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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

子供ことを考えないようにするための最強の方法はこれ!

 

庭で採ったミント。水にどっぷり浸かってます!長く浸かりすぎるとよれよれになってくる。
同様に、子供の事ばかり考えていると、ヨレヨレヨボヨボババアになって来る!😅

 

子供のことが頭から離れなくて苦しい時はどうしたらいいか。

 

理想的には

なるべく考えないようにする!だけど・・・現実は結構これが難しい。😅

 

その場合はこの解決策がある。

つまり!

 

徹底的にその感情に浸かってみる!

徹底的にその子供のことを考える。(無理やり!)

 

今までは中途半端なやり方で、

「ダメダメ、考えないようにしなくちゃ!」とか理想的なことを言っていながら子供のことが頭から離れない人生を生きてきた・・・人が多いと思う。(あたり?)

 

でも・・・こうやって中途半端だとこの悩みの穴から全く抜けれないことが多いのだ。

そして解決に時間がかかることが多い。

 

だから!

徹底的にその子供に対する嫌な気持ちとか未練とかさまざまな感情に徹底的に浸かってみるのだ。

そう一日中!😅

毎日!😅

 

え〜?

もっとやるの〜?

もう勘弁してほしい〜!と言われるかもしれない。

でもこれを続けるとすごいいいことが起きる。

 

つまり・・・

飽きる!😅

 

ここまでくると、

自分の感情を完全に切り替えることができる。

生き方をガラッと変えられる。

 

だから浸かってみる。

ずっと!

 

わたしは浸かった。

そしてある日いきなりその悩みの穴が消えた。

突き抜けたのだ。

 

そしてそれからはほとんど考えないでいられるようになった。

こんなことを考えているのは時間の無駄で

馬鹿らしい!と心の底から思えたのだ。

 

どっぷり浸かって

徹底して考える。

中途半端でダラダラしてだめなの方に

ぜひおすすめしたい。

 

わたしも

いいかげん嫌になるくらい

どっぷり浸かって

やっと突き抜けて苦しみの穴から出られた。

そして自分の人生を大きく変化させることができた。

具体的には

最近自分のビジネスを始めこと。

だから当然子供のことを考えている時間はゼロ。

わからないことばかりで大変だけど、楽しくてたまらない。😅

だから子供のことなんか考えている暇がない。

それにもう嫌なくらい考えたからもうやりたくないわね。

そもそも親が考えてもただ苦しむだけで子供の状況に変化はほぼ見えない。

 

今は子供がどうなろうとそれも全く心配していないし

はっきり言って自分の人生じゃあないからどうでもいいとか本人に言ったら憤慨して怒ると思うので言わないけど・・・

まあ本心はそんな感じ。😅

(神様にお任せしたので、もういいや〜!と言っている😅)

 

突き抜けたのだ。

(つまり悟った!😅)

 

今までのような暗いエネルギーではなく

別のエネルギーによって生きたければ

人生を本当に変えたければ

やっぱり自分の内面が変わらないといけない。

でもそのための方法が人によって異なるところが難しいのだ。

 

人によっては

どっぷり悩みに浸かるっていう手段。

これはどうだろうか?

 

ドクダミママ至言

悩みから抜けられない人は

いっそのことどっぷり浸かってみる。

そうすればいずれは飽きる。

飽きたら自然に新しい人生を生きられる。

決断の時は今(わたし決断しました!)

今日は霧雨で底冷えがする秋。早速暖炉に火を灯した。
心の炎が鎮火しそうな時は人生の岐路に立たされている証拠。
一つの炎が消えても他の炎を点火すればいい。

最近大きな決断を下した。

世の中の事件もその決断に拍車をかけたのかもしれない。

 

まず露国のミカイル・ゴルバチョフ氏が8月30日に亡くなり、

英国のエリザベス女王が9月8日に亡くなった。

一つの時代が終わったのだ。

 

エリザベス女王は亡くなるほんの少し前に、

自分の子孫の繰り広げるさまざまな事件に翻弄され、かなり悲しんでおられたらしい。

A王子の件も然り、しかし一番気を揉んでいたのはやっぱりかわいい孫のH王子。

彼と彼の妻は王室を離れてからというもの王室のイメージに傷をつけ、その裏切り行為にかなり傷ついておられたらしい。

頼りになる伴侶もおらず、疲れ切っておられたことだろう。

 

実際なくなる直前にこの孫息子とその嫁のことをこぼしておられ、最後に

「もうどうでもいいわ」とだけ言って黙ってしまわれたということだ。

 

私も女王と同じ気持ちだ。

「もうどうでもいいわ」って毎日心の中で言っている。😅

 

こんなふうに誰にでも全てがどうでも良くなる時ってある。

 

私は子供を四人も育て

彼らの大学の学費も払い、

家のローンの支払いにも加担してきた。

 

優しいけど・・・・

甲斐性にどことなく欠け、競争心ゼロ、イマイチ生命力に欠ける夫の尻拭いも担当してきた。

 

家族のサポートにことごとく疲れた、と本当に感じている。

 

そしてエリザベス女王のように

「もうどうでもいい」と口ずさむようになってきた。

 

そしてこれから自分に残されている日数を認識し

ある決断をすることにした。

 

それは仕事を辞めること。

 

それを会社の一部の同僚に伝えるとみんな悲しがった。

会社や仕事に慣れるには時間がかかる。

やっと会社のやり方にも慣れ

そして去る、とは勿体無い感じもしないではない。

仕事もそこまで嫌いというわけではなかった。

ただ「魂が死んでいく・・・」とは感じていたけど・・・。😅

 

迷いながら、叫んでいる心の声に従うことにした。

 

ある日夫にこういうふうに尋ねた。

「残された人生を自分のために使ってもいいですか?」

夫は、(いつものようによく考えずに)「ああもちろんだよ」と答えた。

 

しかし

私が働かないと収入がかなり減ることになる。

それでも「もうどうでもいい」というふうにしか言えないほど心の炎が鎮火していたのだ。

 

犠牲の上に成り立っていた子育て。

それでも孫の顔が見れればそれでもいいと思っていたけど、これも望めそうにない。

それならしたかったけどずっと我慢していたことに余生を賭けたい。

子供たちは、母親がどんなに犠牲を払ってきたかを知っている。

でも、ありがとうの言葉はない。

「親への恩返し」とかそんな言葉も米国には存在しない。

だから我が子にも望めない。

 

今、彼らが言いたいことは、

「ママの望むような人間には所詮なれないから、その期待に応えられないから、

どうぞ自分の人生を満喫してください」らしい。

 

私がニコニコ笑って幸せにしている姿が見たいのだそうだ。

 

それでまだ退職する年齢ではないけど会社を辞めて他の仕事に集中することにした。

とりあえず会社への負担を減らすために会計年度末までパートで勤務を継続することにした。

これで来年度の増税に対応できる。

 

職場の人たちからは惜しまれて辞める。

事務と翻訳をやってきたけど、昨今は翻訳が主を占めていた。

それは社外には回せない類の翻訳業務だった。

 

このまま’なあなあ’で続けてもよかった。

それでも辞める。

 

同僚には「ええええ〜?辞めないで!」と言われたけど・・・それを振り切って辞める。

 

当然去るのは悲しい。

でも自分に素直に正直に生きると決心したのだ。

ちょっと遅いかもしれない。

でも最後にやっと素直になれる。

そのことに心が躍る。

 

なんだ最初からこうすればよかったのに・・・なんでしなかったのだろう、と思う。

 

ただ思うに、母親は最初からこういうふうに生きるって無理なのだと思う。

だからちょっと遅いけど今から自分に正直に生きる。

嫌なことには「嫌です」と言える人間にやっとなれる。

 

ほんのちょっとだけわがままに生きることを許してください。

 

「長い物には巻かれろ」人生は一見賢いようだけど、

終わりの時に後悔する生き方のように思える。

一つの時代が終わりを告げ、新しい時代に突入するように

勇気を振り絞って居心地のいいぬるま湯から抜け出る勇気。

その勇気を偉大な人物の死からいただいた。

 

ドクダミママ至言

人生の岐路に立たされる時

思い切って行動することには勇気が伴う。

失敗や後悔は想像するだけで怖いものだ。

他の人を失望させたり迷惑をかけることも嫌な気持ちだ。

でも周りの全ての人を失望させないなんてそんなの無理。

迷惑をかけないなんてことも無理なのだ。

自分を優先させようと思えば周りへの失望や迷惑なんてつきもの。

それが嫌で自分に嘘をついて生きることも人生。

諦める人生も人生。

ただそれを心から喜んでできるならそれは間違いではない。

そうできる人は立派な人でもある。

 

それでも・・・やっぱり・・・

やりたいことをやらないで諦める人生は後悔が多い。

 

余談:

最近、米国は0.75%の利上げが発表され、そんな時、露国の徴兵招集令が発布され、米国株は下落し、皆戦争の規模が拡大しどんな将来が待っているかと不安の面持ちで見守っている。

我が家の三男は陸軍の予備軍に所属しているけど、彼の所属するグループの多くは夏に既に出国していて赴任先は全員’NATO諸国だそう。😅

具体的にはドイツ、ポーランド、バルカン諸国。

息子の訓練はIT・サイバーセキュリティ関係だったけれど、その分野は人数が足りているので・・財務会計を担当されられている。そのため本部勤務で戦地に赴くことはまずない。さらに大学院在籍なのでますますその可能性が低くなったとか・・。

親は戦地赴任を恐れて入隊を反対していたけど、結局あの心配は無用だったよう。😅このように親の不安のほとんどは現実化したないことが多いとは本当のことだった。😅

 

しかし、我が子が戦地の近くに赴任している母はどんな気持ちだろうか。

きっと心配しているに違いない。

さらに我が子を殺戮の地に送るロシアやウクライナの母親たちの苦悩はどんなものだろうか、と思うとこちらまで心が痛んでくる。母は怪我や病気の多い息子の命を守るために一生懸命になって子育てに没頭する。でもそんなことはお構いなしに大人になれば戦地に送られて他国の母親の息子と殺し合いをすることになる。じゃあ、母の今までの努力はなんだったのか。人を殺すために、殺されるために育ててきたたのではない、と思っているに違いない。なんという時代か・・・。😰

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生は短いって本当だった!

 

びっくり猫!
(画像提供元:https://shop06002.davidboydea.com/category?name=猫%20驚き%20画像)

つい先日こんなことを学んだ。

人の人生は平均30,000日だけなのだそうだ。

もっともこれはもし82歳位まで生きたとしたらの話。

その前に亡くなったらそれより少ないことになる。

 

英国のエリザベス女王は長生きされたので最低35,000日生きたことになる。

 

計算方法は

365日 x その人の年齢。

 

みなさんは今まで何日生きてこられただろうか。

そして、残された日はあと何日?(これが恐怖!)

 

実はこれを計算してみて青くなった!😰

ひえ〜私にはもう時間がな〜い〜〜〜!😓

ということはこれ以上無駄にしている日は1日たりもないのだ!

1分もない!

 

そしてさらに、わたしは子育てに何日使ったのだろうか、とも思った。

そしてもっと青くなった!😰

 

なんと!

私は人生の三分の一以上を子育てに使っていたのだ!

私は11000日を子供のことを考えて生きてきたのだ!

 

こわ〜〜〜〜〜〜!😓

 

そして・・・思わずとても嫌な気分になった。

報いがなくとも・・

一日中ではなくとも・・

様々なことを子供たちにしてあげていた。

なんということか!

 

もしかして

これは無駄な歳月だったのだろうか?

 

そんな風に思った。

 

人生は短い。

だから時間を無駄にしないでしっかりやりなさい!と子供たちに言ってきたけど・・・

真剣に聞く子供はいない。

それで気をもんでいた。

でもその気をもむ日々もきっと無駄な日々だったのだ。

 

子供のことで心配していた日は無駄な日で

子供の世話をしていた日々も無駄だったのだろうか?

子供ために働きに行って学費を払っていた日々は?

感謝されなくともご飯をつくり

病気の時は看病をし

運転手を務め

悩み相談にのって

勉強の手助けをした日々は?

 

人はその日々は無駄ではなかったと普通言うけれど、

本当にそうなんだろうか?

 

その数字と現在の結果を比較するなら

とても有意義に過ごしたとは言い難い。

 

数字は嘘をつかない。

だからこの数字はかなり怖い。

 

みなさんも是非計算してみて。

人生は本当に短いことがわかるはず。

 

だから・・・

もう変えられない子供のことで悩むのはやめ!

時間を無駄にすることはこれでおしまい!

過去を悔いるのももう終わり!

どうにもならないことを考え続けることも終わり!

それには時間を無駄にして生きている我が子の事も入る!

(ちなみに、うちの娘と元次男は、世界で起きている全紛争と全問題をクマなくリサーチしていてとっても物知りだ。でも自分のことはなおざりにしている。そもそも問題なんか増えることはあっても消えることはない。だから終わりがない。つまりそればかりやっていると達成ゼロの人生になる!・・・と思うけど言わないことにしよう。嫌われるから。😅今後は時間の無駄が好きな子供たちについて考えるのもやめる。自分の残された日々が勿体無い!)

 

その代わり、今日から1日1日を大切に生きていこう。

残された日々を過去を悔やむことに浪費するのではなく

他人の人生に口出しをしたり思い悩むのことに使うのではなく

 

有意義に

前を向いて

明るく生きていこう!

 

ドクダミママ至言

人生はたったの30,000日。

去りし日々は取り返せない。

やり直せない。

できることは

残りの日々をもっと明るく有意義に使うことだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

みんながやっているからはあてにならない

今回の話は常識について。

 

個人的には常識って本当に面倒な言葉だと思う。

そうは思いませんか?

裏の家のめんどりたち。しょっちゅう無断で侵入!
当然彼らに常識なんてない。だから自由で幸せそうだ。

常識

人はよくこんなことを口にする。

〇〇はするものでしょう?

〇〇しない人はおかしいよね?

常識よね?

 

など。

 

では

この〇〇に言葉を入れてみよう。

 

例えば

学校は行くものでしょう?

そうですか?

行くものですか?

でもコロナで行かなくなったということはケースバイケースもありということよね?

よって「児童は学校に行くもの」はルールではなくなった。

常識ではなくなった。

 

他にもある。

例えばお辞儀。

日本ではお辞儀をするのが当たり前。

でも外国では違う。

だからこの常識っていうのはね〜場所によって違うんでしょ。

みんながやっているって日本での話。

みんなじゃあない。

 

日本はピストルを所持できない国。

でもアメリカはOK.

やっぱり常識や法律も場所によって異なる。

 

この季節になれば〇〇の服を着てこう行動すべき。

歳をとったら派手な色は非常識。

江戸時代は皆和服。行動様式も現代とは遥かに異なる。

だから江戸時代の常識は今に合わないのだ。

歳をとったら派手な色はダメ・・・は日本の常識。

西洋では、派手な方がいいと言われている。

なぜなら老化が進むと皮膚の色もくすんでくるため明るい色を身につけた方がいいからだ。

 

ということは常識はやっぱり時と場合によるのだ。

それと固有の文化に影響されている。

その文化も地方によって異なったりしている。

言葉の違いにも影響される。

 

それなのに

それをごちゃごちゃという人がえらい多い。

他人のこともごちゃごちゃと言う。

 

だから人の目がえらく怖い。

 

確かに犯罪はダメよ。

でもそれ以外はどうだか・・・。😅

 

些細なことを重要視すること

細々としたことは大切である時もあるが’最も’大切な事柄ではない。

つまり周辺(prephery)の事柄であり、焦点ではない。

 

それなのに、そんなどうでもいいことばかりに焦点を置いて他人を裁いている人がいる。

そして自分自身をも裁いている。

馬鹿らしいと思わないだろうか。

 

そもそも考えていただきたい。

自分の住んでいる日本という国がどんなサイズなのか考えてみたことがあるだろうか。

まず地図でも地球儀でもいいらかよく目を開けてしっかり見つめてほしい。

どう?

日本っていう国がどんなに小さかわかるでしょ?

 

まず宇宙を見て。

境界線がどこだかわからないような宇宙。

その中の一つの惑星が地球。宇宙全体から見ればただの点。

その地球の中でもとりわけ小さな国土が日本。

その小さな国土の中にあるより小さな日本社会の中のこれまたもっと小さな日本家屋の中で何が起きていようと世界は全く気にしていないのだ。

宇宙からは地球の中の人間の意識が何に向いているかも全く見えない。

 

Everthing is trivial.

全ては些細なこと。

人間の気にしているこの’みんながやっていることは’めくじらを立てるような重要なことではなく、くだらないことが多いのだ。

 

だからその小さな世界で世間の目(宇宙からは見えない意識)を気にして生きていくことくらい馬鹿らしいことはない。

 

気になるのは所詮日本の目だけ。

 

そんなに日本社会が嫌なら外に出たら良い。

別に日本に産まれたから日本にずっといないといけない法律はない。

世界は広いのだ。

 

世間の風当たりに負けない精神の強さ。

それは村八分文化ではかなりきついと思う人も多い。

そういう人はやっぱりそういう文化を出るしかない。

世界には出る杭は打たれない文化もある。

長いものに巻かれない文化もある。

別の事をやって後ろ指さされない文化もある。

 

でも日本にだって勇気百倍の人もいる。

荒波を立てずに静かに目立たずに生きるのが日本の美徳のように見えるけど、

傑出した人物は日本でだってしっかり荒波を立てている。

 

そもそも、みんながやっていることをしたら安全だけど、

抜き出た人には決してなれない。

もっとも、それがいいならそうすればいいし

それが嫌ならその反対をいけばいい。

 

ただ、反対を行く人の人生はその人の人生であって、それを批判するのはおかしい。

なぜ他人の人生にそこまで口出しをしたがるのか・・・

自分の人生で忙しい人はそういうことはしないものだ。

 

勇気を持って我が道を行く。

そういうことを許容する懐の大きさ・・・それが小さな国には欠けているのかもしれない。

 

’みんな’と言っても’みんな’じゃない

要するに’みんな’がやっていることというのはね〜

自分のコミュニテイの’大多数’がやっているように’見える’ことを指していて、

実は’みんな’じゃあないのだ。

だからその’みんな’がやっていること、言っていることを

まともに聞く必要はないのだ。

 

そういうふうに大人が考えられるようにならなければ、その窮屈さに合わせられない子供は精神を侵してしまうことになる。

 

学校のことを例にとれば、

学校が好きな子供もいるし、合う子供もいる。

でもその反対もいる。

それが当たり前。

 

憲法で保障されているのは「全ての児童が教育を受ける権利がある」だけ。

全ての児童が学校に行かないといけないとはうたっていない。

どんな方法でもいいから基礎的な読み書き算数はできた方がいい。

でも別に’受ける’という受動的な方法以外でも学習方法が存在することを忘れてはならないと思う。

 

だから個人で決める権利は許されるべき。

しかし、人はこの大多数とは違う方向に行く人を否定する傾向がある。

それはおかしいんじゃないの?と。

要するに’いじめ’!

おそらく大多数から出て全く違うことをしようとする人がいると自分の立場が脅かされるから怖いのだろう。

 

彼らは認識していない。

人は皆違うという事を。

 

だから面白い。

みんな同じならロボットだ。

 

物事は刻々と変わっていくもの

みんながやっているからというのは当てにならない。

なぜならみんなが今やっていることは明日はやっていないこともあるからだ。

全ての物事はミクロのレベルで刻々と変わっていっている。

だから現状維持というのは本当の意味ではあり得ない。

 

伝統に引き留めようとする大多数の威力。

それに勝つ強さ。

それを養うことが難しい文化。

それでも物事は刻々と変わっていく。

それの動きには逆らえない。

 

因習はいい加減にやめないと次世代が苦しむ世の中になる。

そう感じている。

 

ドクダミママ至言

みんながやっているからとか

よそ様の子供はどうだとか

そういうことを心配することはやめよう!

そもそもみんなが同じってあり得ない。

みんな違うから社会が回るもの。

足並みを合わせることなんて最も大切なことじゃあない。

 

 

 

 

 

 

臍の緒は透明にした方がいい

画像出典元(https://browntrialfirm.com/birth-injury-lawyer/umbilical-cord-injury/

臍の緒

親子の臍の緒は誕生の時に切られ

親と子供は別々の個体となる。

けれども、これが・・・実際はなかなか難しい。😰

 

足を切断した人などが、なくなっても足がそこにまだあるように感じる時があるというのは

これを指す。

その理由は人の肉体は、肉体から始まるのではなく、霊から始まるからである。

肉体の一部が消えても、霊が消えるわけではない。

霊とは霊視できる人以外は肉眼には映らない。でも見えなくともそこにある。

 

切られて無くなれば臍の緒は見えない。

でもなくなっているわけではないのだ。

臍の緒は消えていない。

そう感じている母親の方は多いに違いない。

それが理由で親、特に母親は、子離れができないのだ。

 

でも・・親と子供はそもそも離れることが不可能なのだ。

 

子供のいない人は「さっさと切れ」と簡単に済ます人が多い。

でも現実は切れない。😰

 

切れないけど、子供はどんどん自己を確立していって

臍の緒は邪魔扱いされ

親は部屋の隅に追いやられる。

それは親にとって辛いことなのだ。

 

一心同体。

それが親が感じていること。

子供も感じている。

ただそれでは子供は自立を果たすことが不可能だ。

だから冷たい態度で親を邪険に扱ったりする。

それが親にとって辛い試練となる。

 

じゃあどうしたらいいのか。

 

透明の臍の緒

臍の緒は透明にしよう。

translucent(半透明)ではなくて transparent(完全な透明)。

 

あるけれど

決してなくならないけど

透明ならそこまで気にならない。

そして子供を自由にしてあげれる気がする。

 

最初はそこまで透明に感じることはできない。

でも時が経つにつれ、透明感は増していく。

でも決して完全には消えない。

それでいい。

それでいい。

消えなくてもいいし

完全に消すものでもない。

 

ただ透明になるのを待つ。

その速度に拍車をかけたいなら

できることはある。

 

1。子供のものを断捨離する

2。親以外の自分の人生の他の使命や目的を探す

3。何も考えない時間を作る

4。日々無意識に自分の考えていることがなんであるか認識する。

5。それが子供のことばかりなら、他のことに置き換える。

 

うちの子供たち

うちの四人の子供たちのうちで用もないのに毎週連絡をしてくるのは三男のみ。

つまり臍の緒でつながっているのは残すところこの三男だけになった。

 

連絡してくる理由はなんなのかはわからない。

でも多分こういうことかもしれない。

つまり、他の子供たちが親に対して冷たいので可哀想だと思っているから。

冷たくすれば、親は遺産相続人のリストから彼の名前を消すかもしれないから。😅

(遺産は動物愛護協会行きにする!残ればの話だけど・・・😅)

 

理由はなんでもいい。

元気かどうか聞いてくれるだけで嬉しい。

ちょっとでも病気になるとうんと心配してくれる。

 

こういった優しさとか思いやりって生まれつきなのだろうか。

 

昨日、この息子の同級生でファイナンシャルアドバイザーをしている人を紹介された。

そして聞かれた。

「息子さんはどうしてあれほどまでに素晴らしい人格者なのですか?」と。

ことあるごとに、彼を知っている人から「立派な人間」と言われてきた。

でも、ここでも言われたので驚きを隠せなかった。

彼の人生経験も去ることながら、やっはり生まれつきなのかもしれない。

 

親から見ると別にすごい人格者でもない。でも同世代の人に比べれば立派な方に入るかもしれない。

ただ言えることは、彼はさまざまな先天的な健康問題を抱えて生まれて、人並み以上の努力なしでは何も簡単に進まない人生を歩み、そこから多くのことを学び今の彼があるのかもしれない。常に突風が彼に向かって吹いていてそれに負けじと向かっていく彼。それをみて心配する親・・・。でもその経験が結果的によく働いたのかもしれない。

 

私と夫は人格の養成に力を入れていた。

日本では勉強ができて有名大学に入ることだけが目標の親も多いようだけど、

将来セレブな生活ができることが夢の人も多いみたいだけど、

(自分の東京の友達にもこういう人が多い・・・😅)

そういうことは二次的なことだった。

 

人格が伴わないなら有名大学に入ってもあまり意味がないというのが個人的な意見。

つまり知性だけで精神が幼稚とかって・・・やっぱり問題ありと思うのだ。

 

確かに自分の才能を伸ばして社会で活躍して欲しいという願いはある。

でも人格を二の次にしてそれはない。

 

一流大学よりも、安定した精神のや道徳心の方が大切であると思う。

でも人格も備わっていてそれで一流大学なら、こんないいことはない。

 

日本の知り合いで、子供たちが皆天才的に賢い家族がいる。

そこの娘さんを留学中に家でお預かりしたことがある。

あるとき彼女は「あそこは馬鹿揃いの高校」とある高校を指して言っていた。

たかが高校生の意見とわかってはいても・・・聞き心地が最高に悪かった。

頑張っても彼女のレベルに追いつけない生徒(うちの息子)の気持ちなんか頭が天才的にいい人にはわからないのだろう。

そしてすぐに頭に浮かんだことは「親は何も教えていない」だった。

この高校生はワガママで食事の好き嫌いが激しくとっても面倒見れないので、家に招くのはこれで終わりにした。アスペルガーとわかっていてもなかなか対応が難しい。

 

振り返ってみて、人の気持ちがわかるとか思いやりがあるとか・・・そういうのも半分生まれつきかもしれない、とふと思った。

 

透明の臍の緒

わたしと三男の臍の緒はずっとつながったまま。

でも残りの子供たちはすでに半透明を越していて、今はほとんど見えない。

というか、わざと見えないようにしている。

 

そういうことも必要かと思う。

彼らの「自分の人生を生きる」ということは親を平手打ちすることと同じ。

そして彼らのために多くの犠牲を払ってきた親は平手打ちを喰らいながら涙する。

 

それを思うと・・・親なんてこんなものだ、という言葉しか出てこない。

いや・・・でもきっとそれは今だけ。

いつか彼らにもわかる日が来るだろう。

親の気持ちが。

 

でも今は何も期待しないでおこう。

彼らにこうなって欲しいとか、願うのもやめよう。

今は自身の心の滋養が最も大切。

 

臍の緒は年の経過と反比例して

薄くなっていっていくもの。

それを変えようとする必要もなく

変えようとするならストレスの原因になるだろう。

自然に任せるのが一番いい。

 

ドクダミママ至言

臍の緒は透明に保つ。

現状を受け入れ

そのままの状態で幸せを探そう。

自然に任せよう。

 

 

 

 

親子でも相性ってあるし断絶もある

皆さんの中に子供の一人とイマイチ相性が合わないという人はおられるだろうか。

うちにも一人いる。

うちのニャンタとは相性バッチリ!
動物に裏切り行為は普通はないし飼い主を怒らせたりもない。
それに比べて・・人間の子供は・・・😅

「元息子」呼ばわりして裂けてるのは他でもないわたし。

そして本人も母親を避けることにしている。

 

互いに相容れない人間同士。

それを互いに悲しんでいる。

でもどうにもならない。

 

親子関係は切れないもの

わたしたちの間にまだ残っているものはなんなのだろうか。

親子の絆。

共通点は血縁。

それだけか・・・。😅

 

絆は消えない。

親と子供は見えない銀の糸でつながっていると聞く。

だから子離れも親離れも難しいのだ。

切っても切れない関係。

それが親子というもの。

 

だから、「もうどうなってもいい!」と叫んではみても、

「勝手にしなさい!」とは怒ってみても、

心からそう思っているわけではないのだ。

 

いっそのこと思いっきり忘れてしまえたらいいのに。

そうしたらどんなに楽なことか。

どこかに頭でも打って記憶を失い

自分に子供がいることさえも忘れてしまいたい。

過去に子育てをしていた記憶も失ってしまいたい。

 

そうしたら、なんのしがらみもなく

恩着せがましいことも言わなくて済む。

顔を合わせた時も、気を遣わなくていい。

 

顔を合わせても

「どちら様でしょうか?どこかでお会いましたかしら?

(May I ask who you are? Have we met before? 😅)と

シャーシャーと言える😅😅😅😅

 

でもそんな都合のいい話は普通はなく、

たとえ痴呆症にでもなっても、覚えていたい人のことは認識できず、

忘れたい人のことは覚えているものだ。😰

 

誰でも苦手な子供(人)はいるもの。

それは仕方がない。

人間だもの。

 

苦手でも・・・ちゃんと付き合っている人は偉いと思う。

でも・・子供が成人し、家を出ると、この苦手意識が本当に行動に現れる。

そして本格的に

親子断絶が始まっていく。

 

先進国の親子断絶状態

顔を合わせない子供がいる家庭は

家庭崩壊につながる。

 

まあ、気にしなくていい。

現代はこういうのが多いのだ。

英国でも最低4分の1の家族が親子断絶状態ということだ。

米国はすでに30%に到達しているとも聞く。

 

理由は・・・

宗教や思想(考え方)の違い。

道徳心の違い。

根本的生き方の違い(同棲とかニートとかLGBTQの生き方等が親の観点とは異なるとか・・)

政治的見解の違い。(英国はBrixitの時を境に断絶状態に入った家族がたくさんいるらしい。)

米国も、民主党支持の子供と共和党支持の親の間で関係がもつれている)

金銭的感覚の違い。

性別の違い。

年代の違い。

 

あ、ちょっと待って!

こういうのって昔からあったよね。

 

そう。

でもこれだけじゃあない。

現代に顕著なのは

上記に加えて、

地理的距離がまずあげられる。

昔は家族も親戚も近くに住むことが多かった。

でも今は、リタイヤ後外国に移る両親もいるし、

子供たちも海外に行き永住することも結構ある。

リモート職も増え、遊牧勤務で各国を転々としている若い人もいる。

みんなそれぞれ自分の理想に生きている。

それはそれでいいとも思う。

でもこれを続けると家族がバラバラになりやすい。

(ズームで顔合わせでいいかって?)

 

いや・・・・実際に顔を合わせないとやっぱり心も疎遠になってくるのだ。

 

次にこれがあげられる。

自己優先的傾向。

自己主義・利己主義の美化推進。

自己実現こそが人生の目的という考え。

 

これが親子断絶に拍車をかけている。

今後ひどくなることはあっても

よくなることはないだろうと専門家も言っている。

親子が分かり合えない時代。

断絶の時代。

それが現代なのだ。

 

最近のこと

実は木曜日からわたしは寝込んでいる。

木曜日は病気でも仕事ができた。

でも木曜日の夜から熱がどんどん上がり

金曜日と土曜日は39度まで行った。

ずっと喉が腫れあがって何も飲み込めない。

小さじいっぱいの水も飲めないのだ。

だからだんだん脱水症症が出てきた。

頭痛もひどい。

だからPCR検査に行ってきた。でも結果はなんと72時間後!

(なんでそんな長くかかるの?)

 

今日は日曜日で脱水症状は改善した。

リンゴジュースをゼラチンに溶かしてゆるゆるのゼリーを食べるようにしたからだ。

これだと水分も摂れるし喉元に気持ちがいいし割と飲み込める。

 

熱にうなされているときにふと思った。

もしコロナだったら死ぬ人もいるわけよね〜。

自分が死んだら子供たちは泣くだろうか。

そんなことを思った。

いずれにせよ、家族信託の遺言書のページには、死んでも子供たちの多忙な人生の邪魔になるから連絡しないようにと、また葬式も決行と書いてあるから、泣くチャンスもないだろう。

 

彼らはわかっていないのだ。

葬式とは割と宗教的な「式」で何も信じていないような我が子たちが出席するようなものではない。米国では葬式で遺族が故人についての思い出を話す機会もあることが多い。でも宗教的建物の中で話すにはふさわしくないような話が出ないように、あらかじめ台本を書かせる宗派もある。要するに開催者は遺族ではなく教会なので聖職者。だから勝手なプログラムはできないのだ。

これが嫌な人は、お寺とか教会ではなく、宗教抜きの外部の葬儀会場で大金を払ってやってもらう。

でも私は死んだ人間にそこまでお金を使って欲しくないので、いっそのことやらなくていいことにした。墓地もどうせ誰もお参りに来ないだろうしお金もかかる。だから火葬にしてもらう。

 

結局おそらく今回倒れたのは、多分過労。

夫以外の人との濃厚接触はない。

感染もとは夫しか考えられない。

でも多分違うだろう。

やっぱり過労だと思う。

今は息がぜーぜーしてるけど・・・多分明日になればもっとよくなる・・・はず。

 

病気になるたびに

子供たちと和解して仲良くしないといけない・・・と思う。

でもとても難しい。

だって向こうが勝手に怒っているんですもの。

避けているんですもの。

その理由も言わないし・・・

謝っても・・・無駄だし。

努力するのも疲れた。

まあこんなもんでしょ。

 

ドクダミママ至言

親子でも相性はある。

断絶もよくあること。

 

子供は「毒親征伐してセーセーした」とか言ってるケースも耳にする。😅

親は心が引き裂かれる思いだと言っている。

 

なんと殺伐とした時代なのだろうか。

世も末だと強く感じる。

 

 

人が変わるきっかけは常にこれ

自宅の東がわのガーデン。春に綺麗にしたはずなのにそんな事は嘘のように雑草で乗っ取られた。ここまでくると雑草を抜く気にもならない。面倒なのでこのままでももういいや!と見て見ないふりをして逃げることにした。😅これと同じように、ここまで見事に’繁殖した’自分の欠点もなかなか改善する気にならないのが人間の常。いっそのこと焼きはらってしまえばいいかな。

昔から言われていることがある。

人は簡単には変わらないし変われない、と言うこと。

 

つまり・・・

親もそう簡単には変わらないし変われない。

子供も同じ。

 

でも全く変われないかと言うとそれは違う。

人は変わろうと思えば変われるのだ。

人によっては「この日を境に!」と一気に変身もある。

(ダイエットの神様が降りる!とか・・・😅)

でもほとんどの人は時間をかけて変わっていく。

(肥満対策は時間がかかりますね😅)

 

変わっていくには強い決心が必須だ。

なぜなら強くなければまた元の鞘に収まってしまうからだ。

習慣は強く根付いており、この習慣を変えるにはちょっとやそっとの努力では無理がある。

つまり「心」の問題なのだ。

 

以前にも触れたように

その強固な決断には、起こらないといけない前提条件が二つある。

 

それは

Desperation か

Inspiration。

 

前者は「絶望」の意味。

後者は「ひらめき」の意味。

 

絶望

絶望は人が変わるためのきっかけになる。

絶望まで辿り着けば、そこから逃げるか這い上がるかのどちらかしかない。

穴の一番下のDownまで行ってしまったのだから、これ以上、下には行けない。

だからUpしか残っていないのだ。

ということで、自分の今までの素行を振り返り、それが現在に結果として現れていると認める人はそれを直そうと思うのだ。

 

思わない人、つまり自分は全く間違っていないと頑固に主張する人や

思いたくない人や、 

他の人や社会に責任転嫁する人や   

自分を変えるには遅いと思っている人は、

以前と同じように生きるだけでなく、飲酒や麻薬やゲームや爆食いやネットサーフィン(😅)や買い物などに逃げる。(結局、変わらない言い訳をしているだけで、内心は自分のせいであるとわかっているからその自分の声を封じ込めるためにこれらのことをして逃げる)

そして絶望のどん底まで行き着いた人は自殺まで考える。

 

私の元次男の嫁はアルコール依存症だった。

それが彼はとても嫌だったけど、やめる約束で結婚した。そのために自分の人生を犠牲にするつもりでさえいた。(それが親としてはちょっとね・・・・😅)

でも、人はそこまでいくとなかなか治せない。(ウオッカとかテキーラをかをぐいぐい飲む酒豪タイプ・・・汗)

それどころか改善もほぼ見られなかった。

隠れて毎日昼間から飲んでいることが発覚した時に、夫(元息子)から三行半を叩きつけれられた。でもアパートを解約できないので、家庭内別居を8ヶ月くらい続けていた。

嫁は毎日泣き、真っ青になって自分を本当に変えようとした。

そして今は依存症はとりあえず克服したように見える。

この場合も「絶望」によって変わったいい例であると思う。

 

ひらめき

ひらめきは、ふと頭に浮かぶということ。でもそれだけでなく、ある記事を読んだり人からいい話を聞いたりして、心が強く動かされ、それが変わるモチベーションになることも含む。

つまり、感動により変わることを言う。

 

「素晴らしい!そうだ。そうするべきなのだ。今までの習慣はやめよう!こんなことを続けていてはいけない!」と思うのだ。

罪悪感に襲われ変わることもこれに入る。

尊敬できる人に巡り合い、その人のようになりたい!と思うことも入る。

でもこの段階に至るにはやっぱり謙虚にならないといけない。

だから・・・もし頑固な子供なら何が起きても変わることは少ない。

 

理想的にはこの後者のやり方、つまり「ひらめき」で変わるのがいい。

でもほとんどの場合は、悲しいかな、前者のやり方(絶望)で変わろうとする人が大多数を占める。でも絶望から立ち直るって・・・かなり大変なことだと思う。

だって・・・マイナスからいきなりプラスにはいけない・・・。

最初にマイナスからゼロに到達が必要。

つまりめちゃくちゃな状態をとりあえず「普通」の状態に戻さないといけない。

形として改善が見られるようになるのはその後の話。

 

親がごちゃごちゃいっても変われない

では、あなたのお子さんはどちらのタイプだろうか?

前者なら親ができることは少ない。ただ結果で我が子が苦しみ目が覚め、そこから起き上がれるようにと影から見守ることくらいだ。

後者なら、きっと良い本を読んだり尊敬できるような人に巡り合い、自分から変わろうとするかもしれない。

 

所詮、親の力で子供を(伴侶も😅)変えることはかなり難しい。

親が色々言って、一見子供は親に従っているように見えても心は従っているわけではないのだ。親が怖いから従っているだけ。

子供の時はそれでもいい。でも大きくなればそれは全く効き目がない。

(特に男子は成長すれば母親なんて怖くもなんともないのだから😅)

 

結局誰のためでもなく自分のために大きく変わりたいという決心がつかないとダメなのだ。

究極的な変化は心の中での変化が最初で、それには本人が目覚めないといけないのだ。

 

新約聖書に「人が変わるのは神の力による」と言う聖句がある。

この意味は、まさに後者の「ひらめき」により変わることを意味している。

つまり、心に「ある建設的な思い」が浮かぶということ。

その良い思いは神からきているということを指す。

 

いつか変われるように期待し、待ち望む

親は子供がひらめきとなる書籍や人や体験などに巡り合えるように期待するしかない。

自分から変わりたいと思うきっかけとなる「何か」に巡り合える日が彼らに訪れる日を待ち望もう。

そうなることを期待しよう。

(そういう機会や場面を親が作ってあげることもいい。でも親がガミガミいうのは状況が悪化するだけ・・・)

それと同時に親も自分が変われるように努力しよう。

 

人は変われる。

でもどくらいの決心によるかにかかっている。

そしてどんな動機づけによるかも大切だ。

 

ドクダミママ至言

人は変われる。

でもまず自分が間違っていたと心から思わないとだめ。

そして心の底から変わりたいという決心がないとだめ。

身についた習慣を粉々に壊すのはちょっとやそっとの努力では難しいからだ。

我が子がいつか目覚めるように、気づくように影から見守っていこう。

「ひらめき」に謙虚に従える人間に親も子供もなれるように

ありの歩みでもいいから希望を持って生きていこう!

 

 

息子がいずれ変わる理由あるある

家の桃の木。一部枝が折れている箇所もあり不良品。でもなんとちゃんと実がなった!
うちの息子たちもイマイチと思える面がある。でも大丈夫。実は必ずなる。

息子をもつ母親は嘆きが多かったりする。

こんな風で将来やっていけるわけがない!とため息をついたりなんて普通。

でも心配ご無用。

 

なぜなら大人になって変わっていくからだ。

これはほとんどの場合は保証できる。(例外はあるけど・・・)

 

変わる理由1

一つは仕事を通して変わっていくことが挙げられる。

男性は仕事をしないとダメ人間になりやすい。

チャレンジに立ち向かうのが男性のサガなのだ。

 

仕事を通して認められるし、

そのことによって自信もついてくるからどんどん立派になっていく。

男性の世界でもまれて謙虚になっていく。

謙虚になって自己改善に励むようになる。

つまり自己改善を嫌でもしないと競争社会に残れないからだ。

で、その仕事とは仕事であればなんでもいいのだ。

 

変わる理由2

二番目は結婚して変わっていくこと。

親はどんなに子供にイライラしてもがっかりしても

子供を100%見捨てるケースは少ない。(これにも例外はあります😅)

 

でも妻にはそういうのはない。

所詮、妻は他人なのだ。

どうにもならなければ二行半を叩きつけることだってある。

 

息子は口うるさい母親をけ嫌うことが多く、

家を出て自由になりたいと願うけれど・・・

 

ちょっと待ったあ!

それは考えが甘いというものだ。😅

 

結婚すればわかる。

実は妻は母親より怖いってことを!!😅

妻は夫に対して慈悲なんてほぼない。

妻は通常は夫に強くあって欲しいと思っているし

尊敬したいのだ。

子供たちの模範になって欲しいとも願っている。

どんなに時代が変わってもどの国でも基本的に女性は皆これ。

 

ということで男性は妻を怒らせないためにがんばる。

つまり自分の欠点を治そうとがんばる。

 

変わる理由3

親は一般的に子供に立派な人になってほしいと望む。

でも親が大したことないのにそれは望めない。

見習ってもらいたかったら親が変わらないといけないのだ。

それを勘で理解していて

おまけに子供に見られているしで、自己改善は必然となってくる。

だから親はがんばる。

特に父親は息子がいると良い模範になるようにがんばる。

娘に好いてもらうためにがんばる。😅

 

心配無用

上記の話はちまたで沢山見聞きする。

だから心配しなくてもいい。

 

息子を見て今はちょっと心配でも、

どうにかなる。

仕事とお嫁さんがどうにかしてくれる。

父親になればもっと立派になる!(はず)

 

それに期待しよう!

 

ドクダミママ至言

今は先が不安な息子でも、大人になって

仕事に就けば立派になる。

さらに結婚すれば強力な影響力を持つ妻が彼の成長を助けてくれる。

父親になればさらに立派になる。

その時は左うちわで、笑っていればいいだけ。

 

でも・・・その反対で

仕事にも就かず

ダラダラとなんの目標も目的もなく、

親のスネをかじって生きるだけで

年老いた親の退職金を使い果し

結婚もせず、

子供もいないなら・・・

 

はっきり言って良い結果はまずもって期待できない・・。

彼は変わらないだろう。

その場合は諦めるが勝ち。

 

でももし今手を打ちたいなら

これしかない。

つまり・・・

甘やかすな!

それは、本人がその気になればできることにわざわざ手を貸さないこと。

必死にならないといけないような環境づくりが大切なのだ。

 

親が食べさせてくれなければ仕事を探すでしょ?

一人で寂しければ結婚相手を探すでしょ?

家庭が欲しければ子供もほしいと思うでしょ?

でもいつも親がそこにいていたりつくせりだったら必死になる理由などないのだ。

だって困ってないし快適なんだもの。

だから甘やかしは特に男子には害あって利なしと言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと強い母ではいられない。それでもいい。

敷地に背の高い野生の花が咲き始めた。

その一つがこれ。

英名はblack-eyed Susan。

和名は黒い瞳のスーザン。

満開の黒い瞳のスーザン。

濃黄色の花びらと中心の真っ黒な瞳。

この色の組み合わせだけでも、個性の強さを映し出しているのがわかる。

降り立った地がどんなところでも固い決意とやる気で生き延び花を咲かせることを象徴しているのだそうだ。

その説明通り、この植物はこの状態で植え替えをしても生き延びるらしい。

それほどたくましい。

 

そしてふと思う。

 

自分は黒い瞳のスーザンのようにたくましいだろうか、と。

 

米国に一人で留学してきた20代の時はたくましかったかもしれない。

リスクを伴うことを怖がらずにやるタイプだったかもしれない。

’怖くてもやっちゃえ!’的な感じだった。

 

そして結婚して母になった。

「女は弱し、母は強し」とはよく言ったもので、ますます強くなった。😅

黒い瞳のスーザンのようにどんな場所でも状況でも鮮やかな色で輝いて強烈な黒い瞳で邁進した日々だった。

 

でも今、子育てを終えてすっかり弱虫になってしまった気がする。

今はセミの抜け殻と同じ。

失われたものは大きく

それに気づく時、なんとも言えない感情が湧き上がってくる。

 

今は

決断力も失われ

まず体力激減で頭も働かない。😅

子育てをずっとやっていると脳みそが茹って腐る、と友人に言っているくらいだ。

すると不思議とみんなこの意見に同意する。

アメリカ人も、インド人も、中国人も、中南米の人も、アラブ系も、母の肩書きを持つ女性は皆、頭を縦に振る。

 

でも脳みそが茹って腐るだけでなく、心が粉々にもなる人もいる。

どうやってその心を癒し修復していくか・・・

それが課題なのだ。

 

まず・・・

もう自分に厳しいことは言わないほうがいい。

自分自身ときちんと向きあい

自分をいたわり大切にする。

無理はしない。

 

できないこともある。

苦手なこともある。

子育てでうまくできた面もあるけど失敗だった面も多くある。

みんな同じ。

100%完全な親は世界中どこを探してもいないのだから。

 

自分を受け入れる。

受け入れなければ、他の人を受けいることもできない。

その他の人には我が子も入ることを忘れてはならない。

 

強くなれなくてもいい。

 

ドクダミママ至言

強い母になれない。

なれなくてもいい。

完全な親はいない。

完全になれなくてもいい。

もう自分に厳しいことを言うのは止めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし息子がサル痘に感染してしまったら・・・

雨の日。空気も綺麗になった。でも窓のくすみは完全には取れない。
我が心のくすみも完全には取れない。雨が降るたびにそのくすみに気づく。

心に降った大雨はサル痘増加。

日本でもサル痘が二件見つかった。

アメリカでも日に日に増加していて、7月は6月に比べて5倍も増えた。

ニューヨークやカリフォルニでは知事から緊急事態宣言が発布された。

 

8月初旬のデータによると世界の感染者の99%がゲイかバイセクシャルの男性。

今回の西側諸国での感染は98%が性的なコンタクトによるもの。

じゃあ残り1%とや2%とは誰か・・・。

多分まだカミングアウトしてない人かもしくは本当のことを伝えていない人の気がする。

もしくはゲイとバイの家族。

 

先週はこの件について調査をしていてよく眠れなくなった。

我が子はどうなるのだろうか・・・と胸がザワザワとしてきた。

 

ゲイの息子を持つ近所の友人とそのことについて話すと、

彼女も心配だと言ってた。

そして息子の安全を祈っていると言っていた。

 

自分は息子の安全を祈ってはいない。

もし息子がサル痘に感染したら・・・

それは・・・自業自得なので・・・何も言えない。

 

ゲイでもいいし、女性には興味がなく男性が好きなんだから仕方がない。

でもそれと危険な行動に出ることは別件なのだ。

 

現実

ゲイの男性の性生活はストレートの人の理解を超える世界。

それは野生の動物を超える世界・・・・。(とてもこの場では言えません😰)

だからこんなことをやっていて病気にならないほうがおかしいのだ。

性病に罹らないほうが不思議なのだ。

と一般市民は思うのが普通だけど、WHO(世界保健機構)も米国のCDCもサル痘は性病ではないと言っている。

常識的に考えてみてもデータを見ても、やっぱりどう見てもこれは性病の一種に近いとしか思えないと大多数が言っているのに・・・。

 

一部の科学者の間ではこれは従来のサル痘ではなく、性病の一種である梅毒(syphelis)に非常に症状が似ていると言われている。(もしかして本当にサル痘ウイルス?)

実際、従来のサル痘は発疹が顔などから始まって広がるが、今回のケースは肛門や生殖器周辺から広がることも何かを物語っている。

しかしこれを公に堂々と発表することははばかれている。

だから最近では「サル痘だけど、従来のサル痘とは異なる種」という定義に変わってきている。

 

じゃあ言われた通り、性病ではないとしよう。

でも現実的には

感染者はSexual Health Clinic (性の健康クリニック)で診察を受け治療を受けている。

性病でないなら、なぜそのような性病専門医院が担当しているのだろうか。

もし性的な交渉以外の感染もあるなら、ストレートの人々のそばで仕事をしたり交通機関を利用したりと接触はしっかりある。でも感染ルートは今も男性と性交渉を持つ男性に限られている。それ以外の関わり合いには今の所感染はほとんど見つかってはいない。

それなら密接な関わり合いとはやはり性的な関係を指すのであろう。

 

そもそも男性同士の性的関係にはたとえ相手が一人でも危険が伴う。

それだけでも健康への被害がある。

ゲイは大腸癌、前立腺癌、睾丸癌、肛門癌、肺癌が多い。

40歳過ぎる頃には排泄のコントロールができなくなりオムツをしないといけない人も出てくる。

大腸や肛門の機能がおかしくなるからだ。

それから大腸膜がひっくり返って、体外に出てくるという問題もあったりする。

大腸膜が破れて危険な菌が血中に周ったリもある。

パートナーの大腸菌に侵されることもある。

 

さらに

多数の男性と乱行関係を持てば、その危険性はもっと上がる。

今に及んでもゲイコミュニテイにはHIV陽性の男性が多く存在し

実際、今回のサル痘患者の中にはHIV陽性者が41%でおまけに他の性病にすでに罹っていた人も多い。(そうなると免疫が下がってさらに他の病気に罹る確率が上がる)

 

このような理由から

寿命もストレートの人口に比べて20歳も短い。

だからか、感染してもそれは自分の行いから被った結果であると言う意見も米国には多い。

www.youtube.com

https://www.youtube.com/watch?v=2oE800GmopU

 

そこまで擁護できない

そういうことで、私はたとえ我が子がゲイでも、このような病気が彼らの生活態度と全く関係ないなどという意見を擁護する気にはならない。

そして彼らの行動様式が正常であるかと聞かれれれば・・・かなり無理がある。

’異常’とは言いたくない。

でも・・・データが証明する限りはこれに反論するのは難しい。

 

それにもし正常で問題なしなら、地球市民全員が実践したら良い。

しかしみんなが実践したら人類は滅亡するだろう。

もし勧められないような事柄ならやっぱりそこに100%は擁護できないものがあるのだ。

 

こういうことを言うととても冷たいと言われる人もおられるかもしれない。

差別と言われるかもしれない。

でも我が子がゲイだからと言って自分の標準を変えるわけにはいかないのだ。

私たちはたとえ親子でも異なる意見をもち異なる道を歩む別の人間。

彼の生き方に全面的に同意する必要はない。

そもそもそんなことは無理なのだ。

かといって彼らを迫害したり危害を与えるのも良くない。

 

だとしても・・・・

そもそも・・・自分のせいで自分の身に被った害に対して国が薬やワクチンを開発したりとか・・・イマイチ納得がいなかい。

自分の乱行の当然の報いを身に受けたのだから、と言う意見も耳にする。

すでに莫大な国債を負っているのに・・・さらに借金を重ね、全ての市民の尻拭いもやってくれるとは随分ご親切な行政だこと・・・。😅

 

そんな現実でも誰も感染などしない方がいいに決まっている。

そうは思っても私は息子がサル痘に罹らないように

神様に息子をお守りくださいとはとても祈れない。

それは犯罪者の息子が警察に捕まらないようにと祈るようなものだからである。

 

子供たちに常々言い聞かせてきたことの中にこんなのがある。

 

人はなんでも自由に選ぶ権利がある。

でもその結果を選ぶ権利はない。

 

つまり、結果をコントロールすることはできないのだ。

だから選択と予防が大事になる。

(大人なんだからそんなことわかるでしょうが?と言いたけど、多くが麻薬とアルコール依存なら自分が何をやっているか意識下にないから自制なんて無理なのだろうけど・・・😰)

 

我が子が感染したら

それでもゲイの息子を持つ親は常に崖っぷちに立っていて頭から心配が抜けない時はない。

息子はパートナーは一人だし危険な集まりにも行かないし問題ありゲイともつるまないようなので感染率はおそらく低いだろう。

アジアの国にも感染者が出ているらしいけど、アジア人の感染者は微々たる数。白人が半数近くを占めている。(アジア系のゲイは品行方正なのだ😅)

だからとりあえず大丈夫だろう。

 

でも・・・まだ心配は消えない。

実は息子は9月からLGBTがほとんどを占めるカウンセリングセンターでのインターンシップを控えている。

ほとんどの場合は毎日8時間、ゲイの男性の話を聞いてあげるのが仕事だ。

彼らの苦しみと悩みに耳を傾け同情してあげ心を癒してあげるのが息子の仕事。

それはそれで素晴らしいことだと思う。

そういう道を選んだ息子を誇りにさえ思う。

 

でも・・・親が考えていることはそういうことばかりではない。

もしWHOの感染ルートが正しければ(まだ証明されてない)、

息子は・・・

クライアントが触ったドアの取手には触れるべきではない。

彼らが座った椅子や触ったテーブルにもペンにも触るべきではない。

何よりもトイレの便座のシェアが一番危険だ。

話を聞くときはかなり空間をとったほうがいい。

隣には座れない。

こんな風に色々気を付けていてもこんなに長い時間同じ空間をシェアしたら何があるかは予測できない。

 

だから息子の身に何かが起きても私は驚かない。

なるようにしかならないし

息子の選びの結果を変える力が自分にはない。

 

それを悲しい目で遠くから伺っているのが親。

彼は親をこんなに悲しませ心配させるつもりはないのだとはわかっている。

それでも・・・親というものは我が子の不幸は耐え難いのだ。

言えるものなら、お願いだからゲイなどやめて!と言いたい。

でもそれは禁句。

だから「そうなの」としか言えない。

ただひたすらうなづくしか術がないのだ。

そして嘘の笑顔を見せてあげるのが親として精一杯の努力なのだ。

それでも彼は・・・・親の悲しみをその目の中に見ていることだろう。

 

ドクダミママ至言

子供の選びによって親は落胆や悲しみを経験することが多い。

ただどんなにそれがひどくても子供の前ではそれを出すことができない。

受け入れてあげて

その結果を陰から見守ることしか親には許されていないのだから。

もし結果が良ければそれでいいけど、

「案の定」の結果なら・・・それは本人だけでなく親にとっても大きな苦しみとなる。

 

所詮なるようにしかならないから

ただ我が子がとてつもない行動に出ないように、

良心の呵責を覚えるようなことを避けられるように、

悪い影響を避けられる強さを備えることができるように、

我が子を助けてくれる人が現れるように、

そして我が子をお赦しください

と、祈るだけが親のできること。

 

 

 

 

 

 

 

 

気を抜き必死にならない

親は子供のことで躍起になることが多い。

それがいい結果をもたらすならいいけど・・・悪化させることの方が多いように見受けられる。

 

だから、全て解決してあげようと思わなくてもいい。

なぜなら、それは無理だから。😅

無理なことを必死になってやることもない。

それにきっともっと気を抜いて対応した方がうまくいくはず。

 

Don't sweat the small stuff, and its' all small stuff!という題の本がある。

邦題は「小さなことにクヨクヨするな。しょせん、全ては小さなこと」。

アメリカのリチャード・カールソンという人が書いた本だ。

https://www.amazon.co.jp/小さいことにくよくよするな-―しょせん、すべては小さなこと-サンマーク文庫-リチャード-カールソン/dp/4763180827

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考えてみてもらいたい。

私たち親が心配していることのほとんどは本当に小さなことなのだ。

心配するようなことではないのだ。

それなのにその小さなことで、

ヤキモキしたりクヨクヨしたりで自ら進んでストレスを溜めている。

もちろんそれは子育てに限ったことではない。

だから彼はやめたほうがいいよ!とアドバイスをくれているのだ。

 

で、子育て中に上記の本を読んでなるほどと思うことばかりだった。

だから・・・・

必死にならないようにと’頑張った’!😅

これって日本人によくあるよね〜〜〜〜〜。😅

結局なんだかんだと言ってがんばっちゃう。

なんでも必死になっちゃう。

そもそも・・・リラックスできるように頑張る!とかあり?

おまけに日本人特有の細かさもこれに加算されて悪影響を及ぼす。

(日本にいたときは大雑把な人間だと思われていたけど・・・アメリカに来て自分がいかに細かく些細なことでごちゃごちゃいう人間であるかを認識した次第・・・😅)

これって日本人の魂に刻み込まれている遺伝子なのだろうか?😅

 

一見見るとそれは美徳でもある。

でもこの「日本人の美徳」がマイナスに作用することも子育てにおいては往々にしてあり得る。

そうなると親子両者の精神衛生上とっても良くない。

必死になっても裏目に出ることも多いのだ。

だからもっと気を抜いたほうが絶対にいい。

 

ドクダミママ至言

ほとんどのことは小さくて些細なこと。

ということは重要ではない。

必死になるようなことではないのだ。

 

子供の人生の全ての問題を解決してあげようと必死にならなくてもいい。

完全な人生を子供に与えてあげることはそもそも無理。

無理なことは努力しても無駄。

もっと気を抜いた方がいい。

 

 

 

 

 

結局自分次第なのか・・・(安倍元首相の事件に思うこと)

裏庭のMulberry(桑の実)。花言葉の一つは「共に死のう」。
悲しんでいる人の心に寄り添いたい。

最近・・・安倍元総理の事件で考えさせらることが多い。

 

この元総理を撃った山上徹也氏。

母親が宗教団体にのめり込み多額の献金をして個人破産したということが家庭を破滅させ、

結果的に彼の人生に暗い影を落とすことになった。

そしてこれが今回の事件に至らしめた原因だ。

 

で、実は自分も話題の当宗教団体の会員の方に会ったことがある。

 

最初の出会い

19歳の時に30万円ほどする壺をこの協会の女性から勧められたことがある。

 

四畳半の狭いアパートにやってこられてこの壺の威力について説明された。

最初は100万円ほどの壺を薦められた。😰

首を横に振ったので

値段を少しずつ落としていって一番安い30万円。

それでも・・・不可能!😅

(壺を買う余裕があるならもっとまともなアパートに住んでるはずでしょ!?😅)

 

毎日これを磨くと先祖供養になり次第に自分の人生も開けてくると言われた。

どこの19歳がこんな非実用的で高価なものを買うのか・・・と疑った。

ローンも組めるとか言われたけど・・・借金までして買いたくないし、まず買えない。

それに、今後も引っ越しが沢山あるだろうし、このツボが行くところ行くところついてくるなんて・・・ちょっとね〜。(高い壺が割れたりしたらどうするの?)

足手まといなものはいらないのだ。

 

若くて貧乏だったし全くうんと言わないからそれ以上向こうも押してはこなかった。

でも肩を落として帰っていく姿を見て、上層から売りつけるように脅されたのが見え見えだった。

彼女は誠実そうなとても感じのいい方だったのだ。

 

買わなくてごめんなさい。

でも・・・無理だから仕方がないし・・・壺を磨いて先祖の供養とか・・・イマイチ納得がいかなかったから、自分に嘘はつけない。

 

オハイオでの出会い

妻がフランス人で夫が日本人のカップル。

夫は会社経営者で妻は会社の会計を手伝っていた。

子供は2人。

わたしは彼らの長女に絵を教えていた。

 

もう一カップルもフランス人の妻と日本人の夫。

夫はシェフで妻は主婦。

子供は4人。

 

両者とも例の合同結婚式で結ばれた夫婦を頭に素直な子供たちがいて

一致団結した家族に見えた。

度を超えた額の献金はしていないようだった。

でも協会の勧誘活動などには熱心だったようだ。

不思議なことに私は彼らの勧誘活動にほとんど誘われなかったし、

何かを買わせようというそぶりさえ見えなかった。
(ど貧乏を見抜かれていたからか・・・💦)

 

基本的にとってもいい方たちだったし信心のおかげで幸せだとも言っていた。

ちらっとかじりだけ話してくれた基本的な教義もほとんどは特に問題だとは思わなかったし、むしろ感心する面もあったくらいだ。

だから信者と教義をとやかく言いたくはない。

(とは言っても、今回暴露されたさまざまな情報については驚きを隠せない。)

 

当事件

でもこの山上家の献金額は考えられない。

ただ思うことは、母親はそれほどまでに悩み苦しみが多かったということなのだろう。

そして多分、この協会の教えを聞いて救われたという気持ちにさせられたのだろう。

でも・・・・

家族をここまで犠牲にしてまで

最低の生活を守れないほどに陶酔していた母親の行動に苦しんでいたのが子供たち。

なんということだろうか。

こういうことをするから宗教が嫌われるのだ。(当然の報いか・・😓)

特にこの宗派・・・。

だから・・・

人の弱みにつけ込むな!って思う人がたくさんいるのは当然のことだ。

でも献金を勧めている側は本当は誠実で真摯な気持ちから勧めているということも考えられる。

ただ・・・生活できないほどの・・・借金を抱えるほどの・・・犠牲って・・・

やっぱり納得がいかないとほとんどの人が思っていることだろう。

 

それでも宗教団体も全ての教えが悪ではない。

これだけ大きな団体になったということはその教えに惹かれるような魅力があったからに違いない。

ただ人間的に未熟で権力を悪用した一部の運営側の問題が大きかったのだ。

 

そして今回その闇がおおやけに暴露されてしまった。

政治との絡みも暴露されてしまった。

だから山上氏の思惑が思いもしない方法で通ったことになった。

 

結果的にやっぱりこれは宗教団体の問題であると誰もが思うだろう。

それでも親の問題も関与しているとも言える。

 

親の言い分

宗教二世が「この親の元に生まれて無理やり信心させられて本当に不幸だった」

「無理やり協会に連れて行かれて迷惑だった」

と言っているケースも多いようだ。

ただそれは別にこの宗派だけに限ったことではない。

 

親は良かれと思って

子育てに臨む。

それには宗教も入るし

習い事も入るし

小学お受験なども入る。

それでこの子育ての方法に当たり外れもある。

どうにもならない経済状態というのも家庭には存在するから各子供にふさわしい子育ても無理だったりもある。

 

それに文句を言いたい気持ちもわかる。

最低の親と言いたいかもしれない。

でも結局親は、

自分が良かれと思ったことしかできないのだ。

良かれと思ったことができないこともある。

 

山上家はどちらかというとネグレクト。

そこまで宗教にのめり込むのはやっぱりまずいと思う人が多いのは納得がいくことだ。

そこまで献金などしない方が良かった。

(なんで協会はそこまでお金が必要なわけ?救いは基本的にはタダのはずだけど・・)

 

想像がつくことは

家庭をなおざりにしてまでのめり込むほど母親の精神は粉々だったのだろう。

宗教団体に全ての望みをかけていたほど悩みが深かったのだろう。

それともただ単に’No'と言えなかっただけなのだろうか。

それならやっぱり弱みにつけ込まれたとしか言えない。

 

親も人間だから、まともに子育てできないほど心が崩壊する時もある。

子供もその道連れとなり迷惑をこうむることもある。

宗教と伴うか伴わないかにかかわらず、こういうのは結構あるケースではないだろうか。

 

息子の言い分

精神が屈折する人に限っておとなしく真面目な人が多いように見受けられる。

だからこの優秀で真面目でおとなしい息子が犠牲となった。

私も心から彼に同情したい。

殺人行為は悪くても彼を叩く気持ちには到底なれない。

どうにもならない心の屈折と苦しみが彼を現状に追いやったのだ。

 

多分彼は母親思いの息子だったに違いない。

壊れてしまった家庭に対する責任感が強かったに違いない。

 

優秀だったのに行けたであろう大学も行けなかった。

どうにも挽回できない我が人生に悩んでいたであろう。

だから41歳でこういう行動に出てしまった・・・。

可哀想に・・・。

 

不幸をバネに生きることもできるけど・・できない人もいる

でも・・・

結局・・・

大学に自力で行こうと思えば行けないこともないのだ。

おまけに大学になどいかなくとも経済的な成功を収めることは可能だ。

 

確かに壮絶な子供時代だった。

でも・・・アメリカにも壮絶な子供時代を送ってきた人がたくさんいる。

世界には現在も’もっと’壮絶な人生を送っている人がごまんといる。

そもそも世界のほとんどはものすごく貧乏なのだ。

地球は恵まれない人々で埋まっている。

思うような人生を送れない人ばかりなのだ。

 

難民になって国を追われ将来どうなるか全く予測がつかない人もたくさんいる。

10年以上も難民としてテント生活を強いられている子供たちもいる。

当然学校なんてずっと行っていない。

飢餓で死んでいく人もいる。

家族が食べていくために売られていく子供達もいる。

女性だからという理由で教育を受けられない国もある。

ずっと戦争が止まない国もあり今日生き抜くだけで精一杯の人もいる。

言論の自由がない国もある。

世界を見るともっと大変な国はいくらでもあるのだ。

その中で真摯に自分なりに頑張っている人も多くいる。

 

それに比べれば日本は全然マシ。

確かに問題がないとは言えない。

貧困もある。

でも後進国の人々の苦しみとは比べものにはならないだろう。

先進国のはずのアメリカにだって日本より崩壊した家庭もある。

 

それに対して

日本には非常に普通に暮らしている人が多い。(例外はいつもありますが・・)

基本的にやっぱり平和な国なのだ。

お給料は大したことがなくてもまともに美味しいものを食べて生活している人が多い。

大学生は親の血肉のお金で大学に行かせてもらっているけど、あそびボケている人も多い。

そういう同世代に囲まれていたら自分の境遇を卑屈に思うようになるのも当然のことだ。

 

日本は世界の少数派である先進国の一つ。

世界での地位を誇る国だけれども領土だけ見れば小さな国。

その小さな日本という国の中で、自分が世界で一番かわいそうで不幸だという考え方は害あって利なしではないだろうか。

 

夫の勤務する大学には自力で大学に行っている学生が結構いる。

親がお金がなくても、どうしても行きたかったら自分でやるのだ。

もちろんアメリカにはそれができる制度があるからできる。(借金を抱えることになるけど・・借金を抱えてもいいくらい大学に行きたいかどうかが決断の鍵なのだ)

日本は以前よりは良くなってきているようだけど・・・やっぱり欧米と比べるとイマイチ。

欧州ならただ同然で行ける。

 

ちなみにアラブ系移民の息子で、無名大学からハーバード法律学院に進んだ学生もいる。

親は当然貧乏で何も助けられない。

彼は一生懸命だった。

 

デトロイトのゲトー出身で、父親は刑務所にいて、母親は仕事を三つも掛け持ちしていて、そんな家庭の子供だけど、生活費も学費も全部自分もちで立派な成績で卒業し、仕事にも就いてしっかり稼いでいる卒業生もいる。目標はお母さんに家を建ててあげることらしい。一度会ったことがあるけれど明るくて頑張り屋さんで感じのいい青年だった。

 

私の義理の弟は親が離婚から経済的に困窮したこともあり大学に進学しなかった。

彼の夢は会社経営者になること。そしてその通りになった。

必要なことは自分で学習したのだ。

彼の姉は私立の音大に合格はしたけど、最初の年の入学金と学費だけ母親が(借金して)払ってくれてそのあとは全部本人が払った。学期中はずっとアルバイト漬けで、夏休みも掛け持ちでアルバイト。同級生は裕福な家のお嬢様ばかりで、世界が違うと言っていた。でもそれに卑屈になることもなく、与えたれた環境のもとで頑張っていた。卒業式には声楽部の総代として代表で歌を披露した。

 

最後に大したことないけど自分の例。

自分の精神は強くもなく頑張り屋でもなく頭脳も全く優秀でないけど・・・

学校に関して言えば苦境をバネにした方かもしれない。

以前に話したようにわたしの実の両親は4歳の時に亡くなった。

頼る人がいなかったから大学も自分でどうにかするつもりだった。

それで私がとった戦略は留学。

あの当時はアメリカの方が学費が安かったからだ。

修士課程はより安価なイギリスにした。

博士課程も一番安いところで奨学金。

お金がないならないなりに自分でできることをすることにした。

 

助けてくれる人などどこを探してもいないとわかっていたから期待などしない。

こうだったらいいのに、なんて思わない。思ったところで状況は何も変わらないからだ。

他の人とも比べない。

そもそも生きていくだけで必死で他の人が羨ましいなんて考えている暇なんてなかった。

別に自分のことを自慢するわけではないけど、

大学に関して言えば、先進国で本当に行きたければ絶対に可能。

(その後がイマイチ成功してないのですが・・・😅)

 

でも・・・

境遇と家族のせいにしている限りは、そこから這い出すことなどできないのだ。

(今も自分に言い聞かせてます・・・😅子供のせいにするなと・・・😅)

 

逆境に潰される人。

逆境に負けない人。

その差はなんだろうか。

精神の強さだろうか。

逆境を乗り越えるにはそれをバネにして生きるということをしているようだ。

逆境に負ける人は、もしかして・・・生まれつきの性格なのだろうか。

 

母親が破産しても彼がしたわけではないし・・・

確かに子供の時は何もできない。

でも大人になったら・・大変でも自分は自分で頑張ったらよかったのに。

(でもそれができないほど精神を病んでいたのかもしれない・・・)

 

励ましてくれる人も相談に乗ってくれる人も周りにいなかったのかもしれない。

友達もいなかったみたいだし・・・孤独で悶々として悩んでいたのだろう。

 

仕事は色々点々としていたようだけど・・・

それもどうにかして人生を向上させようともがいていた証であると思う。

優秀だと自分でわかっているから現状に満足できない自分に苦しんでいたのかもしれない。

 

そして・・・

最終的に・・・

その優秀な頭脳を武器作りに役立ててしまった。

他のことに使えたのに・・・・。

これで彼の人生は完全に狂ってしまった。

後戻りのできないことをしてしまったのだ。

 

彼は家庭の犠牲者であったかもしれない。(宗教団体の犠牲者でもある・・・)

でも他に人生を切り開く方法があったような気がしないでもない。

だとしても彼にはあれが精一杯だったのかもしれない。

犠牲者となった元首相とその家族には気の毒でもあるけれど・・・

犯罪者として一生の汚名を追うこととなった彼の境遇も哀れであると感じる。

 

逆境を跳ね返す強い精神が彼には欠けていたのかもしれない。

それなら100%彼のせいではないとも言える。

自分を取り巻くさまざまなネガテイブな出来事に振り回されたとも言える。

 

いずれにせよ、今回の事件の根本的原因はやっぱりあの組織かなと思う。

これで他の宗教団体もとばっちりを受けることになるし、

徹也さんの人生は完全に狂ったし

彼の母親の悲しみも想像を超える世界だろう。

我が子が自分のせいで元総理を殺めてしまい、犯罪者となり、

親子共々世界中で一躍有名人となってしまったという苦しみ。

(世間に顔向けできない・・・)

 

そして最愛の息子と夫を急に失った母と妻の悲しみ。

 

世の中は理不尽で不平等で理解できないことで満ちている。

そしてそれが悲しみや苦しみの原因となることが多い。

 

ドクダミママ至言

たとえ周りでどんなことが起きていようとも

不幸に見舞われたとしても

それをバネに挽回はできる。

それは困難な道かもしれない。

でも悔しさは跳ぶためのバネになる。

結局ほとんどのことは自分次第(全てとは言わない)。

我が子の成功も本人次第。

逆境に勝つか負けるか・・・それも半分生まれつきの性格が大きくものをいう。

 

我が子にしっかり言っておこう。

社会と親のせいにしてはいけないと。(特に親のせいにするなと!)

逆境に負けてはいけないと。

 

そして「悪を憎んで人を憎まず」

を親も実践し、子供にも伝えていこうではないか。