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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

毎年母の日が近づくと事件が起こるのはなぜか?

母の日到来。😅

カーネーションではなくて裏庭のバイオレット、つまり雑草が今年の母の日の花。
母のすることの多くはバイオレットのように些細で、目だたず、存在感も影響力も小さい
と感じることが多い。だから落胆も大きい。
でもたとえ土壌が貧しくともそこにしっかり根を張って、
踏みつけられてもめげないで、太陽をしっかり見て生き延びる。
そして年を経るに従って拡張していく。
母の涙はこの貧しい土壌の栄養となり、母をますます輝かせるエッセンスとなる。

どんな環境にあっても自分らしく輝いて生きよう。
それがたとえ理想からはかけ離れていても。
今咲いているこの環境でどうにかして輝くことが幸せへの道。
これが母の日のメッセージ。

卒親完了したと思っていたんだけど・・・

母の日、それは親としての成果をいやでも思い起こされる日。

今年もまたやってきてしまった。😰

でも今年の母の日は心穏やかに過ごせそうだ(と楽観視していた・・・😅)。

 

なぜなら、子供たちのアルバムを全部完成させ、思い出のものも一人につき一つの入れ物にしまい、蓋をしたからだ。

思い出は全てその中にしまい密封してしまった。

 

子供たちが親宛に書いてくれた可愛い手紙もそこに入れた。

賞状のようなものも入れた。

上手に描けた絵も入れた。

 

もう2度とそれを開けることはないだろう。

 

断捨離のパワーを今更ながら感じている。

心を変えるのは難しい。

だから型から入るとよりスムーズに行くようだ。

 

どんな結果になっても

母はこれ以上できないほどの努力をしたことには変わらない。

 

だから自分に慈悲をかけることにした。

母を悪く思う子供はその子供の責任。

 

すっきりした。

と思っていた。

 

しかし・・・

 

事件が起きた

実は自分には芸術家の友が数人いる。

その一人に仕事の空きがあるからどうかと思い連絡した。

すると・・なんでも2年前からミシガン大学の美術学部で教えていると言うことだった。

わあ、すごい!と思わず思ったが・・・

自分の頭も心もなんとも重苦しいもので一杯になった。

 

彼女は大学卒業後は公立学校の美術の先生をしばらくしていたが、その後思い切って仕事はやめ大学院に入りなおした。卒業してからは、あちこちの小規模なカルチャーセンターのようなところで教えたりと細々とその道でずっと頑張っていた。ついでに小さな個展とかもやってきていた。

たとえどんなに経済的に大変でも常に自分の芯を貫き通したのだ。

だから長年の苦労が今やっと報われて自分の専門分野で就職することができた。

それも難関のミシガン大学の。

 

よかったね。と心から言ってあげたかった。

 

でも私の心は複雑だった。

なぜなら自分はそうやって生きてこなかったからだ。

そうやって生きてこなかったのは

それも自分の選びであったのだから今更何も言えない。

 

どうして彼女のようにやらなかったのか。

確かに彼女は独身で子供もいないからできたのかもしれない。

でも所帯を持ってるからといって全くできないわけでもない。

 

そんな心境の時はそれに上乗せするようなネガテイブな考えが次から次へと浮かんでくることが多い。

この時も、他の同じような知り合いのことが頭に浮かんできた。

 

(ダブルパンチ!😅)

上記の友人の次はこの人。彼女はフロリダにいたけど、今はニューヨークと行ったり来たりの生活をしていて自分の夢を達成しているようだ。夫はフロリダにおいてきている。二人の子供の子育ては小学生の時にすでに、「ママは自分のことをするからこれからは自分の人生に責任を持って生きなさい」と言い、子供たちには最低限のことしかしなかったらしい。学校の宿題とか助けたこともなく、習い事をやらせたこともなく・・・担任との懇談にも出かけたこともなく・・・部屋を片付けろと言ったこともなく・・・つまりハンズオフぺアレンテイングだった。そして長期で家を空けることが普通だったようだ。夏休み期間もアートフェアでの出展があるので3ヶ月家を留守にしていた。誰が子供の面倒を見ていたかは謎。

その結果、子供たちは自立心の塊のしっかりした大人になった。何も教えられていないのに、非行も犯罪もない。人間関係でも問題なし。社会適応にも問題なし。

何も言われなかったから、口答えも反抗もゼロ。

親子関係も良好。

二人ともとても努力家で・・自分たちの母を尊敬しているみたいだ。

 

三番目の人。(トリプルパンチ!😅)

彼女は田舎に住み織物をするのが生きがいだった。結婚しても夫は東京に残し(夫はそれで全く問題がないと言うから)自分は田舎に住み好きなように生きた。一人息子も勝手にさせていた。ずっと作品を売って生活している。今67歳だけど、年を感じさせないくらいハツラツとしていて可愛い女性だ。好きなことに夢中になって幸せに生きた人なのだ。家族の中に彼女の悪口を言う人はいない。自分のことで頭がいっぱいだから他人の人生に口出ししている暇がないのだろう。だから好かれている。

 

そういう生き方でも・・・いいんだ・・・ね。😓

 

どうしてそうやって生きてこなかったのか?

じゃあ、どうして自分はそうやって生きてこなかったのだろうか。

そうやって生きることもできたはずだ。

でも

家族を犠牲にできないと思ったのだ。

罪悪感もあった。

 

でも家族を犠牲にしないなら自分が犠牲になる。

それなのに、子供たちからは一微塵も感謝されていなし、

おまけに子供たちは特に立派にもならなかった。😅

 

わたしは最初はフリーランスでイラストやデザインの仕事をしていた。

でもすでに結婚していたし幼い子供もいたし、夫が博士号に進むため遠くの他州に引っ越さないといけなくなった時、その仕事は終わってしまった。

(インターネットがない時代なので・・・😰)

 

その代わりに絵を教えて小遣い稼ぎをしていた・・でもそれだけ。

子供は四人になり、日曜画家にでさえなれなかった。

常に家族優先だった。

 

ミシガンに引っ越してきてからはちょっと教えて・・・ちょっと描いて・・・ちょっと展覧会に出して(年に一回くらい)と誰にも迷惑がかからない程度のことしかしなかった。

 

長男が大学を卒業しフラフラしていた時に、本格的にまた絵を描き始め展覧会にバシバシと出し賞を取ったりもしていた。作品も売った。

 

でもまだ子供たちは全員自立していなかったし経済的な援助が必要だった。

そんな時にアシスタント件翻訳の仕事が舞い込んできて、特に興味もなかったけど、なんか勝手に決まってしまった。全く自分軸でないけど・・・やってみるか・・・という軽い気持ちで始めて今もダラダラと続けている。当然絵なんて描く気力も体力も時間もない。仕事は楽しかったかと言われると・・・芸術畑の人間には全く合わない仕事だったから特に楽しくもなかった。日々「感謝感謝」とその言葉をマントラのように繰り返し我慢してやっていた。でもその甲斐あって残りの子供たち全員の大学の学費を払うことはできた。子供のためならなんでもやる・・・と我慢していたのだ。

(自分はなんと立派な母かと密かに自負していた!

ついでに我が子は母を絶対に裏切らない!とも確信していた!

見事に外れました・・・。😅)

 

現在、確かに翻訳は長くやってきているのでできないことはない。でも・・やっぱり得に好きというわけではないから・・・仕事として割り切ってやっているだけ。

アシスタント業務、つまりエンジニアのヘルプ業務(つまり雑務)においては・・・自分の魂が日に日に衰弱していっていると感じている。それでも続けているってどうゆうこと?(アホの骨頂???)

それは・・得意でもなくおまけに嫌いなことを我慢し続けるのが美徳で大人のすること・・・というような日本的な考えが頭のどこかにあって・・・それを取り除くことができないからだ。

 

でも・・・これは間違い。

人生は好きなことをして生きるべき。

得意なことをして生きるべき。

そもそも苦手で嫌いなことをして認められるってあるわけないでしょ?

(子育ても得意でない!だから当然成果がイマイチ・・・😰)

翻訳はともかく、アシスタントの仕事はアメリカでは馬鹿にする人がたくさんいる。同僚から馬鹿にされていると感じることも多くある。こういう仕事はプロフェッショナルとは呼ばないからだろうか。

ちなみに私だって修士号くらいある。博士号だって持っている。

本当は苦手な事務をしなくてもいいのだ。

 

子供達も皆大学を卒業したことだし(とりあえずしたけどその後がちょっと・・😰)

この辺で足を洗いたいと去年あたりから心底思い始めてきた。

でも迷っていた。

今の仕事を辞めたいと思い始めてから、特に最近、いろいろな仕事のチャンスが耳に入ってくる。

でも・・・キャリアを積んでこなかった自分には無理だろうという消極的な考えが頭をよぎり行動に起こせない。そもそもアメリカは経験が一番大切なのだ。

(なんで関係ない分野の仕事を続けたのか!自分の浅はかさに何も言えない!)

 

おまけに勇気がないだけでなく迷っていると自分が何をしたいのかもわからなくなっている。

もう体力もないし・・頭も働かないし・・・英語も(相変わらず)イマイチ。

それに夫の面倒を見ないといけないし・・・。

と言い訳を言うことに忙しい。😅

 

そんな時に友人のいい知らせがあり、目が開いた。

 

結局、逃げても逃げても、

自分の心から完全に逃げることは無理なのだ。

友人の明るい知らせを耳にした時心にくすぶるものの正体を見た気がした。

それで自分は今まで一体全体何をしてきたのだろうか?と落ち込んだのだ。

 

自分を大切に

子供は幼い時は可愛いもの。(だから4人も産んだ!)

でもそれがずっと続くわけではないのだ。

成長するに従って独自の考えを持つようになり

親に反抗したり馬鹿にしたりもする。

大きな期待をかけて一生懸命育てた親はショックに決まっている。

頑張った親に限って、子供が大人になっても色々口出しする癖がやめれない。

そうなると子供から煙たがられることもある。

 

そうゆうふうにならないためには今から

自分の人生を生きるようにしないとダメなのだ。

自分の人生を生きるなら子供に変な期待をかけるなんてこともしない。

自分の人生を生きない母は依存症にかかっているのだ。

 

まずは自分から。

子供をどうにかしようとか

そういうことを考える前に自分の人生を修復し充実させ

自分の生き方に誇りを持てるようにしないといけない。

誇り高い母は子供にも尊敬される。

 

それをしなかったから自分は尊敬されていないし

避けられている・・・(と勝手にそう思ってる・・・😅)。

 

母が幸せに生きないと子供が犠牲になるんだ・・・と

我が子はみんなそう言いたいのだと感じている。

そしてそれが真実であると今更ながら納得する羽目となった。

 

母の日が近づくと事件が起きると思ってしまうのは

自分の潜在意識に潜んでいる本心が呼び起こされ、それに対して反応するから、起きること全てが事件と感じられるからなのだ!

 

だからこの母の日に皆さんに伝えたい。

私と同じことはしないように、と。😓

 

ドクダミママ至言

私のように人と比べて落ち込むようなら

今から自分を大切にして生きた方がいい。

犠牲を払っても後々感謝されるとは限らない。

自分の人生を充実させ自分の人生を生きれば

子供が彼ら自身の人生を生きることに口出しをしたりしないですむ。

ガッカリなんてこともない。

笑顔が増える。

すると子供にも好かれる母になれる。

 

まず、自分の本当に望んでいるものはなんなのか

自分の心の奥深にあるものはなんなのか感じ取ることが最初にすること。

本心は潜在意識の中に潜んでいる。

それを掘り起こして直視することははっきり言って怖い。

でも結局自分自身から逃げることはできない。