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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

理想なんて

誰にでも理想がある。

理想に生きるとは称賛されるべき生き方だとは思う。

でも理想に到達できなかったときはどうなるのか。

 

理想とは、確かに人間を成長させるものであるが、

反対に働くときもある。

時に母業に対しては。

 

わたしは理想などとっくの昔に捨ててしまった。

なぜか?

それは、

自分の子供たちが最初から絵に描いたような理想からはかけ離れていたからだ。

もっと最悪なことに、自分自身も子供以上に理想からかけ離れているときている。

そんな人間の集まりが理想を唱えてどうなるというのだろうか。

理想に生きるなど、無理に決まっている。

 

でも目標や理想が全くないというのも、大海原に浮かぶ舵のない船のようだ。

だから少しはあった方がいい。

ただそのレベルが問題なのだ。

 

到達できるレベルならあってもいい。

自分の子供と自分自身をよく見据え、どのレベルなら到達可能かを判断することが

正しい(おちこまない)やり方だ。

 

それは陸上競技の棒高跳びに似ている。

少しずつバーの高さを上げていくのだ。

最初は下の方でだんだん上げていけば成功をたくさん見るだけでなく、自分の成長段階もはっきりと把握することができる。

 

わがやの理想は周りの人と比べるなら、まだ下のほうかもしれない。

でも、当初に比べれば少しずつ上に上がってきている。それでいいのだと思う。

勿論、他の家族と比べて、がっかりすることも時々ある。

落ち込むこともある。

ただその頻度が少なくなってきたということには気が付いている。

 

周りと比べずに、自分の速度で自分の高さで満足し、十分に達成感を味わえる。

周りの子供や母親が、

何をしていようと、そんなことはどうでもいいのだ。

それに振り回さることなく、現実を受け入れることができるなら、

落ち込むことも減り、

子育てに対して、

母親としての自分に対して

自信と満足感を得ることができる。

 

自分のケースで行くと

「どうにかしよう」と必死になっていた頃はただジタバタしていただけだった。

真っ暗な海でグルグル回りをしていただけだった。

どこに向かって水が流れているかもわからないので、自分勝手にカイを振り回していただけだった。

流れに逆らってこげばこぐほど、焦りで頭が混乱状態になった。

結果的に子供も親も辛いだけだった。

 

自分も子供もできないことがある、

と現実を受け入れてから精神的に楽になってきたように感じた。

つまり、「開き直る」しかない。

今はここまでしかできない!

でもいいのだ。

 

親は太っ腹にならないといけない。

親がリラックスして子供に接することが一番で

理想などは捨てるべし。

すると知らないうちに子供にもよい影響が行くようだ。

子供のことになると母親は「直そう」とするが、「直したい」と子供が自分で気づくときもある。

本当はそれが一番いい。

もう少し待てば直る時もある。

それは忍耐を要するが、多くの場合はそれしか策がないことが多い。

母親は全部を一手に引き受けて、溺れそうになりやすい。

今日はできない、と認めてもいい。

そんなに自分に厳しくしなくともいい。

そんなに届かない理想を仰ぎ見なくともいい。