人気ブログランキングへ (/head>

ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

母の日が嫌い

 

f:id:MimosaPalette:20200509074359p:plain

(出典:https://www.substanceusecounselling.com/blog-articles/what-to-do-when-adult-children-fail-to-launch

 

最も嫌いな日

わたしの一年で最も嫌いな祝日ははっきり言って

母の日だ。

 

母の日が来ると憂鬱になる。

なぜって?

それは自分が立派な絵に描いたような母親にどう頑張ってもなれないからである。

母の日が来るたびに自分の足りなさを思い知らされ、罪悪感と落胆で打ちのめされる。

この日にダメな母だと公式にレッテルを貼られているようなものだ。

だから、「ありがとう」は嫌味にしか聞こえない。

 米国ではこの日に緊急病院にそして翌日に精神科に駆け込む母親が結構いる。

 

子供達は母の日に「お母さんありがとう」とカードをくれるものだ。

でも本当にそう思っているなどとは思えない。

本当にそう思っているなら日々の態度にあらわれるものだ。

でも今の所ほとんど見えない。

数年前に次男がカードにこんなことを書いていた。

「今の自分の姿があるのは、お母さんのおかげだよ。ありがとう!」

 

なにこれ????

あんたは人生めちゃくちゃでしょうが?

なにがありがとうなの?

めちゃくちゃなのは母のせい、とでも言いたいわけ?

こんな台詞は絶対ネットから写して来たに違いない。

 

随分前までは、娘が母の日になると朝から頑張ってケーキを焼いてくれた。

息子たちは遅く起きてきて

「ああ、いい匂いだな〜。なんかあるの今日?誰か来るの?」とほざいていた。

 

娘はそれを聞いて、

「アホ〜〜〜〜〜〜!」

と叫んでいた。

 

ついでにケーキをほとんどたいらげたのも息子たちに他ならない。

 

我が家の息子に限ってはこんなもの。

それで父親に促されて強制的にカードに「ありがとう」と書かされていた。

そういう言葉を書くのが常識だからだ。別にそう心から思っているわけではない。

 

今は長男がメールをくれるだけ。

娘はカードをくれる。

残りは自分のことしか考えていない人間なので母の日がいつさえも覚えていないに決まっている。

 

思うに

母の日なんて祝日がなければ

母は子供から正式な感謝の言葉をもらう日はないかもしれない。

日本では結婚式に感謝の言葉をいただけるが、アメリカにこんなのはない。

多分死ぬ直前だけかもしれない。

でもアメリカでは、息子は母の死に目に「ありがとう」ではなく「ごめんなさい」を言うケースが多いそうだ。なんかうなずける。

 

まあ、こんなもの。

母親は犠牲に見合わない結果に泣くことも多い。

結果が出ないのは社会では母親のせいと裁かれることも多い。

だから母の日は審判に立たされるようなものだ。

「お前は最低の母親だ」と判決を下される。

その日が母の日なのだ。

そして処罰は翌年の母の日まで(精神的な)牢獄暮らし。

辛い。

 

努力は味を結ばないもの?

2017年7月11日付の日本の新聞にこんな投稿が載っていた。

 

題:努力は味を結ばないのね

 

虫歯で苦労しないように仕上げ磨きを欠かさなかったのに、

今じゃあ歯磨きをしない男に。

毎晩本を読み聞かせていたのに、

今じゃあケータイ以外の活字は読まない男に。

保育園や学校の給食表を冷蔵庫に張り、

献立が重ならないように手作りしていたのに、

今じゃあカップ麺大好き男に。

環境のために親子でエコ活動していたのに、

今じゃあ一面ゴミの部屋で暮らす男に。

 

少子化万歳。

こんな理不尽な母親になれなんて、未来ある人に絶対言えない。

徒労感でいっぱいで、私は卒親する気満々だ。

ただ溢れる愛で、大切な存在を守ることに必死だった日々。

幻でも一時それがあったことに感謝している。

卒親に当たって息子らに一言。

「努力が全く味を結ばない世界があるってこと、教えてくれてありがとう。」

(西東京市、疲れた母、55歳)

引用元:http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1499752528/

 

心から同感。

 

でも我が家の息子たちはだらしないのは良くなって来たようだ。(娘はまだまだ)

親の勧めは聞かないが、伴侶と恋人には耳を傾けるらしい。

だからいつか親の教えて来たことを思い出してくれる日も来ると信じている。

無駄ではない。

ただやっぱり結果が出ていないうちは、犠牲は全て無駄に見えて来ても仕方がない。

母業は理不尽な仕事だ。

 

こんなに努力が味を結ばないのは親業に関してはありすぎるくらいだ。

それならなぜこんなに頑張ってしまうのか。

女性はバカだと思う。

出産も子育ても大変なのに子供をもうけ、ずっと信じ続け、ずっと重荷を抱え耐え忍ぶことばかりだ。わかっているのに、どんなに時代が変わってもやめようとしない。泳ぎ方も知らないのに、大海原に自ら飛び込んで行っているのだ。まさに自殺行為そのものでなくて何なのだろうか。

 

癒し

この日曜日に一年の判決の日がまたやってくる。

神に、子育てがうまくできなかったことに対して赦しをこうしかない。

結果はどうにも仕方がなく謝るしか術がない。そして母の努力と犠牲を台無しにしてくれた我が子をも赦すしか道はないのだ。

黙って自分の心の奥深くにある痛みを受け入れ愛する。

胸が軽くなるまで泣いて泣いて

その涙で心の中の塊を溶かす。

そして全てを手放す。

手放さない限りは癒しはない。

癒されなければ母は永遠に幸せにはなれない。

 

Happy Mother's Day

英語圏では、母の日のカードには "Happy Mother's Day"と書かれていることが多い。

 "Thank You Mother's Day" ではない。だから母の日は「ありがとう」と言ってもらえる日ではなくて、

母が幸せになる日のことを指す。だから家族はこの日に母親が一瞬でも笑ってくれるように企画を立てる。日頃の感謝を込めて。

でもこんな一瞬の感謝は一瞬であって長続きはしない。

ちゃんとしていない子供を目の前にして、どんなに感謝してもらっても、特別なお祝いなどしてもらっても、母は心からの幸せなど感じることはできないのだ。

 

日本語では「母の日おめでとう!」というが、子供がちゃんと育たないで、何がおめでたいのか?と思う人も多いのではないだろうか。

子供は母の長期的努力の成果物とみなされており、成果物がひどければどんな優しい言葉も母には届かない。

ずっしりと重たい石ころが胸の中に居座っているのだから幸せに感じられなくて当然だ。

 

癒されるために

でも子供の個性ややっていることが全部平均以下というわけではないのだと思う。

いいところも絶対あるはずだ。

ただそれは見過ごしてしまいそうな小さなことの方が多いかもしれない。

 

我が子を全体的に見るのではなく、それぞれの子供のいいところを個別に探してみると、今まで見えなかった何かが見えてくるのではないだろうか。

重箱の隅をつつかないと見えてこないこともあるかもしれない。

でももしそれができるなら、母として自分が我が子にしてあげたことの中に何か良いこともあったかもしれないと思えてくる。

それが発見できれば、達成感が得られ、結果的に幸せを少しは感じることができる。

母になったことを感謝することも可能になるかもしれない。

 

母の日は癒される日。

癒されて幸せになれますように。

 

ドクダミママ至言

子供のために何かをやってあげるときはただ愛情からやってあげるだけで、何も期待してはダメ。

成人した我が子は自分の好きなように生きる権利がある。目をつむり、耳栓をして、なにも知らないふりをするべし。子供のことは天に任せ自分のしたいことにでも没頭する方がいい。子供が成功していなくてもどうなろうとも、それは母のせいではない。人はそれぞれ自分の人生に責任がある。上手くいかないのは誰のせいでもない。それに自分で気づくまで(どんなに辛くとも)そっとしておいた方がいい。

母の日は母が母としての幸せを探す日。

見過ごしてしまうような子供の小さないい点を探すことによって母親としての幸せを見出だすことができる。

 

でも、やっぱり、どうしても母の日が辛いなら?

そんな見も知らない他人が設定した祝日など無視して、自分で自分にふさわしい祝日名をつければいい。例えば、美人の日とか、化粧品の日とか、痩身の日とか、ファッションの日とか、美術館の日とか。う〜ん。考えただけで楽しくなってくる感じがする!

なんで全く面識のない人が万民に良かれと思って設けた祝日を祝わないといけないのか?嫌なら参加しなくてもよく、自分で勝手に決めればいいんじゃないの?

私はこの日曜日は母の日じゃあなくて、環境美化の日(要するに家の掃除の日)と呼ぶことにした。わたしは子育てより掃除の方が得意である。得意な分野で認めてもらいたい。

その方が絶対に幸せになれる。