人気ブログランキングへ (/head>

ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

子供を信頼すること

f:id:MimosaPalette:20200907110517j:plain

がら〜んとした娘の部屋。もう戻ってこないかもしれない。

でもいいのだ。

はるか遠くの空で自分の羽だけで一生懸命飛ぼうとしているのだから。

ただ親は喪失感から放心状態!ああしんど〜。

 

娘が1週間前に家を出た。

アリゾナ州フェニックス市で仕事が見つかったからだ。

三日運転してやっと辿り着いた。

今晩電話をしてみるとアップビートな娘の様子がわかり一人暮らしはうまくいっているということが納得できた。

 

以前に説明したように娘は絵に描いたような聞き分けのいい素直な子供だった。

そんな模範的な良い子で通っていた娘がある日いきなり旋風を撒き散らすようになった。

遅い反抗期だった。

 

わたしのいうこと全てに口答えをしていた。

ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う、で典型的な反抗期に突入したのだ。

この変貌!ああお恐ろしや。

 

どんなに穏やかに語りかけても

返事は常に「ない」か、「生意気」か「機関銃」か「にらみ」だけ。

友達のところに入り浸りでいつ家に帰って来るかもわからなかった。

アメリカは犯罪の国。

危険なので当然親は心配していた。

 

親の干渉がたまらなかったのだろう。

だから徹底して反抗していた。

 

でもあれは自立の兆しだったのだ。

 

娘は、兄が全員育てにくいタイプだったため、

親をがっかりさせないようにとにかく聞き分けがよかった。

そのため、娘の人生は健康の問題を除けばかなりスムーズに進んでいた。

わたしと夫は娘を「天使」と呼んでいた。

 

その天使がいきなり反抗するようになった。

ショック!

この子には絶対ないと思っていたのに!

 

今思えば

娘は息苦しさを感じていたのだ。

親をがっかりさせないために、悲しませないために「良い子」を演じることに疲れたのか。

 

わたしは「仲良し親子」だと周りには自慢していた。

娘が可愛くて仕方がなかった。

そして聞き分けがいいことに、

娘の人生に今後も介入して生きたいと(ズーズーしくも)

当たり前のように希望していた。

 

こういうのを「一卵性母娘」と巷では言うらしい。

母親と娘が共依存するケースだ。

このため娘は自分らしさを喪失して行く。

 

別にわたしは娘に自分らしさを失って欲しいわけではない。

けれども好き勝手にしていいというわけでもなかった。

 

そんなに厳しくしたとは思っていなかった。(結構甘かった気がする。が、それは親側の意見で本人はそれは違うと言うかもしれない)

全ての言動に目を光らせていたわけでもない。

それでも娘にとっては本人の成長を阻む敵だったのだ。

娘は親を喜ばせることと引き換えに、自分の声が聞こえなくなっていたのだ。

 

外に出した方がいいと強く感じた。

実家にいれば干渉ゼロというのは無理だ。

親の目の届かないところで生活すれば大きく成長するに違いない。

 

本人も自立したかったのだろう。そのためコロナで就職氷河期の中でも就活に必死になった。

そしてめでたく一社に受かり雇用契約書に無事サインをすることができた。

だが問題は場所。

えらく遠いし非常に怖い犯罪都市!

それにコロナは収束していない。

どうしたらいいか。

 

何が待ち受けていようとも行かせるしかない。

それに本人の選びなのだ。

だから娘の自由意志を尊重することにした。

 

娘は家を出るその当日でさえ態度が悪かった。

無愛想で可愛げゼロ。

普通は涙のお別れとかあるのだろうけど、私たちの間には全くなかった。

一応こちらからハグをしたが娘は見るからに嫌そうな顔をしていた。

 

はっきり言って無性に悲しかった。

わたしたちの関係は修復不可能に見えた。

このままずっと会わないような気がしてならなかった。

 

ところが!

娘は西部への移動中に段々変わっていった。

運転に付き添った夫に用事で電話をした際、娘と話したいかと聞かれたので、特に話すことはないからと電話を切ろうとした。

すると助手席から「え〜?ママと話せないの?そんな〜悲しい〜。」と言っているのが聞こえた。

え?二度と母親と話をしたくなかったんじゃないの?

 

数日後の仕事初日に再度電話を入れてみた。

 

すると

なんと

 

昔の娘に戻っているではないか!!!!

 

行かせてよかった。

やっぱり一人にならないとだめなんだよね。

 

そして娘に伝えた。

自分の人生を生きていいよ。

好きなようにしていいよ。

信頼しているから大丈夫。

と。

 

娘は自分なりに自分で決断して自分の人生を切り開こうとしている。

それを誇らしく思う。

もちろん親の期待とはちょっぴり離れているが、それでよしとすることにした。

 

子供を信頼して遠くから黙って見守る。

それは子供が何かに挑戦するなら真っ先に応援すること。

でも手を出しすぎない。

突き放して自分の力で飛ばせる。

それは愛情がないということではない。

愛しているからするのだ。

 

それが親の本来のあるべく姿なのだ。

それが子供を信頼して遠くから黙って見守ることを意味する。

それには心に痛みや苦しみを伴うこともある。

 

 それは親の子供への愛がいかに深淵で真実であるかを証明しているかのごとくだ。

 

ドクダミママ資源

子供を信頼して遠くから黙って見守る。

それは子供が何かに挑戦するなら真っ先に応援すること。

でも手を出しすぎない。

それが子供を信頼して遠くから黙って見守ること。

これが本当の愛情。

 

もっとも子供の年齢によってどこまで飛ばせてどこまで自主性を重んじるかは異なる。

そして子供の個性によっても異なる。

だからケースバイケースで対応することが望まれる。

 

子育ては綱引きのようで、いつ引っ張り、いつ力を弱めるか、

この微妙な加減が難しい。

様子を見ながらの綱引きだ。だから試行錯誤がとても多い。

でもそれしか方法がなく、それでいいように思う。