子供のために生きることは問題ではないと思う。
普通ほとんどの親は子供のために一生懸命いろいろなことをやってあげるものだ。
それはどういうことかというと
子供の必要に応じることであると思う。
例えば、
病気の子供の看病をする。
宿題を助けてあげる。
相談に乗ってあげる。
健康管理をしてあげる。
など。
でも実際は親はこれ以上のことをしているはずだ。
そして子供のために生きるだけではなく
子供を通して自分の人生を生きるようになるケースも多々ある。
子供を通して生きるということは
つまり、
子供の喜びが親の喜びの全て
子供の成功が親の成功の全て
であるかのように生きることを指す。
すなわち、
自分を子供の中に見いだすこと。
子供と自分の存在をダブらせること。
子供に自分が成し遂げられなかった夢を託すこと。
自分の理想としていた(でも叶わなかった)人生を子供に生きてもらうこと。
などを意味する。
彼らにとって、子供は自分のエクステンションだから子供の喜びや成功は自分の努力の成果であって当然なのだ。
つまり彼らの子供は自分自身と同じなのだ。
子供が喜ぶのを見て喜ばない親は普通いない。
でもそれが全て、というのがまずいのではないだろうか。
そして、子供の成功が親の成功というのはプレッシャーのかなり高い子育てになりうる。
成功すればいいが、もし成功しなかったらどうなるのか。
それは親も成功をしなかったということになる。
そうなった時にはどんな結果が待ち受けているのだろうか。
親業にはかなりの犠牲が伴う。
これを長くやっていると、親は子供を通して自分の人生を生きることになりかねない。
それには「重たい親」になりやすい要素がたくさん潜んでいる。
子供にとってははっきり言って負担である。
大体が精神衛生上よくない。
子供を通してではない人生を生きるとは
自分中心に生きると言うことではなく
親は親で自分の成長に焦点を置くことではないだろうか。
そして子供には子供なりの人生をおくらせてあげることではないだろうか。
親は精神的に自立していないといけないのだと思う。
自分の幸せを子供に依存していてはいけないのだ。
親が自分の人生を自分の考えで生きているならその子供は心が楽になるのだ。
親がそうすることは、子供にも自由に自分の人生を選んでいいんだよ、と許可を与えることにつながる。
転びながらでも自分の人生を開拓していくことが許されている子供は親から信頼されていることを知っている。だから勇気があり素直に自由に生きることが普通だと思っている。そういう子供は幸せな子供だ。
氷点という小説を書かれた三浦綾子氏がこんなことを語っていた。
「どんなにその人を愛していても、あなたの200%を捧げてはいけない。あなたはその人をいずれは憎むようになるでしょう。」と。
子供ために200%人生を捧げるということは、普通愛情だけが理由ではない。捧げる限りはしっかり結果も伴ってくれないとその犠牲が台無しになってしまう。
200%の犠牲というのは限界の上のそのまた上を行く。
でも普通親は容易にそれくらいのことをしているものだ。この子の幸せのために、この子の将来のために、と止むところを知らない。
でも、その子供の幸せとは親の知らない別のところにあるのかもしれない。
そしてもしその別の道を我が子が選んだら、親は「子育て失敗」と言うのだろう。
親の目から見て立派にならなかった我が子を指して、親は「裏切り者」と言う。
そんなことを言われて子供はなんと返せばいいのだろうか。
たとえ親が子供にどんなに犠牲を払ったとしても、どんなに愛していても、
子供は親のトロフィーでもないし、親の所有物でもない。
そんな親を持つなら子供は息苦しさを感じるだろう。それと同時に、親を喜ばせられるような結果を出せなかった場合は子供は引け目に感じたり罪悪感を抱いたりもする。
反対のタイプは、親を愛しているから自分のやりたいことを捨ててまでも親の希望に沿うようにするだろう。でもそれは子供の本心ではない。本心でないことを選ばされた子供はあとあとまでそのことで親を恨むかもしれない。親は親でそう思われ続け嫌な思いをする。
両者が不幸になるのだ。
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私は子供のために生きたと思う。そして子供を通して自分の人生を生きた。
もちろんそれにはそうしないといけないような背景があり、結果的にそうなってしまったからだ。でもそれをとても後悔している。
私はある意味で重たい母だった。もっと軽やかに生きればよかった。
だからちょっと(かなり)遅いけど、今軽やかに生きようと毎日跳ねまくってま〜す。
でも最近体が重くて、いまいち跳ベな〜い。汗。
ドクダミママ至言
自分の人生を子供を通して生きてはいけない。
親は精神的に自立すべきで、子供に執着したり無理な期待をかけたりしないこと。
子供には子供の人生を生きさせてあげること。それが本当の愛情というもの。それが本当の犠牲心。