最近長男のフェースブックをのぞいた。
するとバナーの写真が変わっていた。
なんと彼のおでこには赤い印が付いていた。
そういえば、ヒンズー教徒になったとか言っていたから、そういうことなのかと思った。
ん?
あの赤い点って女性がつけるものでしょ?
それはビンディと呼ばれていて、夫が存命中のヒンドゥー既婚女性に多く、もっとおしゃれなビンディはファッションでつけてるらしい。
いずれにせよ、女性の習慣。
しかし息子は一応かりにも男性。
おかしいなあ、と思っていたら、ピンと来た。
ああ、彼はトランス女性なのかも・・・と。
ちょっとちょっとお、そんな格好して仕事に行けないでしょ?
プライベートで何してもいいけど・・・
公共の場でやるなって言いたい。
ちなみにフェースブックだって公共の場だよ。^^;
一時は息子がゲイだから彼をサポートするために、LGBTQプライドパレードで行進でもしようかと思ったこともある。
家の前に大きなレインボーフラッグを立てようかと思ったこともある。
トランスジェンダーの方々においては
彼らがどう生きようとも別にそれは自分には関係のないことだと思っていた。
自由の国アメリカなんだからいいんじゃあないの?とか思っていた。
でも、最近のトランスの方々による社会での大胆な動きで目が覚めた。
マテル社の人形やデイズニーのトランス化で目が点になった。
LGBTQ市民の理解や保護を通り越して、推進しているように見える。
その人口を増やしているようにしか見えない。
確かにそう生きるのは個人の勝手。
でもそれを政治的および社会的運動にするのがまずいのだ。
幼稚園の子供に洗脳するとか勘弁してほしい。
公共の場で、下手くそでピエロみたいな化粧で淫らな行動をしたりもやめてほしい。
要するにね、平和を乱すことをやって欲しくないということなのだ。
特に子供たちを洗脳するな!ということ。
自分たちの権利ばかり主張するなってこと!
それなら我々のような普通の人間の権利はどうなるわけ?
特別扱いなんてあるわけないじゃん!
そもそも平等の国アメリカでしょ?
私はたとえ我が子でも
心は女性とかいう主張や性転換手術とか、そういうのを擁護する気には
とってもなれない。
女装?
やってもいいけど、美しくお願いしたいです。
彼らは自分は綺麗だと勝手に思ってるみたいだけど本物の女性から見ると、どう見てもバケモノ。😰
もちろん綺麗なトランス女性もいる。でもそれは少数派。
うちの息子もその昔、女装していたから、やっぱりそういうタイプなのかもしれない。
しかし彼が化粧をしても女装をしてもとても見られた姿ではなかった。
そしてやっぱり親だからか・・・その姿を見て何も言えなかった。
ただただため息しか出てこなかった。
それでも今まではその本音を隠してきた。
でももうそれはできない。
それによって息子と縁が切れても仕方がないとまで思うようになった。
なぜなら親が自分の標準を変えることができないからなのだ。
物事を正しいか間違っているか・・・という秤にかけたらはっきりとわかるはず。
そういえば最近この息子に連絡しても全く返事がないし電話にも出ない。
さては何か隠していることがあるなあ、とピンときた。
親に顔を合わせられない何かがあると察している。
もしかしてこのブログを読んでるとか・・・。😅
母の第六感に間違いはない。(今までに外れたことはない!)
自分発見、自分軸というはやりのセリフのもとに暴走していく息子。
今頃、自分の代名詞は(Heとか she以外の何か)何にしようかと色々考えているのかもしれない。
私と夫は疲れた。
子供たちに振り回されてうんざりのレベルを通り越してしまった。
少子化がどうのって日本では騒いでるけど、
こういう人間を世の中に送り出してしまった親は世間に顔向けができない。
とは言っても別に恥ずかしいとかは思っていないのだけど。^^;
ただ・・・こういう結果になることもあると思えば、そう簡単に子供を産む気になれない女性の気持ちがわかるってものだ。
母親はいつでも、全部自分に責任があると自分を追い詰めるのだ。
母の一生の苦しみとは、我が子が思わぬ方向に行ってしまったという事実だ。
どんなに社会で成功しても・・・お金があっても・・・我が子がどうしようもなければ母の心に平和は戻らない。
でも、自分軸で生きるのが正しいことで、
自己中が美徳なんでしょ?
ただ子供がそれをすると母親はほとんどの場合は傷つくのよ!
それでも誰も母の心をいたわってくれる人はいない。
親が悲しもうとなんだろうと子供たちは皆勝手に生きる。
あたかもそれが人生のあるべき姿だと言わんばかりのでかい態度に頭が下がる。
彼らにとって親なんかどうでもいいのだ。
我々の犠牲なんか感謝すべきものなんかじゃあないのだ。
だからそういう人間のために犠牲を払うな!!!!と口をすっぱくして言いたい!
絶対に後悔すること間違いなし!
いや、わたしの子供に限ってそれは絶対にない、と言われるかもしれない。
実は自分も子供たちが幼い時はそう思っていた。
ところが期待を大幅に外れて
現在がある。
そう、だから正直に言おう。
私は自分の子供たちにしてあげたことの多くを後悔している。
子育てなんて適当にやるのが一番いい。
適当にやった親は子供のことで泣いたりなんてしない。
息子よ。
トランスでもなんでも結構です。
でも母は自分の考えをこれ以上曲げれません。
たとえ自分の産んだ子供でも、あなたの生き方を擁護できません。
悪いけど・・・。
そうなるとまるで我が子を愛していないように聞こえるかもしれない。
でもそれは違う。
私は我が子を心の底から愛している!
でも・・・・
そのままの我が子を愛するということは、全部を承認するわけではないの。
彼のエッセンスを愛しても、彼の行動や選択を愛さなくてもいいのだ。
I love him, but not his actions.
まあ、おでこの印だけでトランスとは断定できないけど、
彼に限っては確率は高い。
次はサリーを身につけた写真かも。^^;
(はっきり言って息子には似合わない。こんな醜いシロモノは他にないよ!)
ドクダミママ至言
子育ては適当にやるべき。
後で泣かないためだ。
我が子を愛していてもその行動まで愛さなくていい。