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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

決断の時は今(わたし決断しました!)

今日は霧雨で底冷えがする秋。早速暖炉に火を灯した。
心の炎が鎮火しそうな時は人生の岐路に立たされている証拠。
一つの炎が消えても他の炎を点火すればいい。

最近大きな決断を下した。

世の中の事件もその決断に拍車をかけたのかもしれない。

 

まず露国のミカイル・ゴルバチョフ氏が8月30日に亡くなり、

英国のエリザベス女王が9月8日に亡くなった。

一つの時代が終わったのだ。

 

エリザベス女王は亡くなるほんの少し前に、

自分の子孫の繰り広げるさまざまな事件に翻弄され、かなり悲しんでおられたらしい。

A王子の件も然り、しかし一番気を揉んでいたのはやっぱりかわいい孫のH王子。

彼と彼の妻は王室を離れてからというもの王室のイメージに傷をつけ、その裏切り行為にかなり傷ついておられたらしい。

頼りになる伴侶もおらず、疲れ切っておられたことだろう。

 

実際なくなる直前にこの孫息子とその嫁のことをこぼしておられ、最後に

「もうどうでもいいわ」とだけ言って黙ってしまわれたということだ。

 

私も女王と同じ気持ちだ。

「もうどうでもいいわ」って毎日心の中で言っている。😅

 

こんなふうに誰にでも全てがどうでも良くなる時ってある。

 

私は子供を四人も育て

彼らの大学の学費も払い、

家のローンの支払いにも加担してきた。

 

優しいけど・・・・

甲斐性にどことなく欠け、競争心ゼロ、イマイチ生命力に欠ける夫の尻拭いも担当してきた。

 

家族のサポートにことごとく疲れた、と本当に感じている。

 

そしてエリザベス女王のように

「もうどうでもいい」と口ずさむようになってきた。

 

そしてこれから自分に残されている日数を認識し

ある決断をすることにした。

 

それは仕事を辞めること。

 

それを会社の一部の同僚に伝えるとみんな悲しがった。

会社や仕事に慣れるには時間がかかる。

やっと会社のやり方にも慣れ

そして去る、とは勿体無い感じもしないではない。

仕事もそこまで嫌いというわけではなかった。

ただ「魂が死んでいく・・・」とは感じていたけど・・・。😅

 

迷いながら、叫んでいる心の声に従うことにした。

 

ある日夫にこういうふうに尋ねた。

「残された人生を自分のために使ってもいいですか?」

夫は、(いつものようによく考えずに)「ああもちろんだよ」と答えた。

 

しかし

私が働かないと収入がかなり減ることになる。

それでも「もうどうでもいい」というふうにしか言えないほど心の炎が鎮火していたのだ。

 

犠牲の上に成り立っていた子育て。

それでも孫の顔が見れればそれでもいいと思っていたけど、これも望めそうにない。

それならしたかったけどずっと我慢していたことに余生を賭けたい。

子供たちは、母親がどんなに犠牲を払ってきたかを知っている。

でも、ありがとうの言葉はない。

「親への恩返し」とかそんな言葉も米国には存在しない。

だから我が子にも望めない。

 

今、彼らが言いたいことは、

「ママの望むような人間には所詮なれないから、その期待に応えられないから、

どうぞ自分の人生を満喫してください」らしい。

 

私がニコニコ笑って幸せにしている姿が見たいのだそうだ。

 

それでまだ退職する年齢ではないけど会社を辞めて他の仕事に集中することにした。

とりあえず会社への負担を減らすために会計年度末までパートで勤務を継続することにした。

これで来年度の増税に対応できる。

 

職場の人たちからは惜しまれて辞める。

事務と翻訳をやってきたけど、昨今は翻訳が主を占めていた。

それは社外には回せない類の翻訳業務だった。

 

このまま’なあなあ’で続けてもよかった。

それでも辞める。

 

同僚には「ええええ〜?辞めないで!」と言われたけど・・・それを振り切って辞める。

 

当然去るのは悲しい。

でも自分に素直に正直に生きると決心したのだ。

ちょっと遅いかもしれない。

でも最後にやっと素直になれる。

そのことに心が躍る。

 

なんだ最初からこうすればよかったのに・・・なんでしなかったのだろう、と思う。

 

ただ思うに、母親は最初からこういうふうに生きるって無理なのだと思う。

だからちょっと遅いけど今から自分に正直に生きる。

嫌なことには「嫌です」と言える人間にやっとなれる。

 

ほんのちょっとだけわがままに生きることを許してください。

 

「長い物には巻かれろ」人生は一見賢いようだけど、

終わりの時に後悔する生き方のように思える。

一つの時代が終わりを告げ、新しい時代に突入するように

勇気を振り絞って居心地のいいぬるま湯から抜け出る勇気。

その勇気を偉大な人物の死からいただいた。

 

ドクダミママ至言

人生の岐路に立たされる時

思い切って行動することには勇気が伴う。

失敗や後悔は想像するだけで怖いものだ。

他の人を失望させたり迷惑をかけることも嫌な気持ちだ。

でも周りの全ての人を失望させないなんてそんなの無理。

迷惑をかけないなんてことも無理なのだ。

自分を優先させようと思えば周りへの失望や迷惑なんてつきもの。

それが嫌で自分に嘘をついて生きることも人生。

諦める人生も人生。

ただそれを心から喜んでできるならそれは間違いではない。

そうできる人は立派な人でもある。

 

それでも・・・やっぱり・・・

やりたいことをやらないで諦める人生は後悔が多い。

 

余談:

最近、米国は0.75%の利上げが発表され、そんな時、露国の徴兵招集令が発布され、米国株は下落し、皆戦争の規模が拡大しどんな将来が待っているかと不安の面持ちで見守っている。

我が家の三男は陸軍の予備軍に所属しているけど、彼の所属するグループの多くは夏に既に出国していて赴任先は全員’NATO諸国だそう。😅

具体的にはドイツ、ポーランド、バルカン諸国。

息子の訓練はIT・サイバーセキュリティ関係だったけれど、その分野は人数が足りているので・・財務会計を担当されられている。そのため本部勤務で戦地に赴くことはまずない。さらに大学院在籍なのでますますその可能性が低くなったとか・・。

親は戦地赴任を恐れて入隊を反対していたけど、結局あの心配は無用だったよう。😅このように親の不安のほとんどは現実化したないことが多いとは本当のことだった。😅

 

しかし、我が子が戦地の近くに赴任している母はどんな気持ちだろうか。

きっと心配しているに違いない。

さらに我が子を殺戮の地に送るロシアやウクライナの母親たちの苦悩はどんなものだろうか、と思うとこちらまで心が痛んでくる。母は怪我や病気の多い息子の命を守るために一生懸命になって子育てに没頭する。でもそんなことはお構いなしに大人になれば戦地に送られて他国の母親の息子と殺し合いをすることになる。じゃあ、母の今までの努力はなんだったのか。人を殺すために、殺されるために育ててきたたのではない、と思っているに違いない。なんという時代か・・・。😰