的な人生に対する姿勢を考え直すことにつながるように思います。

 

”It's no surprise we fail to tune into our childeren's essense. How can we listen to them, when so many of us barely listen to ourselves?

How can we feel their spirit and hear the beat of their heart if we can't do this in our own life?”

 

私たち親が子供たちの本質に注意を傾けることに失敗しているのはまぎれもないことです。

でも、そもそも親が自分自身の本質に注意を傾けることなどほとんどないのにどうやって子供たちに対してそれができるのでしょうか。子供たちの魂の存在を感じ、彼らの心臓の鼓動(つまり彼らの本当の望み)を聞くことができるのでしょうか?親でさえ自分の人生でできていないのに。

 

”Life is to be experienced, not fought against, run from, or engaged halfheartedly. Though we may wish to make changes in the future, to be consious is to be with an experience as it's unfolding, rather than thinking about how we would like to change it.”

人生とは経験することが目的で、闘うことでもなく、逃げることでもなく、ぼんやりと生きることでもありません。あなたは将来起きる様々なことを今のうちに変えてしまうことを望んでいるかもしれませんが、「意識的に生きる」ということは、どうやって将来を変えたらいいのかと案を巡らせることではなく、今起きているこの経験と共に生きるということです。

 

どうでしたか?

つまり、

より簡単に言うなら、

 

親は子供の本質、つまり子供がどんな人なのか、または子供が本当に思っていることに気がついていないということです。そして親は常に将来起こるかもしれない、または起こらないかもしれない出来事を起こる前から心配しており、そのことで一喜一憂、右往左往しているのです。もし将来がこの分で行くと「まずいことになる」と感じるなら、起こる前にどうにかして手を打とうとします。

当然それで頭がいっぱいなのでこの瞬間起きていること、つまり子供の心の中を見る余裕がありません。それは親の心は何百マイルも先のところを見ているからです。

今耳を傾け、しっかり見ないといけないのは、先のことではなく、今目の前にいる我が子の声であり肉体の中に潜んでいる霊の姿なのです。変更は起きるかもしれない出来事の後にしたらいいのです。でも親は常に先回りをして肝心の今というこの瞬間をおろそかにしてしまうのです。

 

自分にもこれはとても当てはまります。

我が子は病気持ちか学習障害がありつまりどの子も健常児というグループには入っていませんでした。そのため常に心配が頭から抜けませんでした。

でも私の心配とはほとんどが「先の」心配でした。今がこれなら先はどうなっているのだろうか、という。当然その心配の理由は「改善する」という気持ちよりも「悪化する」という不安の方が強かったからです。将来など立証できないのにマイナスの方向ばかり見ていました。

だからそうならないために、それを食い止めるために、常に考え事で頭が一杯でした。

結果的に、我が子の成長を楽しめませんでした。

でも

自分の目の前にいたのは本当に一生懸命で清らかな心の子供達だったのです。

でも自分にはそれが見えない時が多々ありました。

 

勉強が苦手な次男においては、常に将来を案ずるばかりで心配が頭から抜けませんでした。

でも本人は自分のレベルで頑張っていたのです。それで充分だったのです。それなのに私は先のことを心配して「充分でない」息子にハッパをかけることをやめませんでした。

彼の悲しい心のうちに気がついていなかったわけではないのです。ただ心から「意識的」に生きていなかったのです。つまり「今」を生きていなかったのです。

そもそも、充分でないとは誰が決めたのでしょうか?一部は社会のせいで、他の一部は学校教育のせいであるかもしれません。でもその外部のプレッシャーに対抗しそれを完全に無視できなかった母である自分のせいが大きいと自覚しています。

そのままで充分であり、勉強は得意でなくても他に得意なことはありそちらだけ見ていればよかったのです。よその子供なんてどうでもいいのです。

よその子供と比べれば当然自分の子供が下に見えます。私は息子の涙に何を見ていたのでしょうか?かわいそうだと思っていましたた。でもそれよりも自分の心の中の落胆と不安に圧倒されていて彼の深い心のうちを汲んであげれなかったのです。

そしてずっと心配だけして子育てが終わってしまいました。

それを思うと、

後悔が頭を過ぎるばかりです。😭

 

だから今子育て中のお母様とお父様は、くれぐれも私の二の舞をしないでくださいね。

 

ドクダミママ至言

先のことをわずらうのではなくこの瞬間を生きること。

今の我が子の状態はそのままでよく、先のことを心配しても始まりません。

今を意識的に生きるとは、我が子のこの今の経験を分かちあうことです。そして今起きているいことに集中することです。それができるようになるには、まず親が自分の本質を理解しないといけないようです。

子供の態度や口から出てくる言葉は心とは異なることが多々あります。

だから外側に惑われずに、その心の深いところを見てあげなければいけないのだと思います。

言葉にならない心の叫びを聞いてあげないといけないのです。

 

その心とはなんでしょうか。

人間には肉体だけでなく霊があります。これを魂と呼ぶ人もいます。そして心と呼ぶ人もいます。

それが最も大切なのに、大人はその霊・魂・心を無視して「充分でない」とレッテルを貼ったりします。それは意味のないことで子供を傷つけるだけなのです。傷つけれた子供は頑固になるか退くかです。頑固になり自分の意見に固執する理由は自分の自尊心を守るためです。それは人は自尊心がなければ生きていくことができないからです。

退いてしまう子供は、一見大人しく見えますが心の中はわだかまりでいっぱいになっているはずです。それはいつか爆発という形で現ることが多いようです。

 

では、その解決法はあるのでしょうか。

今この瞬間を意識的に生きることが鍵の一つかもしれません。

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うちのニャン太ちゃん、ウトウト中。猫はいつも今を生きていますね。そして飼い主もこの瞬間のニャンタちゃんの可愛らしさだけに集中しています。先のことは全く心配してません。

それなのになんで我が子にはできないのかしら????