人気ブログランキングへ (/head>

ドクダミママ至言

〜卒親奮闘記・母業落第の果ての気づき〜

悲しみを乗り切ることはできない。ただ悲しみと共に生きるだけ。

I never get over it but learn to live with it. 

 

人生の中の様々な消失とそこからくる悲しみ、

それはおそらく決して乗り超えることはない。

でもただその悲しみとともに生きていくことだけができること

(赤字部分が英語の訳です。)

 

わたしは長い間・・・

ほとんどの問題解決は絶対にできるもので

心に浮かんでくるネガテイブな感情や嫌な気持ちを克服する方法が

どこかに必ずあると信じていた。

実際にそのありとあらゆる方法を試してみた。

 

そして結論に到達した。

失われたものに対する悲しみや苦しみを”完全に”克服し

乗り切れる方法はないのだ、ということ。

問題も常に解決するとは限らない。

特に自分の思う通りには・・・。

 

私たちにできることは、

解決することではなく

感情を克服することでもなく

感情を抹消することでもなく

 

ただ、解決ではなく感情のコントロールでもなく

その現実とその感情と一緒に生きていくことだけなのだ。

 

様々なことで

心は裂かれ

悩み

苦しみ

涙に暮れることがあり、

どうしたらこの落ち込んだ気分を雨上がりの爽やかな空気のように

できないかと奮闘する。

でもその奮闘がさらなら苦しみの原因となることも往々にしてある。

 

それは心の痛みはずっと心の深いところに潜み

消えることはないからなのだ。

ただ離れない友達のように

心の巣に住みついて

時々顔を出してきては、心をチクリと刺す。

 

それが悪いと思っている人も多い。

ネガテイブな感情は全て否定し、

できなければ、オブラートで隠し、

ネガテイブオーラの人も避けるべきだと思っている人も多い。

 

でも・・・

そういう感情や

人生の悲しみを通して

人はより深みのある存在と変わっていく気がする。

その涙の中にその人の人生が感じられる。

 

誰もが欲する

悩みのない人生。

悲しみのない人生。

 

それは偽物なのだ。

それは幻想なのだ。

 

だから悲しみを完全に克服するのではなく

ただ、そのままで生きていくことができることなのかもしれない。

 

我が子のことを想うと

心がちくりとする。

でもその「ちくり感」と一緒に生きていく。

 

わたしの心は南仏の太陽のようにはなれない。

でもそれでもいい。

 

自分の住んでいるこの地域は南仏とはかけ離れている。

曇り空が多い。

でも愚痴を言っても曇り空は去ってはくれない。

だからただ曇り空と共に生きていく。

その「ちくり感」と共に仲良く生きていく。

 

それが人生なのだ・・・・。

 

あなたの失ったものはなんだろうか?

自由な時間?

健康?

お金?

両親?

子供?

自分自身?

あなたの夢?

 

なんであっても

ただその現実を受け入れて、その「ちくり感」も受け入れるしかない。

 

真夏の南仏の太陽のようにカンカンと輝かなくてもいい。

ただ静かに、

そこにいるだけでいいのだ。

 

わたしは我が子の選ぶ人生を受け入れようと思う。

それ以外にすべがないからだ。

他の人のことはコントロールできない。

自分のことすらコントロールできないなら他人はもっと難しい。

悲しみの日に目に映る外の風景はモノクロ。でもモノクロでもレトロ感一杯で素敵だと思う。


私の作業テーブルは窓際にある。

窓から見えるその景色はあたかも額に入った風景画のようだ。

その風景画には木々があり

その枝が風に揺れて

そこに鳥が泊まりに来て

思わず手を休め

それをただじっと見つめる。

 

その瞬間

全ての悲しみを忘れる。

でも、目を伏せればやはり心の「ちくり感」はまだそこにある。

 

だから「ちくり感」と共に生きていくしかないのだ。

それがわかった。

やっとわかった。

 

この命が尽きる時、全てがわかる。

なぜ人生には憂いがあるのか。

その涙の理由がわかる。

それまで

「ちくり感」と仲良くやっていこう。

 

ドクダミママ至言

人生の「ちくり感」とは仲良くやっていくしかない。