わたしは息子たち3人に"terrible mom(ひどい母親)" となじられたことがある。
謝罪
とうぜん謝った。
謝ることが人の道だからだ。
また謝って帳消しにしてもらえるならそうしてもらいたかった。
人間だから間違いは起こすことは仕方がない。
人間は感情の生き物で感情に任せて怒ることなどよくあることなのだ。
どんな理由にせよ間違いは間違いであって相手を傷つけたことは事実だ。
だから頭を下げた。
謝ったのは一回だけではない。
そのたびに謝ったし
まとめて大人になってからも再度謝った。
手紙に反省の気持ちをしたためたこともある。
それでも息子たちはわたしのことを完全には赦してはくれないのだろう。
なぜか心のどこかにその嫌な思い出を大切な宝物のように保管し続けていたいようだ。
長男はゲイのことで親に散々迷惑をかけたことを認識しているので、お互い様だと思っているようでもう何も言わない。
次男は今もずっと根に持っているようだ。自分にも非があることはわかっているが親の前では認めたくない。
三男もお互い様と思っているようだし今は触れないようにしているよう。
お互い様
そうだ。
お互い様なのだ。
いつも子育ての専門家が騒いでいるように全部親のせいというのもアンフェアな感じがしてならない。
子供の目線だけというのはおかしい話ではないか。
(確かに弱者だから立場が弱いというのはわかるんだけど。。。)
子供は親に謝罪を要求するが、では子供は親に謝罪をするだろうか。
わたしは長男にひどい親と言われて謝ったが、その後
「それではあなたはどのくらい完全な息子でしたか?」と聞いた。
息子はその質問にびっくりして何も言えなくなった。
親だって子供に対して根に持っていることはある。
でも、子供がそれを認識した時、果たして親に対して謝りたい気持ちが湧くだろうか?
子供のために人生が破滅する親もいる。
子供のためにストレス性の病気にかかる親もいる。
そのストレスで死んでしまう親もいる。
意図的に自殺を企てる親もいる。
子供のために経済的な苦境に立たされる親もいる。
犯罪に手を染めてしまった子供を持つ親などは世間に顔向けできず引っ越しを余儀なくする人もいる。
子供のために仕事を変える親もいる。
親だって耐えていることが(かなり)多い。
何があっても、どんな状況においても、笑い飛ばせるような大きな器の人間になり天使のような広い心で対応するのが理想的な親の姿なのだろう。
それが正論だということは認めるとしよう。
では、果たして何人の人がそんな親になれるのだろうか?
もしそのように親側の恨みを言われて何人の子供が親に頭を下げるのだろうか?
親のせいにしている子供のほとんどは下げないと思う。
それは、子供への犠牲と幸福の保証は産んだ親の責任であり、当たり前だと思っているからである。それは子供の権利であると思っているのだ。
子供は親を選べないという概念
子供は親を選べないのだから親が全て悪いと言う人もいる。
わたしはそれは違うと思う。
子供は自分の親を選んで生まれてきたのである。
この親の元に生まれて勉強がしたいから是非行かせてくれ、と頼んで生まれてきたのである。この親でないとどうしても学べないことがあるのだから、と自分で決心してきたのである。
著名なウェイン・ダイヤー博士も語っていた。
彼はデトロイトで生まれ父親は彼が3歳の時に家族を捨てた。
その後父親は服役を繰り返し家に1ペニーも送ってくることはなかった。
母親は子供を育てることができず彼は孤児院と里親宅で子供時代を過ごした。どのくらい母親と生活したかは定かでない。だがこの境遇をバネに後に大成功をおさめた。
それはこの境遇を覆すかのごとく彼は人生を変えるための努力を惜しまなかったからだ。親を憎む暇があったら努力に時間を割いた。
彼が言うことには「人生には偶然はない」のだ。
全ては縁であり人と人が出会うことになっている。
また人生で起こる全てのことは学習の題材なのだ。
だから学習の題材に文句を言ってどんな益になるというのだろうか?
それよりこの学習の機会に感謝すべきではないだろうか。
ダイヤー氏は子供時代の経験を学習と見ており結果的にその経験を生かした職業についた。
これは自分の人生に責任も持った一例であるが、世の中にはこのような卓越した人が沢山いる。そのような人は順風満帆で苦労ななかったわけではなくかえって苦労続きの人がほとんどを占める。その苦労に負けずに生きた人がのちに尊敬される人と言われているのではないだろうか。
楽な人生に面白い話などない。
そんな人の話は誰の役にも立たないのである。
彼の例は、どんな親の元に生まれてきても人生を開花させ、自分を変えることができるという証明になる。
子供は親を選んでくる。親もこの子を頑張って育てますと(神に)約束をして子供はこの世に誕生する。それなら、この縁には深遠な意味があると思えて仕方がない。
甘え
子供が根に持っていることを親にぶつけることは半分親に対する甘えであるように見える。信頼であるという人もいる。
何を言っても許されるだろうと思っているのだろう。または、こんなことを言っても自分を受け入れてくれるかどうか試しているに違いない。
親は子供を喜ばすことばかりはできない。子供が危険に遭遇しそうになる、もしくは現在遭遇していると思ったら命をかけてでも辞めさせないといけない時もある。それが親の仕事でもある。ライオンの母親も牙をむき出しにして我が子にいけないことを教えている。そう言う時が必要な時もあるのだ。
親にいつも虐待を受けていた子供の場合は、これは親が確実にいけない。でもその親の親もおそらく同じような人間でその負の連鎖が繰り返されただけなのだ。
その言う点から見れば親だって可哀想なのだ。みんな重たい手荷物を持って生きているのだ。人を理解する時にはこのような深いところを見ないといけないのではないだろうか。皆悲しみや苦しみを抱えた不完全な人間なのである。
ということは親だけに完全を望むのは間違いかもしれない。
互いにその不完全さを赦しあってこその親子関係で、答えはそこにしかない。
互いに相手の非を指差しても何のいい結果も得られない。
更に、いい大人が親に謝罪してもらいたいと考える時点で子供にも責任がある。こういう場合は一般的に、人生が思うようにいっていない人が多い。だから自分のうまくいっていない人生を親のせいにするのだ。
結果を出せなかった責任を他の人のせいにしても同情などしてはもらえない。
甘えていると思われても仕方がないのだ。
環境だけが影響するわけではない
日本にも多くの社会問題が存在する。その多くの社会問題は家庭に起因することが多い。要するに壊れた家庭のことを指す。そんな家庭で育った人の親への恨みは深い。
でも比較的中流家庭で育った人の中でも親への恨みは絶えないようだ。
よく聞く例でこんなのがある。
こんな勇気のない人間になったのは親のせい。(自分で行動しないから勇気が出ない)
大学に行けなかった/卒業できなかった、のは親のせい。(自力で行く人もいる。余計なことをしていたので卒業もできなかった)
留学したかったのに費用を払ってくれなかった親が悪い。(自分で働いてすれば?)
やりたいことにお金を払ってくれなかった。(大人になってから自分の稼いだお金ですれば?)
親がコントロールしすぎて自分が何がしたいのかがわからない。(行動力に欠け優柔不断な子供だったか、選択肢が悪かったかで、いまいち頼りないので親はそうした可能性が高い。親の決断に反抗しなかったということはそういう性格でもある。年齢による)
などなど。
要するに育て方と家庭環境が悪かったからこうなったと言いたいのだ。
愛情不足だと言いたいのだ。
100%違うとは言わない。
ただし、この考え方は生まれてきた時にゼロの状態で生まれてきた場合は正しい。
けれども子供を産み育てた人なら誰でもわかるように、赤ん坊は性格も才能も全てゼロの状態で生まれてくるわけではないのだ。
人間は誕生の時点で既にプログラムされている部分があり、それに逆らうのは難しい。
おとなしい赤ん坊はおとなしい子供になるし、結局おとなしい大人になる可能性が高い、外向的かどうかや食べ物の好みなども生まれつきだ。どのくらいガッツがあるかも生まれつきが大きいように見える。それを反対の人間になるように育ててくれなかった親に文句を言っても始まらない。
いつも怒られてばかりだったから勇気のない大人になった!と言いたいかもしれない。
怒られてばかりでも、それを跳ね返すような勇気の塊のような人もいる。
この違いは何なのだろうか?
だから親を恨んでいる子供はこんな意味のないことはさっさとやめたほうがいい。
そして子供から恨まれている親は、100%自分のせいであると思わないほうがいい。真実それはありえないからだ。
ドクダミママ至言
親の立場にある方へ:
自分に非があると思い、もし子供がそれを望んでいるなら、謝ることも考慮すべきかもしれません。そして赦しを乞うことがいいと思います。
でももし謝っても赦してくれなければそれは子供側の問題です。
子供が赦してくれてもくれなくとも、自分が謝ったなら、自分をも赦し、前に進むべきです。あとはより大きな存在に全てを委ねて勉強させてもらったことに感謝をして生きていくことが平安への道なのです。そして貴女のストレスの原因となった我が子を受け入れ赦すことです。
子供の立場にある方へ:
親のしたことがどのようなものであったとしても親を赦してあげることしか心の平安への解決口はありません。それをしない限りは一生苦しみ、恨みつらみで人生を終えるでしょう。それが嫌なら、幸せになりたいなら、今それを手放すしかありません。
生きていく中でいらない感情の一つに恨みというものがあります。
そんなものはさっさと捨ててしまいましょう!
(と自分にも日々言い聞かせているのですよ。ああ〜困ったもんです。はい。)