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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

よい母になる条件

 

良い母になる条件とはなんだろうか。

当然、誰もがいきなり理想的な母になれる訳ではない。

でも、条件が満たされているというか条件に近い人はいるように思える。

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理想的な母という神話。(出典:https://www.newyorker.com/business/currency/selling-the-myth-of-the-ideal-mother

いらない条件

一般的に様々な特技を良い母になるための条件と考慮している人が多いようだ。

でも、

良い母になるためには

 

ピアノが弾ける必要はない。

歌が歌えなくてもいい。

子供の服を縫ってあげれなくてもいい。

料理が得意でなくともいい。

クッキーやケーキが焼けなくともいい。

手編みの靴下を編めなくてもいい。

絵が描けなくともいい。

高学歴はいらない。

博学でなくともいい。

勉強を教えられなくてもいい。

外国語をしゃべれなくともいい。

作文が上手でなくともいい。

運動神経が鋭い必要もない。

掃除や整理整頓が得意でなくともいい。

 

上記のことはできるに越したことはないだけで必須条件ではないのだ。

 

では良い母親になるための必須条件とはなんだろうか?

 

よい母親になる条件

つまり、

1。忍耐

2。思いやりの心

3。体力及び健康。

これだけ。

 

上記が満たされるなら、母親の務めをかなりよくできること請け合いだ。

だが、この三つが最も難しいときている。

 

わたしは、上記の三つを満たしていなかったどころか、はっきり言って全部欠けていた。

母親にこの要素が欠けると子育てに失敗しやすい。

だったら子供を産む前に訓練を積めばいいのではないか、と思うかもしれない。

傾向と対策だ。

 

条件を満たさず親になる

けれども、大体がこのような特性が身についていない状態で、つまり準備が十分になされていない状態で親業が勝手に開始されてしまうものだ。

そして予想もしなかった子育てが始まる。

 

親業は、「実地訓練」の繰り返しなのだ。

実施訓練なので試行錯誤が多く、結果的に失敗も増える。

それでいつかマスターできればいいのだが、悪いことに、ずっと試行錯誤が続いてしまう。

特に自分の親がとても理想的な場合は、経験があるので同じように理想的な親になれる確率が上がる。その反対の場合はそれに比例した結果が起こりやすい。

じゃあ、条件を満たしていない人は子供を産むべきではないのだろうか?

それに賛成する人も多くいるのは知っている。

実際に自分自身も「産むんじゃあなかった」と後悔したこともある。

それは、子育てはどの面をとっても自分の経験外で能力以上のタスクだったからだ。

 

本当に最も理想的でよく準備された女性だけが産むという法律ができたならどうなるのだろうか。名付けて「出産規制」。

もし現実化するなら、子供を産む女性の数は大幅に減ることだろう。

そして悩む母親の数も減り、児童虐待などもなくなるだろう。個人及び社会全体に良い影響を及ぼすかもしれない。

でもその反面、社会が機能しなくなる恐れも考えられる。

 

親になる本当の理由

思うに、ほとんどの親は理想的な親になどなれない。そしてそれは仕方がないのだと思う。また特別なケース(DVとか)を除いて、その方がいい時もある。

それは子供は不完全な親のところに産まれてきて、そこで苦労して学習の機会が増えるからである。そして親を含め全ての人間は不完全であることを学び、そこから忍耐も学び、赦しの機会にも恵まれる。

親は親で、悪戦しながら人間的に進歩を遂げていくのだから、

子育てが魂の成長の機会につながる。

 

では、なぜ魂が成長しないといけないのか?

それは気がついていなくとも人間というものは成長したいと思っているもので、自分が成長できる経験を知らずと選んでいることが理由にあげられる。

子育てもそれに含まれる。

 

そして数多くのこの世での学習の中で最も大切な学習は「愛する能力を高める」学習といっても過言ではない。

まさしく、この世に生まれてきたのは愛について学ぶためで、

人は親になることによってこの「愛」というものを最も効果的に学ぶことができるようだ。

 

おわかりのように、自分を嫌な目に逢わせない人を愛するのは誰でもできることで、簡単なことなのだ。その反対に、自分をイライラさせる人や怒らせる人を愛することはとても難しい。

それができるようになるための訓練を積むために生まれてきたのだ。

なるほど。

でも残念なことに、この訓練は難しく一日二日では終わらない。ずっと続くのだ。

 

それなら、良い母になる条件は簡単に満たせるものではなく、一生かけて満たしていくものではないだろうか。

だから今理想的な母でないと思っても、まだ終わっていないから大丈夫。

母業は結果だけでなくその過程も大切なのでは?

 

全ての事物は常に移り変わる

わたしは、三つの条件をまだ満たしていない。でも当初に比べると自分が変わってきたことを感じている。

1。忍耐:子育てが始まった時に比べると忍耐力がついてきた。

2。思いやり:子供に対しても同じ道を歩む他の親に対しても以前より思いやりが身についてきたと思う。親にならなければ親の気持ちはわからないもの。つまり人の気持ちをくむことが以前よりできるようになってきたかもしれない。

3。体力。これは年齢的な理由で下降線をたどるばかり。

体力がなくなってきたので、子供のことでいちいち目くじらをたてる元気もなくなってきたので、一見忍耐があるように見えるらしい。本当はただ疲れているだけ。

その点から見ると、体力がなくなることもいいことかもしれない。

 

母は今完全に条件を満たしていなくとも、魂の成長に向かって日々歩んでいることは確かなのだ。でも自分ではその成長があまりよく見えなかったりする。

覚えておくべきことは、どんなにゆっくりでも、いつも同じところにいるわけではなく現状がずっと続くわけでもない。子供も今の状態がずっと続くわけではない。その度に親側は調整を要求される。そこが難しいがいつかは慣れる。

 

全ての物事は常に移り変わっていくものだ。

今だけを見つめていると辛いことが多い。だから一瞬一瞬事物は変化していることを自分に言い聞かせ、子育てを通して人間としての成長を楽しみに生きていくことが乗り越えるコツかと思う。

 

良い母になる条件は現在進行形で今満たしている途中と思うこと。

今理想的な母に慣れていないと落ち込んでも、子供が一向に立派にならないと見えても、実は見えない成長を遂げていることが多い。

 

 This shall pass. (これもいずれは過ぎるはず)

とわたしは子育ての試練の場に立たされるたびにこのフレーズをマントラのように唱えている。

 

ドクダミママ至言

貴女が親になりたかったのは魂がもっと成長したいと思っていたから。

最も学びたかったことは最も崇高な「愛」という課題についてで、人を「愛する能力」を高めたかった。

貴女は「愛」について学習するために親になった。

よい理想的な母になるには一生を要する。

現在進行形で条件を満たしているから大丈夫。

事物は常に移り変わり同じところに留まってはいない。

だから今の状況もいずれ変わる。

見えない成長をどこかで遂げていることを信じる。