2020-12-08 親は子供の結婚を反対すべきか? お悩み相談 地中海地方に多いオリーブの木は長寿で何千年も生きたりする。家族関係もこのオリーブの木の様ににずっと続き、幹が複雑に絡み合いながら強くなっていく。 結婚はこの木に新しい息吹と新しい生命を吹き込み家族が永遠に続いていくことを 可能にするもののようだ。 読者の方から質問が来ました。すでに簡単なアドバイスを差し上げましたが、これは多くの方に興味がある内容だと思いましたので、質問者から許可をとり、より詳細に取り上げさせていただくことにしました。 ミモザ様初めまして、28歳の男です。こんな場所でプライベートな悩みを晒すのはおかしいかもしれませんが、少し追い詰められる感じがしてきたので、書かせて頂きます。現在、母に彼女との結婚を大反対されています。彼女には問題が多く、結婚後苦労が絶えないとのことです。私も最初は盲目的な部分があり、指摘で初めて気付いた問題点はいくつもあります。母の勧めもあり、結婚は後回しでまず少しでも問題を改善できるよう彼女と動き始めました。しかし追撃は止まらず、あくまで彼女との関係を諦めさせようとしてきます。私にとって母の存在は、高く積み上がったタイルのかなり下にある1ピースであり、今の私にとっては、彼女もまた同じぐらいの重さを持つピースとなっています。そのことが母は我慢ならず、私がいかに親不孝か、彼女がどれだけ相応しくないかを説いてきます。母の予感はきっと当たっていて、ミモザ様のブログを読んでますます怒るのは当然と思いました。ですが、降り続ける小言ももうすぐ半年となり、少し心が疲れてきました。たまに黒い感情が湧いてしまうこともあり、余計に辛く感じます。何かヒントが欲しいと思って行き着いたのがこのブログでした。母とミモザ様の思想は驚くほど一致しています。私は自分で痛い目を見るまで考えを変えられそうにないと思っているのですが(なんとか回避するため出来る限りのことをやりたいですが)、母はこの件だけはどうしても譲れないようです。こんな時、私には何が出来るのでしょうか。 匿名 〜アドバイス〜 親の立場から見るなら 残念ながら、お母様の意見はもっとものような気がします。そしてどうにかして結婚を阻止したいその思いもごく普通だと思います。我が子の幸せを思う親ならそう思うものです。それは結婚は一時的なものではなく、長期戦だからです。それを理解されての意見だと思います。 また親というものは基本的に子供に苦労して欲しくないのです。そのため結婚後の貴方の苦労が見えるため阻止しようとしているのです。人生は自分から探しにいかなくとも困難がつきものです。だからこそ親は子に対する愛から、なるべく成功率が高い結婚を薦めているのではないでしょうか。 でもたとえどんなに条件が揃っていおり成功率の高そうな結婚でも大変なことはあります。だからワザワザそのような方と結婚しなくともいいのでは、というのがお母様の言われたいことなのだと思います。またお相手の方の問題がかなり深刻なら子供を育てることが難しくなっていきます。それは自分の問題で精一杯では他の人の世話をよくすることができないからです。息子の負担も大きくなるのでは、と、そういうこともお母様は心配されておられると思います。 またお母様が貴方のことを「親不孝者」と呼ばれる理由はこれです。親はその結婚により息子が苦労する姿が見えそのことにより不幸な気持ちになります。子供の不幸は親の不幸でもあるからです。親が子供により不幸と言うことは、息子が親を幸せにするように責任を果たさないことを意味し、だからお母様にとって息子が「親不孝者」ということになるのだと思います。 迷惑と思われるかもしれませんが、母の子に対する思いは強く、その犠牲が多ければ多いほど愛が深ければ深いほど子供の人生に介入しようとします。でもそのことを嫌がる子供側の意見ももっともなことです。 結婚 多くの人は大恋愛をして結婚にたどり着きそのあとは、終わりのない永遠の幸福、つまりハッピリエバーアフターを期待して疑いません。あたかも結婚式が交際の最終点でそれ自体が目的であるかのように。特に女性は幼い時から夢のような結婚式に憧れています。そして結婚式の感動がずっとその後も続くような錯覚を覚えるのです。けれども実は結婚式とはこれからの長い結婚生活の出発点でしかないのです。そして結婚とは全く異なる二人が協力し合って新しい家庭を築くことでもあります。 だから結婚は一生連れそう覚悟がないとだめです。その場合、お相手の方の長所や短所を全部ひっくるめて受け入れる覚悟が必要なのです。抜き取り方式は結婚ではあまり通用しないようです。 確かに、理想の結婚とは、恋に落ち結婚に至り、その後も互いに好きで好きでたまらなく日々恋に落ちながら一生涯を共に生きることです。 でも現実は違います。 結婚とは「約束」と「責任」です。 そして’どんなことがあっても’連れ添うという「決断」で「覚悟」なのです。 貴方は、お相手の方を妻として、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓えますか? これはキリスト教会での結婚式で新郎夫婦に向けられた誓いの問いですが、ほとんどの人は「はい」と答えます。「はい」といとも簡単に答えられる理由は、どのくらい病気になってどのくらいの悲しみが訪れて、どのくらい貧しくなり、どのくらい助けあい慰めあわないといけないか全く予測できていないからです。だから簡単に離婚するカップルは「ただ好き」だから結婚するわけで、結婚の深刻な現実を見ていないのです。いや、見ようとしていないのかも知れません。 結婚の深刻な現実つまり試練を共に協力して乗り越えることが理想ですが試練が大きすぎて不可能になる時もあります。こんな時は関係が揺らぎます。問題(自分の不幸)を相手にのせいにすることもあります。伴侶の対応にもどかしさや不満も感じます。よって、相手をこれ以上「敬えない」または「真心を尽くせない」ようになります。そして結婚したことを後悔し、このような気持ちが続くと結婚は簡単に壊れてしまいます。 人の本当の姿とは問題が起きたときに現れやすく、そのような時が関係がより強くなるか崩れるかの境目になります。 このような理由のため問題の少なさそうな結婚を親は薦めるのです。 恋と愛 愛というのは苦しみを共にする過程で育まれていくものです。つまり愛とは無条件なのです。 反対に恋は違います。 「恋」をしているときは「試練」とか「相手を敬う」とか、そういうことは考えないものです。なぜなら「恋」とは自己中心な感情で、恋人とは、”自分”を幸せな気分にしてくれる存在なのです。その反対に「愛」は相手を思いやる感情です。よくドラマなどで「君を愛している」と俳優がいう場面がありますが、これは「この異性がとても(感覚的に・動物的に)好き」ということで愛しているということではありません。愛とは実はもっと深いものなのです。 愛には自己犠牲が伴います。理想的な環境に置かれていなくとも愛する対象が立派でなくとも感じるものです。たとえどんなに喧嘩をしても怒っても本当の愛は消えないものです。これの一番いい例が親の子供に対する愛です。 でも、恋人は違います。若い夫婦も違います。 一緒に暮らしていて問題に遭遇し夫婦の片方がこの相手を思いやる「愛」に欠けているならこの結婚はいとも簡単に壊れてしまうでしょう。また一時は続いても、試練の深刻さによりこの「愛」がなくなっていくこともあります。耐えられなくなって終わりにしようとするでしょう。でも親子に終わりはないです。 ではなぜこの気持ちが男女間では続かないのでしょうか? それはこういうことかもしれません。 「結婚前は両目をしっかり開けて、でも結婚後は片目をつぶれ」 とよく言われておりますように、本当は結婚前は全てをよく観察しよく考えることが必要で結婚したら相手の欠点を無視できるくらいでないと結婚はうまくいきません。ところが、ほとんどの人はこれと反対のやり方をします。つまり、結婚前は両目を閉じ、結婚後は全開にします。そのため、結婚前はかすり傷くらいにしか見えなかった欠点が結婚後は一気に何百倍にも拡大して見えてきます。それが結婚生活をギクシャクさせる原因ともなり得ます。家族間の人間関係も複雑化してきます。 つまり恋は盲目ということです。それが結婚すると今まで盲目だったのが一気に目が開き視力がぐ〜んと上がるのです。 最初は相手を敬う気持ちがあり真心を尽くしたい気持ちがあるのですが、欠点が非常に大きく見えてきてとてもそんな気にはなれず結婚したことを後悔するようになるのです。 また結婚は自分たちが大人として自由意志を使って決断したことなので、失敗ならまたやり直せばいい、というような甘い考えがあり、また結婚に理想を掲げる嫌いもあります。 親子関係は大人になってから自分で選んだものではありません。ですから半分諦めの様のものがあります。だからこそ、自分の親の築いた家庭より完全でいい家庭を築きたいと理想的になるのです。でもそうならないのが普通です。 二人の不完全な人間が共に暮らしていくのだから完全になどなるわけがないのです。 好きで結婚しても壊れる結婚。 ということは、結婚はどんな出会いでもよく大恋愛でなくとも構わないのです。二人が仲良くやっていける前提が揃っていれば結婚は成功する確率が上がるのです。その前提とは共通点のことです。 共通点が多ければ多いほど成功率は上がります。 つまり 育った環境(文化的・宗教的環境や親の経済的・社会的立場が似ている) 教育レベル 経済観念 嗜好品に対する概念(酒、タバコなど) 子育てに対する姿勢 (アメリカでの離婚の原因は経済観念の違いと暴力が圧倒的に多い) 片方は外交的で片方は大人しい、というカップルは多いですがこういうのは問題にはならないようです。問題は人生に対する指針や信条です。これがかけ離れていると問題なのです。また様々な中毒や精神障害は離婚率が上がる原因です。 だからどんな方と結婚するかは大きな問題なのです。貴方の一生を左右するでしょう。 貴方のお相手の方への感情は「恋」でしょうか?それとも「愛」でしょうか? なぜその方と一生を共にされたいのでしょうか? どのような家庭を一緒に築かれたいのでしょうか? 嫁と姑(義理の家族と)の関係 昔から洋の違いを問わず、この問題は存在しています。お嫁さんがお姑さんと仲良くできなければ、お嫁さんがずっと苦しみます。だから気に入られてお嫁入りすることが望ましいのです。けれでも若いカップルは、結婚というものは二人の問題だからと、なにがなんでも遂行しようとします。 まず母親の息子に対する感情を見ていきたいと思います。 母親は女性で、息子は男性で、男性のとる「勇気のある決断」は女性である母親を怖がらせるきらいがあります。そのような傾向が息子の決断を阻止しようとする理由の一つでもあります。 さらに母親は息子の愛の対象となった女性をいとましく思うこともあります。息子の恋人は母親の競争相手です。だからその競争相手は母親の気にいる人でないと納得がいかないのです。息子にとって母親は最初に出会う異性で、息子は自立を阻む母親を嫌がることはあってもその母親に対する愛は消えることはないのです。二人の間には切ってもきれない深いつながりがあります。だから、突如現れた息子の相手は母親が気づかずして競争相手と映るのです。(特に一人息子の場合)競争に勝てる女性、つまり母親が可愛いと思う女性、立派だと思う女性なら、母親は許してくれるでしょう。それでも、ほとんどの場合は、母親にとってはどの女性もイマイチと映ります。それは可愛い息子にふさわしい女性が自分以外にいないと思っているからです。(自分も三男の嫁に対してそういう気持ちがありました。) まず家事、特に料理ができない女性は母親の目から見てマイナスです。母親は息子の相手に、栄養価の高い食事を食べさせて欲しいと望んでいます。つまり母に代わって息子の面倒をしっかりみて欲しいのです。それはどんなに時代が変わっても同じです。だから病気持ちや精神的に不安定なお相手の場合も母親は心配すると思います。 でもそれらは比較的マイナーな点で、もし明らかな問題がかなり重くそれも複数存在する場合はなかなか納得してはくれないでしょう。もし許してくれるとするならそれはさじを投げた時です。または課題は消えなくとも母親とお相手の方が仲良くなった時です。 女性は周りの人への感情移入の能力に優れています。だから懐の大きさがあるなら彼女の人間としての弱点を包み込むことが可能です。そうなれば、お母様はお二人の見方になってくれ、彼女の強いサポートにもなってくれるでしょう。 いずれにせよ、この嫁と姑、および義理の家族との問題はどの国でもまたどの時代にもよくあることです。 現在も この手の話が世にはたくさんあります。 1。メーガン妃とハリー王子の例。 シンデレラストーリーだったかもしれません。でも多くの人々はこの結婚が大変になると予測していました。英国王室は最初から反対していましたが、二人の決断が堅いことからメーガン妃を受け入れてあげるように努力をされたようです。それでもメーガン妃には十分ではなかったのです。人種の違いはもとより、国の文化の違いがあります。その上王室の文化というものがあります。メデイアのゴシップにも再悩ませれて、本当に苦しかったと察します。さらに彼女は自立した女性で自分の意見をハキハキというタイプです。そういう人が自分を殺して王室のルールに従うのは並大抵のことではないはずです。実は彼女は結婚前にその警告をもらっていたのです。それでも愛はすべてを克服できると信じ、この結婚に踏み切ったわけです。 予測通り、その現実は思ったよりも厳しく結果的に耐えられず王室を出る決心をしました。それで彼女にとっては万々歳だったかもしれません。でもハリー王子もそれに付き合わされ、英国の国民と自分の家族を去り自分の生まれ持った使命と責任を果たすか新しい自分の家族を取るかの間に挟まれ、悩みに悩んだ結果妻と我が子を優先させることにしたのです。それは果たして本当に幸せな判断だったのでしょうか。今も彼の中では葛藤が少なからずあることでしょう。それは彼の取った行動は女王と英国民に対する裏切り行為でもあるからです。妻は幸せでも彼の中の罪悪感は消えないと思います。そのため実家どころか自国にも威張っては里帰りができないようになってしまいました。メーガン妃も英国に戻る気はないでしょう。 2。我が家の次男の例 次男は恋人と付き合うこと3年、同棲生活2年、結婚生活1年、合計6年で破局を迎えようとしています。その理由は相手のアルコール依存症です。 同棲していたということは全てを理解して結婚したのです。そして当然周りの人は全員反対しました。それでも二人の決断は固かったので二人の好きなようにさせました。結婚後、嫁のアルコール依存症の問題は悪化し息子は自分の決断を後悔するようになりました。 息子が言うには、結婚とは「ただの紙」と人は言うかもしれないけれど、この「ただの紙」がものすごく重たく感じる、のだそうです。結婚することによって生じた彼の「別の人間の人生に責任がある」という立場に重苦しさを感じ、ずっと努力をしてきたけれど、もう出来そうもない、妻とのこれからの人生も全く見えないのだそうです。また彼女の問題に振り回されて自分の人生をないがしろにしてきたことを認めました。 貴方のお相手の方の問題が何かはわかりませんが、その問題が結婚とともに消えることはないでしょう。それどころが悪化することの方が確率として大きいかもしれません。もっともそれが何によるかですが。 嫁と私の関係は実は息子と私の関係よりはるかに良いです。その背景にはこんなことがあります。 最初は当然反対でした。理由はアルコール依存症からくる問題及び息子の人生への影響を懸念してのことです。貴方のお母様のように当然警告をあげました。それでもたとえ警告をあげても本人たちの意志が強かったので、彼らの決断を呑みました。結婚式は彼女の親は1ペニーも出してくれなかったので、わたしがささやかではありましたが全部準備をさせていただきました。それが私から彼女への「心から受け入れましょう」という証でした。 嫁はメキシコ人なので文化が違います。だから時々、あれ?と思うことはありますが、自分も人種差別や文化差別された側なので嫁に同じことをすることだけは止めようと思いました。 理想的ではない結婚ですが、自分の個人的な意見は横に置いておいて、私の方はありのままの嫁を受け入れ、人間としての弱さを備えている彼女を支えてあげようと努力を続けました。問題ありの女性という目で彼女を見るのではなく、一生懸命努力をしている立派な女性という目で見てあげることにしたのです。ものすごく優秀な女性ですが自信に欠ける部分もあったので、彼女の自尊心が上がるように、すべてを包み込み理解を持って接することにより本人も義理の親に対し心を開いてくれて、今の関係があります。嫁はわたしたちのことをパパとママと呼んでくれて実の親のように慕ってくれています。私たちにとってもかわいい娘がもう一人増えたと感じています。 アルコール依存症の問題は無くなってはいませんが、嫁が何を言っても許される環境とサポート体制は崩していません。現在離婚の問題がありますが、たとえ離婚になっても私たちは友達のままでいましょう、と言ってあります。 お母様も彼女を息子の妻候補ではなく競争相手でもなく、息子を愛してくれる女性で一人の弱点を持つ人間であっても頑張っている女性として見るべきで、わが娘のように受け入れることが理想です。 さらに彼女を慈愛で包み込まれるなら彼女もお母様を信頼していけると思います。彼女の問題も軽減するかもしれません。 つまり姑と嫁の間に良い関係が築けなければ、たとえ結婚できたとしても大変だと思います。ただ今はそんなに良くなくとも改善はあり得るので両者の歩み寄りの姿勢はおおいに意味があるはずです。。 3。自分の例 わたしは20代の時にアメリカに留学し同じ大学で知り合った男性と結婚しました。私の方は大丈夫でも夫の家族からの大反対に遭いました。国際結婚という理由ではなく、人種差別です。一族全員ほぼ白人至上主義者でした。今はかなりオープンになりましたが、彼らには当初大変なショックだったと思います。 そのため夫は妻と家族の関係がうまくいくように間に入り努力をするようにしました。それでも彼らの差別の目が怖く、私は彼らを意識して避けるようになりました。その後、関係も互いへの理解もあまり改善する様子は見られないうちに東部に引越しとなり、ますます疎遠になりました。もちろんアメリカというお国柄、人間関係は日本に比べてそこまでドロドロしている感じはありません。それに舅も姑もわたしを受け入れるようそれなりの努力をしてくれました。息子は良い妻を娶ったとも舅は言ってくれていました。だから義理の両親との関係は特に悪いという感じではなかったのですが、特にいいというわけでもなかったのです。ただ互いのバウンドリーに踏み込まないように礼儀を尽くすようには努力していました。でも互いに理解しあえる仲良しには発展しませんでした。口には出したことはないですが、夫の両親は可愛い息子をわけのわからない外国人の女性に盗まれてしまったと思っていたと思います。 そのため、我が家の子供たちは祖父母との思い出があまりありません。 もちろん夫の仕事の関係で、距離的にかなりかけ離れたところに住んでいて滅多に会いに行けないという理由もありました。 やはり子供たちに祖父母は必要だと思います。子育ては二人でするものではなくて祖父母に入ってもらう方が楽だと思います。親戚や祖父母に囲まれて暮らしている子供たちはサポートシステムがしっかりしていて核家族より遥かに幸せだと思います。 だから今更ですが、子供たちに祖父母との思い出があまりないことをすまなく思っているのです。大きな家族という単位の威力や家族間の強い結束は二世代だけで子供たちに感じさせてあげれるものではありません。子供が真っ直ぐに育つには帰属意識が必要です。また祖父母や親戚の無条件の愛が必要なのです。それは若く経験不足の親ができないところを補ってくれるものだからです。 あなたの家にあなたのお相手の方は入っていかないといけないのです。それはよくよく考えられた方がいいと思います。二人は今は良くてものちに彼女の方が後悔をすることもあると考えられます。 自分も、あの時は若かったので先のことは心配しませんでした。とにかく一緒にいたいというその気持ちだけで結婚したのです。 今は夫の両親は亡くなったのであまり関係がどうのというのはないですし、なんとなく夫婦睦まじく生活しています。でも、 もし若い頃に戻ってこの結婚を進めるかというと、たとえどんなに夫を愛していてもしないかもしれません。それは義理の親戚との関係以外に遺伝子的な要因もあげられます。 そして娘には、気に入ってもらって全面的に受け入れてくれる家にお嫁に行くようにと助言しています。こんな時代に「お嫁入り」などと、それもアメリカで言っているなんて古臭いと思われる方もいるでしょう。でもこれは場所や時代を越えた「現実」で、なくなることはないでしょう。そしてこれにつきまとう課題もなくならないでしょう。 お嫁入り先とうまくいかないと夫との関係もギクシャクしてしまい、自分だけでなく夫を苦しめることになるのです。 4。義弟の例 義弟の結婚はよく言えば「おめでた婚」悪く言えば「できちゃった婚」で義母は頭を抱えていました。理由は子供ができてしまったこと自体ではなく、「家柄の違い」「学歴の違い」「新婦の性格」などですが、他にもたくさんあったようです。とにかく気に入らない。それだけです。簡単に言うなら、ケミストリーの違いで、互いに「嫌いなタイプ」でした。義母から見ると「息子がたぶらかされた」ことで怒っていたのです。でも結局子供もできてしまったし今更引き返せないので結婚を許しました。その後義母はそれなりに義妹を受け入れる努力はしていました。 それでも義妹は自分が当初の「受け入れられていない」という気持ちをずっとひきずっており義母をことごとく嫌っていました。義母により「何をやってもダメな女性」と常に裁かれていたと感じていたようです。 二人の関係は結局「当たらず触らず」という状態に陥り、今に至っているのですが、それでも義母と義妹が同じ部屋にいると「ピリピリ」とした空気が感じられます。 結局この結婚が良かったのか悪かったのか、今となってはなんとも言えません。 二人はおしどり夫婦なのでそれは幸せなことです。それでも義弟は母親と妻の間に入って長年にわたり大変だったようです。 親側へのアドバイス 端的に申しますと、 親には子供の結婚に対し警告し懸念の旨を伝える権利は充分にあります。 でも決定する権利はないかもしれません。 親子と言えど、親は成人した子供の自由意志を取り上げ、彼の代わりに決断を下す権利は、現代にはないのです。 影響を及ぼしたいのはわかります。でも究極的な決断権は本人にあります。 確かに我が子を愛するが故に意見を言うのですが、しつこく言ってもあまり効果はないだけでなく、親子関係をこじらせる原因となりかねません。 でも親は我が子が自分の意見を考慮してくれないので、無視されていると感じ、また敬意が払われていないと感じるでしょう。子供は子供で、大人としての権利を尊重してくれない親がうるさくいとましく感じるでしょう。 その結果、互いに自分の意見を引くことはないので統一見解にも至ることはなく、片方が我慢をして一方の決断を呑むことが結果として現れることが多いようです。つまり頑固な方が勝つ!ということです。 それで負けた方が諦めることで一件落着ならいいいのですが、相手の決断を呑んだとしても、そうそう簡単に心の中が変わるわけがありません。いつまでも嫌な気持ちを引きずったりもあります。 なかなか難しいケースだと思いますが、ご子息も大人ですし、祈るような気持ちで彼の決断を見守られることをお勧めします。 最後に 家族関係こそドロドロして醜いものです。 親も子も互いに、自分の思いや荒れる感情を一旦横に置いて冷静に対応されることが必要かと思います。その心理的距離には、時間的距離と地理的距離が役に立つかと思います。 結論として申します。 結婚は可能です。 でも条件があります。 1。二人の結婚の意志が固いこと。 2。問題解決における進行状態をお母様に提示できる。 3。お母様を説き伏せることができるほどの努力の成果がある。 4。どんな難航もいとわないほどの覚悟があり、二人で試練を乗り切る意志が強固。 どんな決断をされても自分の決断に責任を持たれるならいいと思います。そして理路整然と考えられた上で、長い目で見て決断されることをお薦めします。 結婚は完全な二人が一緒になることではなくて不完全な二人が二人三脚で理想的な人生を築き上げるように努力する人生のことを意味します。この人だったらどんなに辛いことでも耐え忍べるかどうか自分の胸に手を置いて考えるとよろしいと思います。 その答えが「イエス」なら進むべきで、悩むばかりで決断できないようなら「ノー」です。 自分とお相手の方の幸せを取るか、お母様の幸せを取るかの間に立たされ、今大変苦しいと思いますが、頑張って乗り越えてください。 もし何があっても結婚すると既に決められているなら時間がかかってもいいのでお母様を納得させてからにしてくださいね。しばらくその結婚の話はしない方がいいかもしれません。 私の息子たちは全員親の意見は無視して相手を選びました。嫌われたくないので親はさっさと降伏しました。だから貴方のように真剣に悩んでくれるような息子さんをもったお母様が羨ましいです。😅
ミモザ様初めまして、28歳の男です。こんな場所でプライベートな悩みを晒すのはおかしいかもしれませんが、少し追い詰められる感じがしてきたので、書かせて頂きます。
現在、母に彼女との結婚を大反対されています。彼女には問題が多く、結婚後苦労が絶えないとのことです。私も最初は盲目的な部分があり、指摘で初めて気付いた問題点はいくつもあります。母の勧めもあり、結婚は後回しでまず少しでも問題を改善できるよう彼女と動き始めました。しかし追撃は止まらず、あくまで彼女との関係を諦めさせようとしてきます。
私にとって母の存在は、高く積み上がったタイルのかなり下にある1ピースであり、今の私にとっては、彼女もまた同じぐらいの重さを持つピースとなっています。そのことが母は我慢ならず、私がいかに親不孝か、彼女がどれだけ相応しくないかを説いてきます。母の予感はきっと当たっていて、ミモザ様のブログを読んでますます怒るのは当然と思いました。ですが、降り続ける小言ももうすぐ半年となり、少し心が疲れてきました。たまに黒い感情が湧いてしまうこともあり、余計に辛く感じます。
何かヒントが欲しいと思って行き着いたのがこのブログでした。母とミモザ様の思想は驚くほど一致しています。私は自分で痛い目を見るまで考えを変えられそうにないと思っているのですが(なんとか回避するため出来る限りのことをやりたいですが)、母はこの件だけはどうしても譲れないようです。こんな時、私には何が出来るのでしょうか。
匿名
〜アドバイス〜
親の立場から見るなら
残念ながら、お母様の意見はもっとものような気がします。そしてどうにかして結婚を阻止したいその思いもごく普通だと思います。我が子の幸せを思う親ならそう思うものです。それは結婚は一時的なものではなく、長期戦だからです。それを理解されての意見だと思います。
また親というものは基本的に子供に苦労して欲しくないのです。そのため結婚後の貴方の苦労が見えるため阻止しようとしているのです。人生は自分から探しにいかなくとも困難がつきものです。だからこそ親は子に対する愛から、なるべく成功率が高い結婚を薦めているのではないでしょうか。
でもたとえどんなに条件が揃っていおり成功率の高そうな結婚でも大変なことはあります。だからワザワザそのような方と結婚しなくともいいのでは、というのがお母様の言われたいことなのだと思います。またお相手の方の問題がかなり深刻なら子供を育てることが難しくなっていきます。それは自分の問題で精一杯では他の人の世話をよくすることができないからです。息子の負担も大きくなるのでは、と、そういうこともお母様は心配されておられると思います。
またお母様が貴方のことを「親不孝者」と呼ばれる理由はこれです。親はその結婚により息子が苦労する姿が見えそのことにより不幸な気持ちになります。子供の不幸は親の不幸でもあるからです。親が子供により不幸と言うことは、息子が親を幸せにするように責任を果たさないことを意味し、だからお母様にとって息子が「親不孝者」ということになるのだと思います。
迷惑と思われるかもしれませんが、母の子に対する思いは強く、その犠牲が多ければ多いほど愛が深ければ深いほど子供の人生に介入しようとします。でもそのことを嫌がる子供側の意見ももっともなことです。
結婚
多くの人は大恋愛をして結婚にたどり着きそのあとは、終わりのない永遠の幸福、つまりハッピリエバーアフターを期待して疑いません。あたかも結婚式が交際の最終点でそれ自体が目的であるかのように。特に女性は幼い時から夢のような結婚式に憧れています。そして結婚式の感動がずっとその後も続くような錯覚を覚えるのです。けれども実は結婚式とはこれからの長い結婚生活の出発点でしかないのです。そして結婚とは全く異なる二人が協力し合って新しい家庭を築くことでもあります。
だから結婚は一生連れそう覚悟がないとだめです。その場合、お相手の方の長所や短所を全部ひっくるめて受け入れる覚悟が必要なのです。抜き取り方式は結婚ではあまり通用しないようです。
確かに、理想の結婚とは、恋に落ち結婚に至り、その後も互いに好きで好きでたまらなく日々恋に落ちながら一生涯を共に生きることです。
でも現実は違います。
結婚とは「約束」と「責任」です。
そして’どんなことがあっても’連れ添うという「決断」で「覚悟」なのです。
貴方は、お相手の方を妻として、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓えますか?
これはキリスト教会での結婚式で新郎夫婦に向けられた誓いの問いですが、ほとんどの人は「はい」と答えます。「はい」といとも簡単に答えられる理由は、どのくらい病気になってどのくらいの悲しみが訪れて、どのくらい貧しくなり、どのくらい助けあい慰めあわないといけないか全く予測できていないからです。だから簡単に離婚するカップルは「ただ好き」だから結婚するわけで、結婚の深刻な現実を見ていないのです。いや、見ようとしていないのかも知れません。
結婚の深刻な現実つまり試練を共に協力して乗り越えることが理想ですが試練が大きすぎて不可能になる時もあります。こんな時は関係が揺らぎます。問題(自分の不幸)を相手にのせいにすることもあります。伴侶の対応にもどかしさや不満も感じます。よって、相手をこれ以上「敬えない」または「真心を尽くせない」ようになります。そして結婚したことを後悔し、このような気持ちが続くと結婚は簡単に壊れてしまいます。
人の本当の姿とは問題が起きたときに現れやすく、そのような時が関係がより強くなるか崩れるかの境目になります。
このような理由のため問題の少なさそうな結婚を親は薦めるのです。
恋と愛
愛というのは苦しみを共にする過程で育まれていくものです。つまり愛とは無条件なのです。
反対に恋は違います。
「恋」をしているときは「試練」とか「相手を敬う」とか、そういうことは考えないものです。なぜなら「恋」とは自己中心な感情で、恋人とは、”自分”を幸せな気分にしてくれる存在なのです。その反対に「愛」は相手を思いやる感情です。よくドラマなどで「君を愛している」と俳優がいう場面がありますが、これは「この異性がとても(感覚的に・動物的に)好き」ということで愛しているということではありません。愛とは実はもっと深いものなのです。
愛には自己犠牲が伴います。理想的な環境に置かれていなくとも愛する対象が立派でなくとも感じるものです。たとえどんなに喧嘩をしても怒っても本当の愛は消えないものです。これの一番いい例が親の子供に対する愛です。
でも、恋人は違います。若い夫婦も違います。
一緒に暮らしていて問題に遭遇し夫婦の片方がこの相手を思いやる「愛」に欠けているならこの結婚はいとも簡単に壊れてしまうでしょう。また一時は続いても、試練の深刻さによりこの「愛」がなくなっていくこともあります。耐えられなくなって終わりにしようとするでしょう。でも親子に終わりはないです。
ではなぜこの気持ちが男女間では続かないのでしょうか?
それはこういうことかもしれません。
「結婚前は両目をしっかり開けて、でも結婚後は片目をつぶれ」
とよく言われておりますように、本当は結婚前は全てをよく観察しよく考えることが必要で結婚したら相手の欠点を無視できるくらいでないと結婚はうまくいきません。ところが、ほとんどの人はこれと反対のやり方をします。つまり、結婚前は両目を閉じ、結婚後は全開にします。そのため、結婚前はかすり傷くらいにしか見えなかった欠点が結婚後は一気に何百倍にも拡大して見えてきます。それが結婚生活をギクシャクさせる原因ともなり得ます。家族間の人間関係も複雑化してきます。
つまり恋は盲目ということです。それが結婚すると今まで盲目だったのが一気に目が開き視力がぐ〜んと上がるのです。
最初は相手を敬う気持ちがあり真心を尽くしたい気持ちがあるのですが、欠点が非常に大きく見えてきてとてもそんな気にはなれず結婚したことを後悔するようになるのです。
また結婚は自分たちが大人として自由意志を使って決断したことなので、失敗ならまたやり直せばいい、というような甘い考えがあり、また結婚に理想を掲げる嫌いもあります。
親子関係は大人になってから自分で選んだものではありません。ですから半分諦めの様のものがあります。だからこそ、自分の親の築いた家庭より完全でいい家庭を築きたいと理想的になるのです。でもそうならないのが普通です。
二人の不完全な人間が共に暮らしていくのだから完全になどなるわけがないのです。
好きで結婚しても壊れる結婚。
ということは、結婚はどんな出会いでもよく大恋愛でなくとも構わないのです。二人が仲良くやっていける前提が揃っていれば結婚は成功する確率が上がるのです。その前提とは共通点のことです。
共通点が多ければ多いほど成功率は上がります。
つまり
育った環境(文化的・宗教的環境や親の経済的・社会的立場が似ている)
教育レベル
経済観念
嗜好品に対する概念(酒、タバコなど)
子育てに対する姿勢
(アメリカでの離婚の原因は経済観念の違いと暴力が圧倒的に多い)
片方は外交的で片方は大人しい、というカップルは多いですがこういうのは問題にはならないようです。問題は人生に対する指針や信条です。これがかけ離れていると問題なのです。また様々な中毒や精神障害は離婚率が上がる原因です。
だからどんな方と結婚するかは大きな問題なのです。貴方の一生を左右するでしょう。
貴方のお相手の方への感情は「恋」でしょうか?それとも「愛」でしょうか?
なぜその方と一生を共にされたいのでしょうか?
どのような家庭を一緒に築かれたいのでしょうか?
嫁と姑(義理の家族と)の関係
昔から洋の違いを問わず、この問題は存在しています。お嫁さんがお姑さんと仲良くできなければ、お嫁さんがずっと苦しみます。だから気に入られてお嫁入りすることが望ましいのです。けれでも若いカップルは、結婚というものは二人の問題だからと、なにがなんでも遂行しようとします。
まず母親の息子に対する感情を見ていきたいと思います。
母親は女性で、息子は男性で、男性のとる「勇気のある決断」は女性である母親を怖がらせるきらいがあります。そのような傾向が息子の決断を阻止しようとする理由の一つでもあります。
さらに母親は息子の愛の対象となった女性をいとましく思うこともあります。息子の恋人は母親の競争相手です。だからその競争相手は母親の気にいる人でないと納得がいかないのです。息子にとって母親は最初に出会う異性で、息子は自立を阻む母親を嫌がることはあってもその母親に対する愛は消えることはないのです。二人の間には切ってもきれない深いつながりがあります。だから、突如現れた息子の相手は母親が気づかずして競争相手と映るのです。(特に一人息子の場合)競争に勝てる女性、つまり母親が可愛いと思う女性、立派だと思う女性なら、母親は許してくれるでしょう。それでも、ほとんどの場合は、母親にとってはどの女性もイマイチと映ります。それは可愛い息子にふさわしい女性が自分以外にいないと思っているからです。(自分も三男の嫁に対してそういう気持ちがありました。)
まず家事、特に料理ができない女性は母親の目から見てマイナスです。母親は息子の相手に、栄養価の高い食事を食べさせて欲しいと望んでいます。つまり母に代わって息子の面倒をしっかりみて欲しいのです。それはどんなに時代が変わっても同じです。だから病気持ちや精神的に不安定なお相手の場合も母親は心配すると思います。
でもそれらは比較的マイナーな点で、もし明らかな問題がかなり重くそれも複数存在する場合はなかなか納得してはくれないでしょう。もし許してくれるとするならそれはさじを投げた時です。または課題は消えなくとも母親とお相手の方が仲良くなった時です。
女性は周りの人への感情移入の能力に優れています。だから懐の大きさがあるなら彼女の人間としての弱点を包み込むことが可能です。そうなれば、お母様はお二人の見方になってくれ、彼女の強いサポートにもなってくれるでしょう。
いずれにせよ、この嫁と姑、および義理の家族との問題はどの国でもまたどの時代にもよくあることです。
現在も この手の話が世にはたくさんあります。
1。メーガン妃とハリー王子の例。
シンデレラストーリーだったかもしれません。でも多くの人々はこの結婚が大変になると予測していました。英国王室は最初から反対していましたが、二人の決断が堅いことからメーガン妃を受け入れてあげるように努力をされたようです。それでもメーガン妃には十分ではなかったのです。人種の違いはもとより、国の文化の違いがあります。その上王室の文化というものがあります。メデイアのゴシップにも再悩ませれて、本当に苦しかったと察します。さらに彼女は自立した女性で自分の意見をハキハキというタイプです。そういう人が自分を殺して王室のルールに従うのは並大抵のことではないはずです。実は彼女は結婚前にその警告をもらっていたのです。それでも愛はすべてを克服できると信じ、この結婚に踏み切ったわけです。
予測通り、その現実は思ったよりも厳しく結果的に耐えられず王室を出る決心をしました。それで彼女にとっては万々歳だったかもしれません。でもハリー王子もそれに付き合わされ、英国の国民と自分の家族を去り自分の生まれ持った使命と責任を果たすか新しい自分の家族を取るかの間に挟まれ、悩みに悩んだ結果妻と我が子を優先させることにしたのです。それは果たして本当に幸せな判断だったのでしょうか。今も彼の中では葛藤が少なからずあることでしょう。それは彼の取った行動は女王と英国民に対する裏切り行為でもあるからです。妻は幸せでも彼の中の罪悪感は消えないと思います。そのため実家どころか自国にも威張っては里帰りができないようになってしまいました。メーガン妃も英国に戻る気はないでしょう。
2。我が家の次男の例
次男は恋人と付き合うこと3年、同棲生活2年、結婚生活1年、合計6年で破局を迎えようとしています。その理由は相手のアルコール依存症です。
同棲していたということは全てを理解して結婚したのです。そして当然周りの人は全員反対しました。それでも二人の決断は固かったので二人の好きなようにさせました。結婚後、嫁のアルコール依存症の問題は悪化し息子は自分の決断を後悔するようになりました。
息子が言うには、結婚とは「ただの紙」と人は言うかもしれないけれど、この「ただの紙」がものすごく重たく感じる、のだそうです。結婚することによって生じた彼の「別の人間の人生に責任がある」という立場に重苦しさを感じ、ずっと努力をしてきたけれど、もう出来そうもない、妻とのこれからの人生も全く見えないのだそうです。また彼女の問題に振り回されて自分の人生をないがしろにしてきたことを認めました。
貴方のお相手の方の問題が何かはわかりませんが、その問題が結婚とともに消えることはないでしょう。それどころが悪化することの方が確率として大きいかもしれません。もっともそれが何によるかですが。
嫁と私の関係は実は息子と私の関係よりはるかに良いです。その背景にはこんなことがあります。
最初は当然反対でした。理由はアルコール依存症からくる問題及び息子の人生への影響を懸念してのことです。貴方のお母様のように当然警告をあげました。それでもたとえ警告をあげても本人たちの意志が強かったので、彼らの決断を呑みました。結婚式は彼女の親は1ペニーも出してくれなかったので、わたしがささやかではありましたが全部準備をさせていただきました。それが私から彼女への「心から受け入れましょう」という証でした。
嫁はメキシコ人なので文化が違います。だから時々、あれ?と思うことはありますが、自分も人種差別や文化差別された側なので嫁に同じことをすることだけは止めようと思いました。
理想的ではない結婚ですが、自分の個人的な意見は横に置いておいて、私の方はありのままの嫁を受け入れ、人間としての弱さを備えている彼女を支えてあげようと努力を続けました。問題ありの女性という目で彼女を見るのではなく、一生懸命努力をしている立派な女性という目で見てあげることにしたのです。ものすごく優秀な女性ですが自信に欠ける部分もあったので、彼女の自尊心が上がるように、すべてを包み込み理解を持って接することにより本人も義理の親に対し心を開いてくれて、今の関係があります。嫁はわたしたちのことをパパとママと呼んでくれて実の親のように慕ってくれています。私たちにとってもかわいい娘がもう一人増えたと感じています。
アルコール依存症の問題は無くなってはいませんが、嫁が何を言っても許される環境とサポート体制は崩していません。現在離婚の問題がありますが、たとえ離婚になっても私たちは友達のままでいましょう、と言ってあります。
お母様も彼女を息子の妻候補ではなく競争相手でもなく、息子を愛してくれる女性で一人の弱点を持つ人間であっても頑張っている女性として見るべきで、わが娘のように受け入れることが理想です。
さらに彼女を慈愛で包み込まれるなら彼女もお母様を信頼していけると思います。彼女の問題も軽減するかもしれません。
つまり姑と嫁の間に良い関係が築けなければ、たとえ結婚できたとしても大変だと思います。ただ今はそんなに良くなくとも改善はあり得るので両者の歩み寄りの姿勢はおおいに意味があるはずです。。
3。自分の例
わたしは20代の時にアメリカに留学し同じ大学で知り合った男性と結婚しました。私の方は大丈夫でも夫の家族からの大反対に遭いました。国際結婚という理由ではなく、人種差別です。一族全員ほぼ白人至上主義者でした。今はかなりオープンになりましたが、彼らには当初大変なショックだったと思います。
そのため夫は妻と家族の関係がうまくいくように間に入り努力をするようにしました。それでも彼らの差別の目が怖く、私は彼らを意識して避けるようになりました。その後、関係も互いへの理解もあまり改善する様子は見られないうちに東部に引越しとなり、ますます疎遠になりました。もちろんアメリカというお国柄、人間関係は日本に比べてそこまでドロドロしている感じはありません。それに舅も姑もわたしを受け入れるようそれなりの努力をしてくれました。息子は良い妻を娶ったとも舅は言ってくれていました。だから義理の両親との関係は特に悪いという感じではなかったのですが、特にいいというわけでもなかったのです。ただ互いのバウンドリーに踏み込まないように礼儀を尽くすようには努力していました。でも互いに理解しあえる仲良しには発展しませんでした。口には出したことはないですが、夫の両親は可愛い息子をわけのわからない外国人の女性に盗まれてしまったと思っていたと思います。
そのため、我が家の子供たちは祖父母との思い出があまりありません。
もちろん夫の仕事の関係で、距離的にかなりかけ離れたところに住んでいて滅多に会いに行けないという理由もありました。
やはり子供たちに祖父母は必要だと思います。子育ては二人でするものではなくて祖父母に入ってもらう方が楽だと思います。親戚や祖父母に囲まれて暮らしている子供たちはサポートシステムがしっかりしていて核家族より遥かに幸せだと思います。
だから今更ですが、子供たちに祖父母との思い出があまりないことをすまなく思っているのです。大きな家族という単位の威力や家族間の強い結束は二世代だけで子供たちに感じさせてあげれるものではありません。子供が真っ直ぐに育つには帰属意識が必要です。また祖父母や親戚の無条件の愛が必要なのです。それは若く経験不足の親ができないところを補ってくれるものだからです。
あなたの家にあなたのお相手の方は入っていかないといけないのです。それはよくよく考えられた方がいいと思います。二人は今は良くてものちに彼女の方が後悔をすることもあると考えられます。
自分も、あの時は若かったので先のことは心配しませんでした。とにかく一緒にいたいというその気持ちだけで結婚したのです。
今は夫の両親は亡くなったのであまり関係がどうのというのはないですし、なんとなく夫婦睦まじく生活しています。でも、
もし若い頃に戻ってこの結婚を進めるかというと、たとえどんなに夫を愛していてもしないかもしれません。それは義理の親戚との関係以外に遺伝子的な要因もあげられます。
そして娘には、気に入ってもらって全面的に受け入れてくれる家にお嫁に行くようにと助言しています。こんな時代に「お嫁入り」などと、それもアメリカで言っているなんて古臭いと思われる方もいるでしょう。でもこれは場所や時代を越えた「現実」で、なくなることはないでしょう。そしてこれにつきまとう課題もなくならないでしょう。
お嫁入り先とうまくいかないと夫との関係もギクシャクしてしまい、自分だけでなく夫を苦しめることになるのです。
4。義弟の例
義弟の結婚はよく言えば「おめでた婚」悪く言えば「できちゃった婚」で義母は頭を抱えていました。理由は子供ができてしまったこと自体ではなく、「家柄の違い」「学歴の違い」「新婦の性格」などですが、他にもたくさんあったようです。とにかく気に入らない。それだけです。簡単に言うなら、ケミストリーの違いで、互いに「嫌いなタイプ」でした。義母から見ると「息子がたぶらかされた」ことで怒っていたのです。でも結局子供もできてしまったし今更引き返せないので結婚を許しました。その後義母はそれなりに義妹を受け入れる努力はしていました。
それでも義妹は自分が当初の「受け入れられていない」という気持ちをずっとひきずっており義母をことごとく嫌っていました。義母により「何をやってもダメな女性」と常に裁かれていたと感じていたようです。
二人の関係は結局「当たらず触らず」という状態に陥り、今に至っているのですが、それでも義母と義妹が同じ部屋にいると「ピリピリ」とした空気が感じられます。
結局この結婚が良かったのか悪かったのか、今となってはなんとも言えません。
二人はおしどり夫婦なのでそれは幸せなことです。それでも義弟は母親と妻の間に入って長年にわたり大変だったようです。
親側へのアドバイス
端的に申しますと、
親には子供の結婚に対し警告し懸念の旨を伝える権利は充分にあります。
でも決定する権利はないかもしれません。
親子と言えど、親は成人した子供の自由意志を取り上げ、彼の代わりに決断を下す権利は、現代にはないのです。
影響を及ぼしたいのはわかります。でも究極的な決断権は本人にあります。
確かに我が子を愛するが故に意見を言うのですが、しつこく言ってもあまり効果はないだけでなく、親子関係をこじらせる原因となりかねません。
でも親は我が子が自分の意見を考慮してくれないので、無視されていると感じ、また敬意が払われていないと感じるでしょう。子供は子供で、大人としての権利を尊重してくれない親がうるさくいとましく感じるでしょう。
その結果、互いに自分の意見を引くことはないので統一見解にも至ることはなく、片方が我慢をして一方の決断を呑むことが結果として現れることが多いようです。つまり頑固な方が勝つ!ということです。
それで負けた方が諦めることで一件落着ならいいいのですが、相手の決断を呑んだとしても、そうそう簡単に心の中が変わるわけがありません。いつまでも嫌な気持ちを引きずったりもあります。
なかなか難しいケースだと思いますが、ご子息も大人ですし、祈るような気持ちで彼の決断を見守られることをお勧めします。
最後に
家族関係こそドロドロして醜いものです。
親も子も互いに、自分の思いや荒れる感情を一旦横に置いて冷静に対応されることが必要かと思います。その心理的距離には、時間的距離と地理的距離が役に立つかと思います。
結論として申します。
結婚は可能です。
でも条件があります。
1。二人の結婚の意志が固いこと。
2。問題解決における進行状態をお母様に提示できる。
3。お母様を説き伏せることができるほどの努力の成果がある。
4。どんな難航もいとわないほどの覚悟があり、二人で試練を乗り切る意志が強固。
どんな決断をされても自分の決断に責任を持たれるならいいと思います。そして理路整然と考えられた上で、長い目で見て決断されることをお薦めします。
結婚は完全な二人が一緒になることではなくて不完全な二人が二人三脚で理想的な人生を築き上げるように努力する人生のことを意味します。この人だったらどんなに辛いことでも耐え忍べるかどうか自分の胸に手を置いて考えるとよろしいと思います。
その答えが「イエス」なら進むべきで、悩むばかりで決断できないようなら「ノー」です。
自分とお相手の方の幸せを取るか、お母様の幸せを取るかの間に立たされ、今大変苦しいと思いますが、頑張って乗り越えてください。
もし何があっても結婚すると既に決められているなら時間がかかってもいいのでお母様を納得させてからにしてくださいね。しばらくその結婚の話はしない方がいいかもしれません。
私の息子たちは全員親の意見は無視して相手を選びました。嫌われたくないので親はさっさと降伏しました。だから貴方のように真剣に悩んでくれるような息子さんをもったお母様が羨ましいです。😅