運命は変えられるのか?
多くの人にとってこれは永遠の課題と言っても過言ではないと思う。
仏教の一派の教えでは
物事の全ては原因と結果の法則による、らしい。
ということは、この原因をどうにかすることによって結果のコントロールができるようになるということだ。
だから不幸が起きないような原因を最初から作らなければいいということになる。
そうすれば万人が幸せになれる。
でも本当に問題の原因を全て取り除くことができればその概念は役に立つ。
では、あなたはその原因を全て取り除くことができるだろうか?
確かに悪い決断が悪い結果を生むという原則は当たっている。
ではどのくらい人は自分の人生をコントロールできるのだろうか。
巷では、強く願うことによって全ての希望は叶えられる、というそんな概念も流行っている。
それにも一理ある。
でも自分の力と努力だけで変えられないこともある。
なぜなら・・・
1。人は不完全で完全になど決してなれないから
ということは不完全な人間は決断の段階で間違いを犯してしまうことなど朝飯前なのだ。
だから、親も子供も完全になどなれない。
できることは少しずつの改善のみ。それにはまず自ら自分の失敗を認めないといけない。その原因が自分にもあることを認めないといけない。そして次回からは同じような間違いを起こさなければそれが運命を変えることになる。
でも人というのは、どうもまた同じような間違いを起こしやすい。それは生まれつきの性分や性癖などが関連しているからだ。
2。人はその属している社会に翻弄されることが多いから
20世期の半場に起きた大恐慌のことを考えていただきたい。
一体何人の人がこの事件を予知でき、理想的な是正処置を下すことができたのだろうか?
津波の影響を受けた人々はどうなのだろうか?
公害から病気に罹る人もいる。
戦争に翻弄されたり悪い社会のリーダーに翻弄され人生が狂う人もいる。
どんなに強く望んでも自分の思ったようにスムーズにいかない時もある。
そういう例は世の中にごまんとある。
それは彼らの祈りが聞かれなかったということなのだろうか。
それは徳を十分に積まなかったからなのだろうか。
それは信心が足りなかったからなのだろうか。
私が21歳のときに、ロシア人の老女と知り合いになった。
スターリンによる宗教迫害(1932−37)に遭い、逃亡中に父も兄もみな殺害され母と妹とも生き別れになってしまいその後の音沙汰も消えてしまった。
そして命辛々逃げてたどり着いたところは満洲。そこで助けられ、寡の日本人医師と結婚することになる。そして戦後彼女は日本にやってきた。わたしが会ったときは彼女はガンを患っていた。
幸福を求め大陸をさまよい、そして海を渡ってきた。でもそこでもたった一人の家族である夫に先立たられ、子供も授からなかったので誰も彼女の面倒をみる人はいない。よって福祉のお世話になっており、外国で寂しい晩年を過ごしていた。
一体彼女の何が悪かったのだろうか。ずっと一生懸命運命を変えようと努力してきたに違いない。
これは彼女のせいなのだろうか。確かに原因は存在している。でも彼女にはどうしようもなかった事ばかりだ。
社会の出来事に翻弄された人の例が多くある。
今はコロナ禍からきた問題で苦しむ人が世界中にいる。
真面目にやってきたのに、会社は倒産に追いやられ仕事を失い家を失い露頭に迷う人々がいる。
自然災害で全てを失う人もいる。
これも運命なのだろうか?
3。遺伝子に作用されるから
人は遺伝子に作用されることも多い。
だからどんなにやり遂げたいことがあっても無理なこともある。
若くして病に侵される人もいる。彼らとその家族はできることはなんでもしていると思う。
みんな希望を失わずに奇跡を信じて頑張っている。それでも願いが叶わないこともある。
だからそんな人に「大丈夫信じればどうにかなる」とはとても言えない。
人生には理不尽なことが多いものだ。
4。家族や家庭環境も大きいから
家族の問題も然り。
親の選んだ間違いは子供にはコントロールができない。
犯した過ちの償いは子供にはできない。
せめて親のように生きないように努力するしかないのだ。
わたしの父は人生がうまくいかないことをアルコールに逃げ人生を破滅させた。
実際父はわたしが4歳の時に亡くなってしまった。高学歴で優秀な人だったと聞いている。
だから自分の人生の空回りに耐えられなかったに違いない。
そして翌日母はショックから心臓がいきなり止まり父の後を追うように亡くなってしまった。
だから、私と姉はこの時から孤児の人生を歩む羽目となってしまった。
こういうことから
私はアルコールを一切摂らない。それはアルコールにより父が肝硬変を患い、母の心臓が止まり私は孤児になってしまったからだ。
父と同じ道は歩まない。そう心に誓っていた。これは自分でコントロールができることだ。
でも母の心臓は遺伝してしまった。これはどうにもならない。だから自分を労わるように気を付けている。そのためか、親の年齢よりは生きながらえているのは確か。でも全てをコントロールはできていない。原因を抹消することができないのだ。
その後人生に翻弄され、境遇を呪うことなく、どうにかして幸せになろうと、どんなに自分の意志を砕くことがあっても負けまいと頑張った。そしてアメリカまで来てしまった。
子育ても諦めずに頑張れば日の目を見ることができるとひたすら信じて突っ走った。
そしてとにかく頑張ればどうにでもなると甘い考えでいたのだ。自分で人生の舵を握るようにすればコントロールできると信じて疑わなかった。
でも実際は自分のコントロール下にあったものは少なかったような気がする。
こういう子供時代を過ごしたために出来上がった性格というのも存在していてそれを克服することも簡単にはいかないからだ。(今は開き直ってます😅)
5。人には寿命があるから
人はこの寿命を長くすることに余念がない。
若くいることは幸福でしわなど持っての他。
老化は呪いで悪。
病気は不幸で死は最大の不幸と捉えられている。
だから一瞬でも考えることさえだめ。
実際、みんな天国には入りたいけど、死にたい人はいないのが普通だ。
でも誰にでも死はやってくる。
先進医学により早死をちょっとは引き延ばすことはできるようにはなった。
でもいずれやってはくる。
全ての人に。
健康管理が悪ければその人は寿命より早くその日がやってくるかもしれない。
でもあの画家であるモネは毎日葉巻をプカプカ吸っていたけれど、86歳まで生きながらえた。かといって生きている間にストレスフリーだったわけではない。それでも長生きだった。亡くなる数日前でさえ絵を描いていたらしい。強靭な体の持ち主だったに違いない。
寿命があるなら運命も存在する気がする。
運命はあるかもしれない
様々な問題の原因は祖先から伝わってきた生活習慣や、そのことによる遺伝子の変化や、生まれつきの気性なども関連してる。そしてその人を取り巻く環境も大きい。どの時代に生まれてきたか、どの国に生まれてきたか、どんな家庭環境にあったか、なども大いに関係がある。
だから避けようと努力をしても、交通事故もあるし、怪我もあるし、戦争もあるし、精神疾患を含む病気もある。
健康管理に気をつけていても早死にをする人がいれば適当にやっていて長生きをする人もいる。
誰でも医者になれるわけではないし、大統領になれるわけでもない。
子供の生まれつきの性格も変えられない。
自分の性格も然り。
それに逆らうのは大変だ。
やっぱり運命なのかもしれない。
ちょっと待って!
それなら、全ての出来事が運命ということ?
変えられるものってないわけ?
変えられる場合もある
運命のように見えるものでも変えられるものもある。
でも変えられないものもやっぱりある。
変えられると思い、変えたいなら、変えるように努力し、
変えられないものは素直に受け入れるしかない。
変えたくないのはただの頑固。(自分のことか・・・・😅)
確かに自分の考え方を変えることはできる。
性癖、傾向、行動も100%とはいかなくとも調整することは可能。
じゃあ、どうやって変えていくのだろうか。
できないことはない。
でも時間がかかるかもしれない。忍耐も必要。
スランプがあっても引き続きポジテイブに頑張れば変更も可能。
そう。こんな時ことポジテイブになるべきというのはわかる。
エネルギーの法則も当たっているところは大きい。
つまり
強い意志で望めば、素粒子がその方向に動くというのも事実。
でも、それは疑いの一切ない完全な信仰のようなものが前提にないといけない。
少しでも恐れや疑いがある場合は効き目がないのだ。
そしてその願う人は、勇気だけでなく実行力の人でないと効き目がない。
全ては自分を(子供を)信じる心と(その人の)行動力にかかっている。
子育てに応用するなら
変えられる運命というのは人の弱点が原因のことが多い。
ということは弱点を克服できるなら運命を変えることができるということになる。
しかし弱点の克服こそが誰にとっても難しい。
子供にとってはさらに難しい。
親もなかなかできない。
それをどうにかしようとするのは本人の決断と変えようとする強い意志による。
しかしどうあがいても1日では変えられない。
親が子が変わるかどうかは発達段階にもよる。
理想的には、我が子でも親が変えようとするのではなく、
本人が変わりたいと望むことの方がいい。
我が子はなかなか変わらないと親からは見えるのが普通だ。
それは成長の速度がアリよりもトロイから!😓
でも本当は親が見えなくても気がつかなくても、日々変わっているのだ。
素粒子のレベルで変化を遂げていると言った方が正しい。
肉眼では見えない部分で変わっていっている我が子がそこにいる。
親も自分で気がつかなくとも少しずつ変わってきているように。
つまり、この子育てを通して親子両者がほんの少しずつ変化を遂げているのだ。
それを踏まえて、もし子供も自分自身も不完全でなかなか変われない弱い人間として受け入れるなら、互いに歩み寄れるのではないだろうか。
さらに、そこには運命のようなものが存在していると思えば焦る気持ちも無くなってくるのではないだろうか。
運命があるとしたら、逆らっても仕方がない。
変えられない運命とは、宿命と呼ぶらしい。
でも私の個人的な意見では、両者はかなり似ている。
確かに運命があっても、その人の努力(と執念で)変えることができることは多い。
ただその人が変えたいかどうかで結果が変わってくる。
人は自分の過去、現在、未来の選択と行動に責任がある。しかし選択や行動の裏にある性格や弱点や傾向性は生まれつきの部分が多い。それが運命と言える。つまり宿命。
それを認識できるなら、思いやりの気持ちを持って子供達に対応することが容易になるかもしれない。
ドクダミママ至言
運命は自分で変えられるものと変えられないものがある。
性格など変えられない部分も多くある。
親も子供と同様に変えられない部分がある。
それを踏まえて子供のいたらない部分を理解してあげること。
たとえ今は肉眼には変化は見えなくとも素粒子のレベルでは変化を遂げているということを認識すること。
疑わずひたすら信じて、今を受け入れることが、親として日々平安を維持する鍵。