今週末は母の日。
一年前の母の日は、娘の遅い反抗期で頭を抱えていた。
自分の母としての人生を半分恨んでいた。
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今年はこの娘から「母の日おめでとう」というメッセージが届くだろうか。
息子たちは母の日を覚えているだろうか。
土曜日、夫は一日中射撃場で建物解体のボランテイア活動に明け暮れていた。
身体中が痛いのに夫は帰ってくるなり、母の日だから絵を描くためのラクダの筆を買ってくれると言ってくれた。
でも断った。こんなに疲れている夫に買い物に付きあってもらうことはできなかった。
筆もいいけど、筆よりもっと欲しいものがある、と伝えた。
夫はそれは何かと聞いてきた。
それは他でもなく
三男の仕事が決まること。
他に欲しいものは何もない。
我が子の人生がうまく行くこと。
母の望むものはそれしかないのだ。
何よりもそれが母の日のギフトとなる。
母の日に子供のいいニュースが聞きたい。
それがもっとも「おめでたい」ことなのだ。
カーネーションなんかいらない。
それを子供たちは知っているのだろうか?
多分思いもよらないだろう。
子供とはそんなもの。
母の思いは母以外の人にはわからない。
たとえ子供たちが「ありがとう」と言ってくれても
本心から言っているのかな?と疑ってかかったりしてしまう自分がそこにいる。
「ありがとう」なんて言われたら本当に罪悪感で一杯になってしまう。
母の日は自分が本当に母であるということを思い知らされる日。
この重い責任におしつぶされるように感じる日。
満足にできない自分に落ち込む日。
だから喜ぶどころか反対に暗くなってしまう。
でも覚えておいて欲しい。
理想は理想。
そんなものは窓から投げ捨ててしまうに限るのだ。
この現実をありのままで受け入れ、
この経験には何か意味があったに違いないと自分に言い聞かせるだけ。
(でも一体何の意味があったのかはまだわかっていないんだけど・・・😅)
母の日は節目。
この節目に昨年と比べて
どのくらい自分が卒親できたか、
どのくらい忍耐力がついたか、
どのくらい人間として成長できたか、
それを振り返るいいチャンスであると思う。
早速、去年の母の日の自分と今の自分を比べてみた。
すると多くの気づきがあった。
去年に比べると不思議と心が穏やかで
子供と自分を切り離すのがもっと上手にできるようになってきたようだ。
そう。このように一年前と比べて少しでも前進できていればそれでいいのだ。
今年の母の日はなんとなく平和に過ごせそうだ。
ドクダミママ至言
母の日は母である自分を吟味するとき。
自分の成長を振り返るとき。
理想的で「立派な母」になれなくともいい。
所詮誰もなれる人はいないのだから。
ただ去年の母の日に比べて今がどうかが問題なのだ。
去年より何かがよく(まともに?)できるようになり
ほんの少しでも人間的に成長できたと思えるなら、
それで十分ではないだろうか。