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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

年相応という化け物

親に襲いかかる最も危険で狂暴な化け物とは

年相当という言葉。

その化け物は巨大で、親が悩めば悩むほどパワフルになる傾向がある。

そして親が恐怖で動けなくなる原因となる。

 

この化け物とは他でもなく

同年代の子供と自分の子供を比較すること。

これさえやめれることができるなら、子育てはかなり楽になるはずだ。

 

親は常に他の子供と自分の子供を比較する。

平均より進んでいれば

喜び

少しでも遅れていれば

焦りを隠せない。

そして「並のレベル」に追いつかせるように様々な策を構じる。

 

親の献身的な努力により少しは追いつくことが可能である場合もある。

けれども

それには取り返しのつかない副作用が伴うこともある。

 

我が子は遅れているという恐怖は親の心から離れることはなく

どうにかしようとする焦りは隠すことができない。

その恐怖感と不安は親の体からオーラを通して放たれ、

子供は全てを読みってしまうからだ。

 

親の努力は、子供に「できない自分」「遅れている自分」を認識されることに拍車をかけてしまう。

 

大体の場合は、そんなに簡単に追いつくことはできない。

だから親はストレスを常に感じることになる。

親がこんなに頑張っているんだから、子供も協力するのが当然、

と子供にもプレッシャーをかける。

だから家族全員の精神衛生に悪い。

結果的に家庭に暗い影を落とす。

最も悪いことに

暗い家庭に育った子供には様々な問題が出やすい。

 

年相応にさせることは果たしてそんなに大切なことなのだろうか。

何歳で何ができるようになるはずという尺度はあくまでもただの平均でしかない。

ということは上も下もあって当たり前なのだ。

 

普通、人はそんな同じサイズの箱の中にしっくりと収まるようにはできていない。

みんな同じというのはあり得ないのだ。

考えても見ていただきたい。

みんな平均的な人ばかりの社会ってどういう社会なのか。

 

我が家には年相応という子供がいなかった。

学力は年齢平均より上という子供が二人。

年齢平均より下が二人。

でも年齢平均より上の子供が全分野で優れていたわけではない。

遅れていた部分もたくさんあった。

年齢平均より下の子供は「学校」の学習は遅れていたかもしれないが、他の面で進んでいた面も多かった。

それが普通だと思っている。

自分自身もそうだから、納得できる。

でも主に学校などの社会がこの化け物を創造し、親を苦しませることになっている。

 

もし文科省またはその道の専門家が決めた平均的な年齢相応という考えを捨てることができれば、親も子供も楽になれると思う。

でも、すごくわかる。

親は競争社会で我が子が立派に生き延びてくれるように願っているものだ。

でも競争よりも、個性を認めて共存社会を築く方が、長い目で見て世の中の発展につながるのではないだろうか。

どんな能力を持った人も社会に必要であり、そのままで価値があるのではないだろうか。

 (でも、親は普通、他の子供が遅れているのは問題なく、そういう子供に理解を示し優しく対応もしてくれるが、我が子が遅れているのは許せないのだ)

 

大体、平均に足並みを合わせるなんて不可能なのだ!

親も自分のことを考えてみたら良い。

親だって無理。

だから子供はもっと無理。

どの大人も無理。

年相応という言葉は自分らしく生きることを阻む言葉であると思う。

 何歳だからこのくらいできて当たり前という考えは捨てないと子育ては辛いものになりやすい。親も周りの目ばかり気にしていて自分らしく生きれない。

 

周りについて行くことがそんなに大切なのだろうか。

それとも我が子の今の幸せが大切なのだろうか。

「恥ずかしくない人に育てる」というがそれはもしかして「親が恥ずかしくないように育てる」の間違いなのではないだろうか?

でもその考え方は間違いなく子供を潰してしまう。

 

何歳で立ち、歩いて、走って、話して、読み書きができ、どこどこの高校に入り、どこどこの大学に入り、どこどこに就職して、と心配は尽きない。最悪なことに、この先もずっとこれが続くのだ!大人になったら大人になったらで、うちの娘はいつ結婚するのだろうか。よそのうちには孫もいる!とこれなんかはとてもよい例だ。

 

こんな風にいちいち周りと比較していたらどんなにしんどいことだろうか。

まさしくいばらの道に違いない!

 

とっても難しいが、

現状で喜んであげれるような親になりたいものだ、

と今も思っている。

そして日々自分に言い聞かせている。

自分の子供にケチをつけないように、とね。

 

ドクダミママ至言

年相応など、そんなものは存在しない。

今の状態でいい。そのままの我が子を受け入れることが最も大切。

世の中に受け入れられるということよりも親が受け入れてあげることの方が大事。