人気ブログランキングへ (/head>

ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

タフラブ〜厳しい愛

 

f:id:MimosaPalette:20200619063103j:plain

(出典:https://www.thefix.com/content/ask-expert-does-tough-love-work

助けないことも助けるうち

親は子供を愛するとその子のためになんでもやってあげたいと思うものだ。

まさしく奉仕の精神200%!

でもこれが良くない時もある。

それは愛が甘やかしになる時だ。甘やかしは愛ではない。

甘やかしは子供を潰してしまうのだ。

 

私の夫は次男が大学で遊びボケていて単位を落とすことが何回か続いたので、約束通り学費援助打ち切りを発表した。その後息子はアルバイトをしながら学生ローンを抱えやっとこさ大学を卒業した。彼が何を学んだか?それは、失敗した理由が自分にあるなら、助けてくれる人は誰もいない。だから次からはちゃんとやろう、だった。けれどもこの失敗から未だに起き上がれないでいる。親はしんどいが手を貸さずただひたすら見守っている。

 

娘を甘やかす親はアメリカにも捨てるほどいる。女の子だからという理由だけでだ。可愛いから冷たいことが言えないし出来ない。中流家庭では自動車も親が買い与えるケースがほとんどでもちろん娘に車代を払い戻せなどとは言わない。自動車保険だって親が払う。友人の一人は娘の大学入学祝いにレクサスの新車を買い与えていた。

でも我が家は自動車は自分で買いなさいと言った。でも本人にそんなお金はないので親であるわたしが中古車を買った。中古車で充分。なぜ新車を与えないといけないのか。高級新車イコール深い愛情?違うと思う。ただ単に甘やかしているだけ。もっとも経済的に余裕があるなら別に構わないかもしれない。

早速5月に親へ借金の支払いが開始された。自動車保険も当然自分で払っている。別にそのお金を返してもらいたいとかそんな気持ちは毛頭ない。ただ本人にしっかりしてもらいたいからそうしているのだ。

現在娘は親への借金の支払いと自立のため一生懸命仕事をしている。

そもそも、わたしが娘の高い学費を払ったのは教養のある主婦になってもらうためではない。仕事についてもらうためである。だから生活費が足りなければ自分の学位と知識と技術と才能を活用して稼ぎなさいと言ってある。

それでもこんなことを言うことが辛いと感じるのはわたしだけでないはずだ。

内心は「そんな車の代金なんていらないよ。プレゼントだよ」と言ってあげたいのが山々だ。でも決して言わない。

かなり突き放さないと自立しそうもない子供たちには、わざと助けないで厳しくするしか他に術がない。

でもそれでいいのだ。

なぜなら助けないことも助けるうちに入るからだ。

 

裸足で歩く

最近、わたしは裸足で散歩を始めた。外ではいつも底の厚い運動靴などを履き、家の中では靴下を履き柔らかい絨毯の上を歩いているわたしの足は、心地よい生活しか知らない。だから思い切り靴を脱ぎ靴下を脱ぎ、石ころだらけの道路を歩いたら、当然耐えられるはずがないのだ。最初は歩けないと思った。怪我をすることを恐れていた。でも無事家までたどり着くことができた。

やった!できた!

なんという達成感!

そしてなんという開放感!

 

その後はこれが病みつきになりこの裸足での散歩を続けている。

そのことにより、感性が鋭くなってきたようにも感じている。

 

子供の成長もこういうものかもしれない。

この自分の足のように甘やかして柔い環境にずっと置いておくと赤ん坊のようで柔らかすぎて硬い試練に遭遇すると耐えられないのだ。でもそれでも少しずつ進んでいけばいずれは慣れてくるものだ。

子供もいつかは慣れる。厳しい歩みに。でも親がそれを止めようとしてはダメで、靴を脱がし、靴下も脱がし、荒々しい世の道に(少しずつ)送り込まないといけない。

子供の生活をあまりにも心地よく整えてしまうと子供は成長できないし強くもなれない。弱い人間はこの世では生きていくことがしんどくなる。甘やかすと結局、子供の後々の人生に悪影響を及ぼすのだ。

 

動物の子育て

子育ての一番の目標は子供を自立させることだ。

動物は皆やっている。

じゃあ人間は?

 

どうも人間だけが子供の自立をうまくできないようだ。

動物の親も我が子が子供の時は厳しい自然の中で生きていけるようにとトレーニングをするし躾もする。牙をむき出して怒ることもある。守るだけではない。

親を離れてから、もし親の言ったことを無視して勝手に生きるなら命を落とす危険が待ち受けている。実際そういうケースもある。

人間の世界も同じだ。親の教えてきたことを無視する人は社会で失敗したり、命を落としたりもある。それは避けることのできない原因と結果の法則で仕方がない。親は教えることは教えた後は子供を信頼し任せるしか術がないのだ。

うまくいかなくとも本人のせい。

それが自然の厳しい掟なのだ。

 

ラフラブは難しい

可愛がるだけが愛ではない。

慰め慈しむだけが愛ではない。

厳しくすることも愛。

 

それは親にとって思ったより難しい。

その訳は親は子供が苦しんだり失敗したりすることを見ていられないからである。

それでも厳しいことを言わないといけない時もある。

助けてあげれない時もある。

我が子が転ぶのを黙って見つめているしかできない時もある。

突き放さないといけない時もある。

自然に任せ、そこから自分で学んでもらうしかない。

 

どんなに望んでも、子供を全ての試練から守ってあげることはできないのだ。

 

助けられるとわかっていて、それをしないことははっきり言ってしんどい。

でもそうするしかない時もある。

そんな時は全てを受け入れ、現状に降伏するしかない。

親の手を借りずに人生を開拓しようとしている我が子の将来をただひたすら信じてあげるしかない。

なぜなら親の見えないところで事物が動いているからだ。

それがどういう風にどこで動いているかはわからない。しかしこれは真実である。

 

だからそれをひたすら信じるしかない。

祈るような気持ちで我が子の成長を願うしか親にできることは残っていないのだ。

そう思うとき、悔しさで涙が溢れるかもしれない。

挫折感と敗北感にさい悩まされるかもしれない。

 

それでも、

全てのプライドを捨てて白旗を掲げないといけない時もあるのだ。

そしてただ影で見守り、希望の光を携えていくしかない。

 

ドクダミママ至言

可愛がるだけが愛ではない。

慰め慈しむだけが愛ではない。

厳しくすることも愛。

それは親にとって思ったより難しい。

 でもそうするしかない時もある。

 

親の見えないところで事物が動いており、ただそれがどういう風にどこで動いているかはわからない。

けれどもこれが信じられるなら希望を持つことも可能。

それも信じられないなら白旗を掲げよ。

そしていつか我が子がこのタフラブを理解してくれる日が来ることを信じよう。