パステル画。作者:わたし。
実は時々コミッションで肖像画を描いている。絵の中の女性はこの春ご長男を出産したばかりの若い母親。(子供を産んだばかりとは思えない美しさ!)
母になると
出産の日、全ての新しい母は聖母になると言っても過言ではない。
疲労の只中で、言葉に尽くせない感動、つまり生命の不思議と偉大さを感じるのだ。
実に、産まれたばかりの赤ちゃんを見てなぜルネサンスの絵画に出てくる天使のほとんどが赤子であることが納得できる。
その清らかと完全さに圧倒される人は洋の東西を問わず時代を超えて途絶えることがない。
母になると、女性は今までの人生に全くなかったような新しい経験に遭遇するものだ。
人生が全く変わってしまったりする。
それは子供を産むことで、女性は肉体的だけでなく心理的な変貌を遂げるからである。それには自分の興味分野や好みだけでなく、新しい価値観の誕生をも意味する。
出産と子育ては女性の心を新しい希望と恐れで一杯にする。
必要性に迫られこれから何を優先するべきかを新た吟味させられる。
また出産は全ての身近な人間関係に影響を与え、一族の歴史の中での自分の立場と役割を再定義することにも影響を与える。
つまり女性は母になることで自己中心的な存在ではなくなるのだ。
反対に、より大きな大宇宙の流れの一部となって生きる存在となる。
それを認めようが認めまいが、その生き方には深遠な意味が潜んでいることを女性は心の奥深いところで感じている。
誕生
赤ん坊が胎児及び乳児の過程で成長して行くように、
女性も多くの月日を経て、心理的に母として誕生過程を経験する。
つまり内面の変貌を遂げるのだ。
そして新しいアイデンテイテイの構築が起こる。
母は生まれながらにして母ではなく
この経験を通して母として生まれるのだ。
つまり子供だけが誕生するのではなく
母も誕生することになる。
誕生には両者に痛みを生じ、
特に母には感情の混乱という痛みが伴う。
混乱と痛みを繰り返しを経験しながら女性は真の母になって行くのだ。
それは母という役割を通して自己の成長を遂げて行くことを意味する。
この段階で、女性はもうただ単に女という性の人間ではなく、母なのである。
だたやはり真の母に脱皮するには時間がかかる。
思うに、
どんなに長くかかっても
その脱皮の過程に最も意味があるのではないだろうか。
ドクダミママ至言
子供を授かり育てることにはただ単に生物学的な意味のみでなく深遠な目的と意味を宿している。だから、生きていることの真の意味を考える機会にもなる。
女性は生まれながらに母親ではなく出産と子育ての過程を通して母となる。それには感情の混乱や痛みが伴う。
けれどもその経験を通して自己も成長して行く。
真の母に脱皮して行くには時間がかかるがそれでもいい。
その成長過程に意味があるから。