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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

母は貯水池

母業は貯水池(ダム)に似ている。

貯水池には水不足防止のために水が貯められている。

そして、そこから流れ出た水がそれを必要としている住民の用水として活用される仕組みだ。

 

母業も自分の中の貯水を使い子育てをする。

 

貯水は

つまり

精神的エネルギー及び

肉体的エネルギー

を指す。

 

毎日少しずつ使われ

時には大量に流れていくこともある。

これを長く続けていくとどうなるか。

干ばつが襲ってきたらどうなるか。

当然、貯水池は水が足らなくなっていく。

 

貯水池と母業はここまでは似ている。

違いは、

貯水池には(雨が降りさえすれば)新たな水が入ってくるが母の貯水池には滅多に入ってこないということである。

 

母は蓄えがもうほぼ底を尽きていることに既に気がついている。

でも、水つまりエネルギーを出さないなんてことは許されない。

だから無理やり出すしかない。

でも一体どこから?

貯水池自体、つまり母体を酷使して出すしかないのである。

 

こうなると体と精神は命の危機を感じることになる。

悲鳴をあげ始める。

 

ひえ〜!

勘弁してくれ〜!

と。

 

この体と精神の悲鳴は子供の前では「イライラ」や「怒り」や「落ち込み」となって現れることが多い。

こんな状態で子育てがスムーズにいくわけがない。

(そうや!そうや!)

 

だから貯水池には常に水を貯めておかないといけない。

母は自分の精神と肉体を満たすことをしないといけない。

エネルギーも充電しないといけない。

充電するには水が必要。

 

それは自己中心的な考えという人もいる。

わたしはそうは思わない。

限界を超えて生き延びることは不可能だからだ。

限界を超えれば、我が子に余裕で接することも不可能。

干からびた貯水池では、誰にも命の水を提供することはできないのだ。

適切な対応もできない。

 

だから自分の貯水池を満たすことが一番。

満たされた母が実は一番いい母になれる。

ボロボロの干からびた母ではない。

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補足:

巷ではボロボロで干からびた母こそが模範的で美徳のように言われてるケースも耳にするが(一体誰なの、そんなんを言うてる人は???)、

実は子供は輝いてる母好きや。

元気で明るい母こそが子供にもええ影響を与える。

 

そやさかい

子供大切なら

母は

輝く湖水のようにキラキラとして生きなあかんどすえ。

 

これ、ほんまどす。