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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

軽度知的障害を抱える息子への手紙

私には軽度知的障害の息子がいる。

その子に私は最近手紙を書いた。

いつか、機会のある時に渡すつもりでいる。

でもそれがいつになるかもまだわからない。

もしかして永遠に渡さないかもしれない。

 

でもせっかく書いたので

今回その手紙の一部(オリジナルは英語)をご紹介させていただきたい。

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カイリー君(仮名)へ

 

初めて自分の腕に抱いた時、そのヘーゼルかかった青い目を見つめた時、

お母さんはあなたに恋をしてしまったわ。

ふっくらしたピンクの頬のあなたは世界の誰にも負けないほど愛くるしくて

心が溶けてしまったように感じたのよ。

あなたは私にとってとっても高価な宝物。

だからあなたがこの世に誕生してくれてお母さんはとっても幸せだったのよ。

 

お母さんにとって、

あなたの乳児期も幼児期も子育てがとっても楽しくて仕方がなかった。

あなたはスイートで抱き心地のいい子供だったわ。

毎晩お母さんのお腹の上で寝ていたわね。

寝付いたのを確認して自分のベッドに移そうとすると泣いていた。

あなたはお母さんの跡ばかり追いかけていた。

二人の間にはとっても強い絆があったことは疑いの余地のないことと、

みんな知っていたわ。

 

ダーラのデイケアセンターでは、あなたはとても行儀がよくて、他の子供たちともいつも仲良くできたのよね。

お母さんが迎えに来る時間を知っていたようで、

5分でも遅れると、ダーラに「僕のママはいつ迎えに来るの?」と聞いていた。

 

でも、

4歳の誕生日の1か月後に弟が生まれて、それであなたは急に変わってしまった。

以前よりイライラするようになって、怒ってばかりで、お母さんにはとても手に負えないやんちゃさんになってしまったのよ。

あなたは意志が強固で自立心が旺盛だった。

自分の思うようにならないと猛烈に癇癪を起こし、

叫びまくり、

棚にある全てのものを殴り落とすほどだった。

お母さんは、それがいつものことだったので、

元に戻してね、とだけ伝えたのよ。

そんなのごく普通の男の子だと思っていたわ。

 

それから、

オハイオのプレスクールで、先生方に呼ばれてこんなことを言われたのよ。

あなたはちょっと学びや理解が遅いし言語の発達も遅れている、と。

外国から来た子供たちがどんどん追い越している、と。

でも体を動かすことは得意で他の子供たちより優っているとも言われていたわ。

 

そんなことを言われてもお母さんは全然心配していなかった。

男の子って最初は遅れているものなのよ。

それに先生方は女の子たちと比べていたわけだし。

すぐに追いつくでしょう。

全然気にしていなかったのよ。

 

5歳になってダックスベリー小学校付属の幼稚園(*)が始まったわね。

担任のトレント先生から、こんなことを言われたわ。

「おたくの息子さんはお行儀が良くてクラスのみんなのとってもいい模範です。」

ってね。

あなたはクラスのみんなにいつも「先生の言うことを聞かないとダメだよ!」

って言っていたんですって。

家での態度とは全然違うので驚いちゃいました。

 

それから1年生に上がり、その時点では問題は見られなかったけれど、担任の先生からは少し問題視される時もあったよう。イライラすることも増えたようだったわ。

2年生になり、学習にはどうにかついていけていたけれど、理解に時間がかかることが目に見えてはっきりしてきたのよ。

でもあなたはいつも誰よりも一生懸命で頑張り屋さんだった。

お母さんはそんなあなたをとても誇りに思っていた。

 

でも学年が上がるとともに、

あなたは本当に学習についていけないようになっていった。

親は交互にあなたの家庭教師を務めたけれど、

手を替え品を替え教えようとすればするほど、あなたは混乱していった。

自分でもわからないことを充分わかっていて、

そのためフラストレーションが溜まっているのが態度に表れていた。

あなたは学べないわけではなかったの。

ただ学び方が違ったのよ。

それから、ある概念を学ぶふさわしい時期が平均的な子供たちとは違っていたのよ。

 

助けてあげたくてたまらなかったけど、そのプロセスで私もがっかりしてフラストレーションが溜まっていってしまった。

お母さんがあなたに怒っているように見えたでしょう?

でもそれは違うの。

お母さんは自分自身に怒っていたのよ。

あなたをうまく助けてあげれない自分自身に対してね。

それであなたの気持ちを傷つけてしまったと思う。

だからお母さんはそんな自分自身のことを嫌いになっていった。

お母さんはすごく忍耐に欠けていた。

あなたがお母さんを嫌いになっても仕方がないと思っている。

お母さんは母という立派な名前には全くふさわしくない人間だと思っている。

 

それでもあなたは毎日一生懸命努力を続けたわね。

そして高校は特別なカリキュラムを持つ学校に入りものすごく大変だったけど、

あなたはこれ以上できないほどの努力を重ね、本当に頑張っていたわね。

頑張っていたあなたを助けようとたくさんの先生方が親身になってくれたお蔭で、

良い成績で卒業できたのよ。あの時は本当に勉強しかしなかったわね。

卒業式の時に表彰台に立つあなたの姿をみてみんな涙をこらえきれなかった。

あなたは本当に頑張り屋さんでした。

 

その後、本人の希望で4年生大学に進むことになって、

でもそこであなたは発見したのよ。

四年制大学はかなり難しいと(**)

大学生活を満喫したかったあなたは、

クラブとかデートとかアルバイトとか、いろいろなことに手を出し始めたのよね。

あなたは自分の人生を自分のやり方で切り開いていこうとしていたのよ。

それは素晴らしいことだと思う。

でも人はそれぞれ違うから人によってはうまくいかないこともあるのよ。

それはやめた方がいいという親の勧めにも反抗して、

自分の好きなように生きるために、結局家を飛び出して行ったわね。

心配だったけど、お母さんはいつも心の中であなたの人生がうまくいくように祈っていたのよ。

 

他の学生は勉学以外にいろいろなことをしてもやっていけたようだけど、あなたは無理だった。そして自分が他の学生より劣っていてゆっくりであるということを、いやおうなしに感じるようになってしまった。

当然勉強する時間は足りず、課題は難易度を増し、成績はどんどん落ちていき、焦りで心はいっぱいになり、ますます逃げるようになっていった。

ずっと今まで頑張って来て、これからも、いやこれからこそが今まで以上に頑張らないといけない現状を見て、あなたの心は打ち負かされてしまいそうに感じたのよね。これ以上頑張れないという気持ちだったのでしょう。

多分燃え尽きてしまっていたのよね。

 

自立心の強いあなたは親の助けなしで、アルバイトもしてデートもして友達とも遊んでと、「普通」にやりたかった。

でもそれは能力以上の賭けだったのかもしれない。

 

あなたは自暴自棄になり、それでもやっとのことで大学を卒業した。

成績もかんばしくなく、ポートフォリオも競争に勝てるレベルではないため、大学の専攻に関係する仕事は見つからず、結局ずっと洗車の仕事とホテルの夜勤をしていたわね。今は会社で2年契約の仕事をしているけど、あと1年半でそれも終わる。

こんな状態なのにこの8月に結婚もしてしまった。

明るい兆しは今のところ何も見えない。

今27歳。

 

親は心配して助言をするけど、助言なんて聞きたくないでしょう。

この間もあなたに「ほおっておいてほしい!」と怒鳴られた。

そこから今までに類を見ないほどの大げんかに発展してしまった。

 

でもわかってる。

自立したいのよね。

大人の男性になるためには母親の言うことなんて聞いていられないものね。

 

母にはもう何もいう権利も義務もなく、黙ってあなたの大変な人生を影から眺めているしかないのです。

それがどんなに辛いことか。

今のあなたにはわからないでしょう。

 

ただあなたのその強固な意志で艱難を乗り越えて行って欲しいと願うばかりです。

いつか人生が好転してくれますように。

せめてこの手紙をあなたが読むときにはそうなっていますように。

どうぞいたらない母を赦してください。

母より

 

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◎息子の当初の知能指数の検査結果は70前後だった。知能指数は変化するので、現在は以前より高くなっている可能性が高い。大学を卒業した時点で90くらいまで伸びたかもしれない。

*注:米国は幼稚園は小学校の一部として組み込まれている

**注:米国の大学は課題数も多く難易度も高く、ついていけなくて辞める学生も多い。教授が一つ一つの概念を丁寧に説明するとかはなく、自分で理解していかないといけない。つまり上位思考スキルが伴わないとやっていけない。