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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

張り詰めた気持ちを楽にするには

今日はアメリカでは感謝祭。

正確に言うなら感謝を捧げる日。

誰に捧げるのか?

それは自分に必要なものを与えてくださっている神に。

そして周りの人に。

 

日々不平不満の多い自分に、すべて満たされていることを思い出させる日なのだ。

 

米国の入植者から学ぶこと

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(出典:https://dornsife.usc.edu/news/stories/2472/the-two-men-who-almost-derailed-new-englands-first-colonies/)

現代の人は入植者の時代に比べればなんと恵まれていることか。

入植者は自分の子供のことで「これができない」「あれがだめ」とそんなことを考えている余裕もなかったはずだ。

今日1日を生き延びること。

これしか頭になかったはず。

 

 

この感謝祭にたどり着くまでに、多くの人が命を落とした。その多くは飢餓や栄養失調が原因だった。

とりあえず建てられた家は雨や雪をかろうじて防げるだけの地面に穴を掘ったものや、みずぼらしい小屋だった。寒さと栄養不足と今後の生活に対する不安から逃れるのは並大抵ではなかったことだろう。

だからこの収穫祭が、困難と試練の連続の新天地での最初の大きな喜ばしい出来事だったということが容易にわかるであろう。

かといって他に特に何かあったわけではない。

ただ家族に食べさせるものが充分あるだけだった。

それだけで、ひざまづき神と同胞に感謝を捧げたのだ。

 

彼らのことを思うと

恥ずかしくなってきてもおかしくない。

食べ物なんてあって当たり前だと思っているのが現代人。

好き嫌いのある子供もいる。

開拓者の時代に、好き嫌いを言っている子供はただ単にわがままと見られ、子供はわがままを貫き通すか飢え死にするかのどちらかの選択肢しかなかった。

だから「これがいやだ」とかそういうことを言う子供は一人としていなかった。

 

 

現代は、最新のゲームや服装や流行についていくことや人気者になることが優先順位の子供が多い。親がいろいろ犠牲を払ってやってくれることも当然だと思っている子供も多い。

 

かなり恵まれているのに

我が子には不足しているものが多くあり不憫に思っている親も多い。

では、わたしたちの子供たちは本当にどれだけ足りないものがあり

どれだけ不憫なのだろうか?

 

発展途上国と比べてみて

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戦争で家も親も失った孤児の姉弟。

上の写真の姉弟は、どんな思いで今日という日を過ごしているのだろうか。

食べるものをくれる人はいるのだろうか?

写真を見ているだけで胸が締め付けられる思いだ。

 

だからうちの子供たちにも常に言って聞かせていた。

今この瞬間に飢え死にしている子供たちが世界に何人いるのか考えてみなさいと。

 

調査によると5秒に一人の子供が飢餓が原因で亡くなっている。(https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000048346

大人も含めれば、飢餓と貧困で亡くなる人は1日に総計2万5千人もいる。

 

だから

我が家では「食べ物があるだけで感謝しなさい」とそんな時代錯誤なことを常に言っていた。もし料理の仕方に文句があるなら、自分で作れば?とも促していた。

こんな親なので、子供たちが同級生に自分の親がこんなことをいつも言っていると告げると驚かれたらしい。😰

 

このため、我が家に出されたものにケチをつける子供はいない。

だから、自分の子育ては失敗の連続で結果もイマイチと納得しているけれど

(開き直っている😅)

これに関しては成功したと思う。(もしかしてこれだけかも?😅)

 

考えてもみていただきたい。

世界のほとんどは貧しいだけでなく収束のつかない内戦や度重なる自然災害で、食料や医療費や様々な必需品にこと欠く国がまだまだたくさんある。日本やアメリカのような国は実はマイノリテイなのだ。

そんな国の親の悩みをわたし達の悩みと比べていただきたい。

確かにコロナ禍からもたらされ様々な問題もある。でもどんなに不幸が襲ったとしても、根本から貧しい国の人々の悩みには匹敵しない。実際、アメリカでも食糧難が騒がれているが、現実は、肥満人口は上昇する一方と、全くおかしな現象も起きている。飢餓なら痩せるはず。だから先進国の食糧不足がどれくらい深刻なのか疑問だ。

やはり後進国に比べるなら大したことはないのではないだろうか。

そしてそれを思えば、わたしたちがどんなに恵まれていて、子供たちもどんなに恵まれているかわかるのではないだろうか。

 

Missing Tile Syndrome

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(出典:https://www.juliofreitas.com/2019/08/?lang=en

人間は欲張りで、常に無い物ねだりが多い。

こういうのを心理学用語でMissing Tile Syndoromeという。

つまり和訳すると、行方不明タイル症候群

 

どういうことかと言うと、

つまり

100枚のタイルの中で一つでも足りないタイルがあると、そこばかり見ているということだ。

でも同時に周りにある99枚の完全なタイルには全く目を向けない。

そのたった1枚分の空間が最も大切であるというかの如くに。

 

実際に上の写真を見て真っ先に目が行く箇所はどこだろうか?

そう。

タイルがない所。

 

だから人間もこれと同じで、

人生の中の99枚の完全なタイルを見ようとせずに、欠けている部分ばかりを見つめる傾向がある。

つまり自分の中で、また自分の人生の中で欠けている・不足していると思っているものが最も欲しているものなのだ。

 

あなたに欠けていると思うタイルとはなんだろうか。

人によっては身長、理想体重、やりがいのある仕事、健康、恋人、良好な家族関係、などなどあげればきりがない。

 

わたしの欠けているタイルとは、すなわち「問題のない子供」。

この子にこれが足りない。あれが足りない、というように、いつもそれについて考えている。

でも残りの99枚のタイルは滅多に見ることもない。

もし99枚の方を見るなら、我が子の良いところがこんなにたくさんあるということがわかるのに。

でも親というものはこの足りない部分に集中しやすいのだ。

 

つまり感謝が足りない。

恵まれている部分を感謝するより小さな欠けている部分の不平不満ばかり言っている。

でもそこを見つめる限りは、我が子の存在に感謝など絶対に不可能なのだ。

だからこの日、そんなことを止めるようにと、リマインダをくれるのが感謝祭なのかもしれない。

 

感謝という漢字が教えてくれること

感謝の意味は

一見見た感じでは、こう捉えることができる。

つまり、謝る気持ちを感じること。

 

ということは

感謝とはお詫びのことでもある。

つまり、自分の高慢な気持ちを反省し、日頃お世話になっている方(神様も含め)に感謝の気持ちを伝える、ということ。

 

部首をバラバラにして意味を見ていくと、

「射」は張り詰めた弓から矢を放つ様子で

それに「言葉」を組み合わせた字。

つまりお礼やお詫びを言って張り詰めた気持ちが楽になることを意味する。

 

なるほど。

ということは

反省心や感謝の心に欠けると、気持ちが張り詰めてくるということか。

 

つまり不幸な気分になってくる。

確かにそう。

 

不平不満は自分は不幸だと思っているから出てくるのだ。

そしてそれを長く続けると、気持ちが張り詰めてくる。

そしてますます不幸な気持ちになってくる。

ということは

自分で自分をさらに不幸にしているという悪循環なのだ。

 

子供についての悩みは親を不幸にする。

今日だけでも、

欠けている部分を見つめるのではなくて

ちゃんとそこにある99枚の立派なタイルを見てあげないといけないと思う。

そして99枚のタイルがあることに感謝をすべきなのだ。

 

 

さらに子供たちに口に出して感謝の気持ちを述べる。

ついでにお詫びの気持ちも述べるべきかもしれない。

 

 

 

親だって完全になれないのだから子供に完全を要求するなんて言語道断ってもの。

だからこの親に我慢してくれている子供にも感謝。

そして完全を要求している親としての自分を赦してもらう。

 

張り詰めた弓のままでは心が楽にならない。

だから弓を解き放つためにも感謝をするのだ。

 

自分がいかに恵まれているかを教えてくれる詩

不平不満にいいことはない。(でもついつい言いたくなっちゃうのよね〜!😅)

反対に感謝することにはいいことばかりがつきもの。😁

わかっていても、もしあなたが感謝できないなら是非これを見て欲しい。

https://www.youtube.com/watch?v=RcEqVPbXMSM

 

さらにこれを読んで欲しい。

 

『世界がもし100人の村だったら』

http://www.apa-apa.net/kok/news/kok214-2.htm

今朝、目が覚めたとき
あなたは今日という日にわくわくしましたか?
今夜、眠るとき
あなたは今日という日にとっくりと
満足できそうですか?
今いるところが、こよなく大切だと思いますか?

すぐに「はい、もちろん」と
いえなかったあなたに
このメールを贈ります。
これを読んだら
まわりがすこし違って見えるかもしれません。

世界には63億人の人がいますが
もしそれを100人の村に縮めると
どうなるのでしょう。
100人のうち

52人が女性です
48人が男性です

30人が子どもで
70人が大人です
そのうち7人が
お年寄りです

90人が異性愛者で
10人が同性愛者です

70人が有色人種で
30人が白人です

61人がアジア人です
13人がアフリカ人
13人が南北アメリカ人
12人がヨーロッパ人
あとは南太平洋地域の人です

33人がキリスト教
19人がイスラム教
13人がヒンドゥー教
6人が仏教を信じています
5人は、木や石など、すべての自然に
霊魂があると信じています
24人は、ほかのさまざまな宗教を
信じているか
あるいはなにも信じていません

17人は中国語をしゃべり
9人は英語を
8人はヒンディー語とウルドゥー語を
6人はスペイン語を
6人はロシア語を
4人はアラビア語をしゃべります
これでようやく、村人の半分です
あと半分はベンガル語、ポルトガル語、
インドネシア語、日本語、ドイツ語、フランス語などを
しゃべります

いろいろな人がいるこの村では
あなたと違う人を理解すること
相手をあるがままに受け入れることが
とても大切です

また、こんなふうにも
考えてみてください
村に住む人びとの100人のうち

20人は栄養がじゅうぶんではなく
1人は死にそうなほどです
でも15人は太り過ぎです

すべての富のうち
6人が59%をもっていて
みんなアメリカ合衆国の人です
74人が39%を
20人が、たったの2%を分けあっています

すべてのエネルギーのうち
20人が80%を使い
80人が20%を分けあっています

75人は食べ物の蓄えがあり
雨露をしのぐところがあります
でも、あとの25人はそうではありません
17人は、きれいで安全な水を飲めません

銀行に預金があり
財布にお金があり
家のどこかに小銭が転がっている人は
いちばん豊かな8人のうちの1人です

自分の車をもっている人は
豊かな7人のうちの1人です

村人のうち
1人が大学の教育を受け
2人がコンピューターをもっています
けれど、14人は文字が読めません

もしあなたが
いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに
信仰や信条、良心に従って
なにかをし、ものが言えるなら
そうではない48人より
恵まれています

もしもあなたが
空爆や襲撃や地雷による殺戮や
武装集団のレイプや拉致に
おびえていなければ
そうではない20人より
恵まれています

1年の間に、村では
1人が亡くなります
でも、1年に2人
赤ちゃんが生まれるので
来年、村人は
101人になります

もしもこのメールを読めたなら、
この瞬間、あなたの幸せは2倍にも3倍にもなります
なぜならあなたにはあなたのことを思って
これを送った誰かがいるだけでなく
文字も読めるからです

けれど何より
あなたは生きているからです

昔の人は言いました
巡り往くもの、
また巡り還る、と

だからあなたは、
深ぶかと歌ってください
のびやかに踊ってください
心をこめて生きてください
たとえあなたが、傷ついていても
傷ついたことなどないかのように
愛してください

まずあなたが
愛してください
あなた自身と、人が
この村に生きている
ということを

もしもたくさんのわたしたちが
この村を愛することを知ったなら
まだ間にあいます
人びとを引き裂いている非道な力から
この村を救えます
きっと

 

When you woke this morning,
did you look forward joyously to the day?
When you go to bed tonight,
do you think you will be filled 
with satisfaction?
Do you think the place you are precious?

It is to you who cannot say right away,"Yes, of course"
that I send this message.
If you read this,
the things around you might start to
look a little different.

In the world today, 6 billion 300 million people live.
If this world were shrunk to the size of a village,
what would it look like?
If 100 people lived in this village,

52 would be women,
48 would be men.

30 would be children,
70 would be adults,
among those,
7 would be aged.

90 would be heterosexual,
10 would be gay or lesbian.

70 would be non-white,
30 would be white.

61 would be Asians,
13 Africans,
13 from North and South America,
12 Europeans,
and the remaining one from the South Pacific.

33 would be Christians,
19 believers in Islam,
13 would be Hindus, and
6 would follow Buddhist teaching.
5 would believe that
there are spirits in the trees and rocks
and in all of nature.
24 would believe in other religions,
or would believe in no religion.

17 would speak Chinese,
9 English,
8 Hindi and Urdu,
6 Spanish,
6 Russian, and
4 would speak Arabic.
That would account for half the village.
The other half would speak Bengal, Portuguese,
Indonesian, Japanese, German, French,
or some other languages.

In such a village, with so many sorts of folks,
it would be very important to
learn to understand people different from yourself,
and to accept others as they are.

But consider this.
Of the 100 people
in this village,

20 are undernourished,
1 is dying of starvation, while
15 are overweight.

Of the wealth in this village,
6 people own 59%,
- all of them from the United States -
74 people own 39%, and
20 people share the remaining 2%.

Of the energy of this village,
20 people consume 80%, and
80 people share the remaining 20%.

75 people have some supply of food and a place to
shelter them from the wind and the rain, 
but 25 do not. 
17 have no clean, safe water to drink.

If you have money in the bank, 
money in your wallet and 
spare change somewhere around the house,
you are among the richest 8.

If you have a car,
you are among the richest 7.

Among the villagers
1 has a college education.
2 have computers.
14 cannot read.

If you can speak and act 
according to your faith and your conscience
without harassment, imprisonment,
torture or death,
then you are more fortunate than
48, who can not.

If you do not live in fear or death
by bombardment, armed attack,
landmines,
or of rape or kidnapping by armed groups,
then you are more fortunate than
20, who do.

In one year,
1 person in the village will die,
but, in the same year,
2 babies will be born,
so that at the year's end,
the number of villagers will be 101.

If you can read this e-mail,
that means you are thrice-blessed.
First, because someone thought of you,
and sent you this message.
Second, because you are able to read.

Third, and most important,
because you are alive.

Someone once said:
What you send out
Comes back again.

So
sing from the bottom of your heart,
dance with your body waving free,
and live putting your soul into it.
And when you love,
love as though you have never been wounded,
even if you have.

And love the fact that
you, and
others, live 
here, in this
village.

Perhaps,
if enough of us learn to love our village
it may yet be possible to save it from the
violence that is 
tearing it
apart.

ドクダミママ至言

感謝とは、お礼やお詫びを言って張り詰めた気持ちを楽にすること。

欠けている行方不明のタイルをずっと見つめないことが幸せへの道。

我が子に既に備わっている99個のタイルを見ましょう。

そして世界の人々と比べて自分がいかに恵まれていて

子供たちも恵まれているのか、それに気がつけば

簡単に感謝ができるようになるでしょう。

 

家族は家族でもそれぞれ違います。

それを理解し、あるがままに受け入れることが感謝することです。

ありのままの我が子もそのままで受け入れてあげましょう。

それが我が子に感謝するということです。

それが私たちのところにこの子を送ってくださった神に感謝するということです。

そして感謝ができれば張り詰めた気持ちを楽にさせることができるのです。

 

わたしのつたないブログを読んでくださる読者の皆様、本当にありがとうございます。

心から感謝しております。😁