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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

わたしはドクダミママ

子供の時に読んだ話にドクダミの花が出てきた。

それはある少年が母の日に自分の母親にカーネーションをあげることについて独り言をつぶやくシーンだった。

少年は自分の母親にはカーネーションなど全然似合わない。

むしろ「ドクダミ」の方がぴったりだというのである。

独特の視点だ、とその時は思ったものだ。

 

そうか、「ドクダミ」がぴったりの人もいるのだ。

カーネーションが似合わない人もいるのだ。

 

その後月日は流れ、自分も大人となり母となり、このドクダミという言葉の強烈なイメージがことあるごとに脳裏に浮かんて来た。

特に母の日に「ドクダミ」という植物を自分と重ね合わせることが多かった。

 

ドクダミは繁殖力が強く、その悪臭で有名だ。

ドクダミという名前の由来は「毒を抜く」から来ている。

昔は「毒痛み」とも書かれていた。

自分のこと?

そう思えて仕方がない。

 

わたしはドクダミママ、抜いても抜いても生えてくる。

生命力も繁殖力も生半可ではない。

そして滅多に感謝されないどころか、むしろ嫌がられることの方が多い。

子供の悪いところを抜こうとする母親でもあるかもしれない。

 

そんなわたしにも真っ白で綺麗な花が咲く。

そして十薬と言われているように十種の薬効もある。

いとまれるようなものには概して非常にありがたいプラス面も備えているものだ。

 

わたしは、時には白い花の天使で、時には毒を抜く鬼になり子育てをしてきた。

今ぽっかり穴が空いたように感じている。

自分はドクダミのように子供たちからいとまれる存在なのかもしれない。

自分は母親業という世の中で最も難関な試験を落ち、「親大学」を落第したのだ。

それは紛れもなく、わたしの中の醜い「毒」であり、それを抜くように今も日々努力している。

けれどもその道は長く果てしない。

胸の奥にズンと感じる重たいものはいつ消えてくれるのだろうか。

そんな風に願いながら、自分を赦しながら、心をいたわりながら、

ドクダミママは生きている。

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ご想像の通り、わたしの30年にわたる子育ては、公共に発信するには恥ずかしいくらい失敗談の連続なのです。

笑い飛ばせるような小さな問題の連続なら良かったのですがそうではありませんでした。泣きに泣いた子育ての連続でした。

でも、娘に何度も押されて、ついに恥を偲びつつ「恐怖の現実」「あからさまな本音」を世に出そうと決心しました。

だとしても、これが果たして同じ難関大学で苦労を余儀なくされている親御さん方の役にたつかどうかはわかりません。

このブログは有名大学に合格させるための戦略やその他の子育て成功哲学について書かれているわけではありません。

 

いわゆる結論、つまり、

「確実な子育て法」

というような方程式の発見に繋がるかというと、

それも保証できないのです。

でも心の共有によって精神的な重荷を軽くすることに少しは繋がるかもしれません。

 

世には法則論を唱える人は多くおりその手の書籍も数限りないですが、

それは全て子供を中心とした子育ての手引きであり親の心に沿っているものではありません。子育てとは親と子供の両者が関連しているのに、一般的には子供側だけに焦点が置かれています。それはまるで親はどうなろうが大切でないかのごとくです。

確かに専門家の言っていることもわかります。親が親業を改善させれば子供が心身ともに健康になり、健康な子供が大人となり、その大人が社会を作り上げていくのですから、なぜ子育て論に焦点を当てるかが容易に納得できます。

 

それほど子育ては大切であると誰もがわかっているのです。

でも、子供を思えば思うほど子育ては親に急激な変化と自己改善を要求します。それは難しいことで、特に母親はその変化の過程で苦しみを経験します。

その苦しみに寄り添ってくれ、親の心を暖かく養ってくれる専門家はどこにいるのだろうか、とずっと思ってきました。

だからこのブログの目的は、読者の心に寄り沿い親の立場からみた意見を共有することにあります。

 

ただただ

少しでも

読まれる皆様の心が

軽くなることを願って止みません。

 

注:健康で特になんの問題もない素直なお子様をお持ちの方と、立派に育ったお子様をお持ちの方と、「母親とはこうあるべき」などという意見をお持ちの理想主義の方はこのブログを読まれないことをお勧めします。