娘のことで現在も傷心状態のまま・・・。😰
自分の心臓がストレスを抱えている・・・。
全身の細胞が痛つけられている・・・。
あまりにも苦しいから
どうにかしなくちゃと焦ってみたりもする。
でも体が動かない。
心も重いまま。
心臓に刺さったままのトゲはそう簡単に抜くことはできないようだ
夫に娘の正体は本当だったと伝えると、
その日一日中、夫は泣いていた。
目を真っ赤にしたままで仕事をしていた。
自分はというと、ゾンビのように生きている。
何をするのも億劫。
家の中を片付ける気にもならない。
子供たちは親の気持ちなんてどうでもいい。
親が悲しんでいるのは自分とは関係ないと思っている。
親にわざと反抗しているように見受けられる。
向こうもわざと無視するしこちらも顔を合わせても本音は言えない。
だから関係が築けない。
もう関係は修復不可能としか思えない。
でも、ふとあることに気づいた。
何かの関係
例えば結婚や親子関係や職場の職場の同僚との関係とか・・・
それらは既に終わっているのに
私たちはじっとその閉じてしまったドアを眺めては悲しんだりすることが多い、
ってことに。
時々そのドアを無理やりにこじ開けようとかしたりもする。
そんなことをしてもドアは開かないのに。
そんなことをしようとしてもフラストレーションが増すだけなのに。
「これが最後のゴリ押し!」とか言って頑固を通そうとする・・・。😅
でも本当はこれは
もう自分の成長には必要がなくなったことを教えてくれているのだ。
自分の親としての務めは終わっていることを知らせてくれているのだ。
終わっているのに、
介入しては一喜一憂を繰り返しているなんて全く持って自分自身に呆れる。
何かが終わると言うことは
次の段階に進めというお知らせなのだ。
もう振り向かないで
前だけを見つめて
生きていきなさいと言われているということを意味する気がする。
私の娘は死んだ。
私の長男も死んだ。
私の次男もとっくの昔に死んだのだ。
心の中で死んだのだ。
象徴的な死だけど・・・。
だから墓を掘り起こしても意味がない。
届かない母の心。
死んでしまった関係。
どうにもならない。
それなら、やっぱり人生の一段階に終止符を完全に打つべき時が来たということだ。
何かが終わるときは、自分の中の何かを捨てるべき時でもある。
でも一気にはできそうもない。
受け入れも、諦めも、癒しも、少しずつしか進められない。
まあ・・・それでもいいっかああ・・・。😅
前に進むには、自分をいたわることが必須だ。
自分に厳しい言葉をかけるのはやめて
これでいいと言い聞かせるしかない。
Things are as the way they are.
And I am OK with them.
ドクダミママ至言
終わったものを追いかけない。
死んだものは帰ってこない。
鍵のかかったドアは開かない。
だから・・・後ろを振り向かず前だけを見て生きて行こう。