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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

遅い反抗期

現在21歳の娘が遅い反抗期のピークにある。

18歳くらいから始まりどんどん悪化していった。

酷くなるたびに、反抗が始まった年に家を出せばよかったと後悔する羽目になる。

 

もっとも、反抗するというのは自立の兆し。

でも激しいタグイは、自立したいけれど勇気もなく不安な子供に多い。

怖いからどこかにその恐怖心をぶつけるているのだ。

つまり、自分を守ろうとしていることの表れだ。

 

こういう場合は、母親がその激しい感情をぶつけられる「ゴミ箱」となる。

私は3人の子供の感情の「はけ口役」をずっとつとめてきた。

でもいい加減ゴミ箱役に耐えられない時もあり、口喧嘩に発展することも多かった。

可愛らしかった幼児期がまるで幻のようだ。

こんなに変貌して・・・可愛さなんかゼロ!いやマイナス!

目の前の視界に入ることさえ耐えられない!

そんな風に思ったものだ。

 

でも娘だけは違うと思っていた。

女の子は大変だとよく巷で耳にするが、

「ええ〜?うちにはないですよ。母娘の醜い争いなんて」と周囲の人に自慢していた。

でも、どうも間違っていたようだ。

18歳で変貌した。

 

娘は大学と業界でもまれたせいか、言葉遣いが

ものすご〜〜〜〜く汚くて乱暴で、チョー生意気!

だからニックネームはマシンガン。

これって、絶対ヤクザのアンちゃんの方がマシ!

おまけにわざと、とあるグループの人達の真似をしているうちに、それも癖になってしまった。

どんな家のお嬢様ですか?なんて言われても何も言えない。

母親が麻薬中毒で父親は誰だかわからないとか、いても刑務所にいる、

なんていうところのお嬢です。

と言っても皆信じるはずだ。

はっきり言ってわたしは恥ずかしくてたまらない。

 

それでも、一応外見が可愛いらしいので寄って来る男性は後を絶たない。

でもあの話し方。あれを目の当たりにしてみんなげっそりするのは簡単に予想される。

もっとも「負け組」と呼ばれている男性なら娘の言葉遣いなどなんとも思わないようだ。けれども娘はプライドが高くそういうタイプを毛嫌いしている。

 

一般的にアメリカの女性の話し方は、よく言えばカジュアル、悪く言えば乱暴で、男性とあまり変わらない人など捨てるほど存在する。

でも自分の娘が同じようになるとは夢にも思っていなかった。

焦ったわたしは娘に改善するように伝えた。立派な男性はそれなりのマナーのある女性を選ぶもの。それはアメリカでも同じ。仕事にもマイナス作用。

優しく言ったつもりだったけれども、激しく反発され、売り言葉に買い言葉で終点のない暴走に至ってしまった。

 

娘:仕事をするためにはそんな丁寧な話し方ではダメに決まっている。アメリカでは強くないと利用されるし馬鹿にされるんだから。

わたし:確かに。でも強いのと乱暴なのは違うと思うけど。

娘:(勝てそうもないと悟った娘は最後の札を出してきた)ここは日本じゃないの!それに、生まれつきなんだから変えられない!わたし(どちらかというとオレの方が訳にふさわしい)はこのままでいいんだから!このままで何が悪い?(開きなおるな!)

わたし:あなたがそういうならそれでいいんじゃあない。まあどういう結果が出るかお楽しみね〜(嫌味)。

娘:(目をぐるぐる回して)Whatever!!!!!

 

その言い方も全部チョー乱暴な言い方だったので、わたしは思わず切れた!

若い人の英語には耐えられない!

乱暴な言葉を聞き続けると自分の魂が傷つけられるように感じるのだ。

(ま、人のことは言えないのですが・・・。)

 

日本語では話し方のバリエーションが多く選択肢が多い。

その反対に、英語は単刀直入で乱暴な言い方に向いている言語だと思う。

でもそれがアメリカ人にとっては普通でも、日本で育った私には耐えられない。

 

ムカつきながら床に就き、夜中にインスピレーションが湧いた。

 

そうだ。

わたしはオシになろう!

 

翌日からオシになって相手は話しかけることが許されるけどわたしは一切声を出さないことにした。返事は紙に書いて渡す。書くのは面倒くさいので短い文しか書かない。余計なことは書かない。説教など書くのも面倒臭い。だから娘も怒る理由がない。よって娘の乱暴な口の利き方を聞かなくて済む。

まったくもって、いいことばかりの名案じゃあないの〜?

ついでに紙を娘に渡す時には(ひきつりながら)満面の笑みでやっている。

統一簡潔化のために夫にも強制参加を要請。

 

そう言えば、古のソロモン王もこんなことを言っていた。

さとき人は口をつぐむ。

口と舌を守るものは、その魂を守って悩みに 遭わせない。

 

これって絶対正しい。

娘が問題の根源と思っていたが、それは間違いで、それに反応する自分の舌と唇が自分自身の悩みの根源であるのだ。

相手と争いをしないためには、自分をまず変えるべきで、相手には何も注文をしなければ良いのだ。

投げられた野球の球は打って返すことはない。ストライクというのもあり。

これが私のインスピレーションだった。

 

いや〜。

家の中が異常に静かで平和!

あれは本当にインスピレーションだった。

 

娘は私と会話がほぼゼロになり、食いつく人もいなく、黙りこくった。

で、怖くなったのか、必死になって自己改善に努めている。

 

I mean it!

(母は本気!)

本気になった母は怖いんだよ〜〜〜!

 (でもいずれはオシはやめて蚊に変わるつもり。)

 

ドクダミママ至言

反抗期の子供の対応はオシになり黙り込むこと。

決して反応してはだめ。

なんなら耳栓でもどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

断捨離と子離れ

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今週末に去年の7月に結婚してしまった三男(23歳)に取っておいてもらいたいものは何かと確認の電話を入れた。

未練ゼロ愛着ゼロで、全部捨ててくれと言われた。

それで家具以外は全部部屋からはき出した。

 

アメリカは広いので東海岸の人が西海岸の人と結婚することもある。

ミシガンは一応中西部と呼ばれているが、地図で見てみると東海岸地方である。

そんな場合、家族はバラバラになる確率が高い。

 

結婚した息子は妻の家に入り浸りとなり実家に顔を出すのは親の葬式くらいというのも聞く。我が家もそうなる確率は高い。孫を連れて会いにきてくれるというのも期待できない。なぜなら相手側の親が自分たちの娘を離さないからだ。さらに彼女は日本の文化について全く理解していないので、私にどうやって接していいかわからないのだと思う。結婚式の前に2回会っただけの女性でまだ他人という感じがする。

 

互いをよく知るためにと言っても、ここから息子のいるところまで毎日8時間運転して4日はかかる。とても行く気にはならない。

だから私たちの関係はずっとこのままという感じがする。

嫁は好きな男性を獲得できて幸せで、夫の家族のことなどどうでもいいと思っているのでしょう。

息子は今も嫁の実家におり8月末までいる予定だ。

 

結婚式の時に強く感じた。

もう家には帰ってこないだろうと。

 

若い人は過去のことなど考えていない。

未来のことで頭がいっぱいなのだ。

でも親は、子供の持ち物に思い出がある。

捨てることは思い出を捨てることなのだ。

だから処分は本当に苦しく悲しい。

片付けながら涙が溢れてきた。

 

いいの、いいの。

思い出は心の中にずっとあるんだから。

過去にしがみついている自分がみっともないのだ。

そう自分に無理やり言い聞かせるしかない。

断捨離、断捨離。

さようなら。

これで子離れ完了!

 

子供が羽ばたいて行くことは喜ぶべきことだけれど、

親にとっては悲しいことでもある。

 

 

 

 

勉強ができない子供

 

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(出典:https://www.nydailynews.com/news/national/ny-news-children-suffer-mental-health-condition-20190214-story.html

世の中には一を聞き十を知る能力の子供がいる。

 

我が家には十を聞き一も知ることができない子供がいた。

親はこの子が理解できるようになるならと、なんでもしてあげようと思った。

けれども、手を変え品を変え説明すればするほど混乱に陥ることが多かった。

でも彼は努力家でとにかく頑張り屋さんだった。

怠け者からはかけ離れていた。

だから

私は心苦しかった。

こんなに頑張っているのに。

わからないで苦しんでいる彼の心中を察して親である自分も無性に苦しくなった。

だからどうしてもわからせてあげたいとより必死になった。

けれどもそれは間違いだったのだ。

そのような「これでもか、これでもか」というような大人の半強制的な期待は、結果的にどうせわからないから、やる気も消え、ふてくされた態度につながってしまった。

 

でも心の中ではわかっていた。

学年のレベルのことが理解できないのは彼のせいではないと。

あれが彼のベストなのだと。

この学年のレベルをいうものを作り上げた学校制度が問題なのだと。

そのレベルの上をいけばギフテッドと呼ばれ、下なら知能遅れと呼ばれる。

もっとも子供を傷つけるという理由で最近は知能遅れとは言わない。アメリカでは「タイトル1」と呼んだりする。日本では特別支援教育。

たとえどんな呼び方をしても子供も親も同世代の子供たちも知っている。

それが何を意味するのか。

そんなレッテルを貼られた子供は自尊心を傷つけられそれが一生続くこともある。

 

長くこのような子供の勉強を助けてあげていて、見えてきたものがある。

それは、こういう子供は知識や概念を寝かせておく長い期間が必要なのだと。

普通の子供は1日2日でわかっても、このような子供は最低1か月以上もかかることがある。1年というのもある。

それは本人と大人の知らないところで、子供の脳は入ってきた新しい概念を消化しようとしているのだ。人がそれぞれ違って当たり前のように、その消化時間は子供によって違っても当然ではないだろうか。

 

それなのに、

大人はわかっていない。

こういう子供に頑張れという励ましの言葉は拷問以外の何物でもないのだ。

頑張ったってわからないものはわからないのだ。

 

人は勉強のできない子供を「馬鹿扱い」したりする。

それは「馬鹿」ということではない。

ただ、消化に時間がかかっているだけということ。

もしくは、いまこの子が学ぶべき内容のことではないというだけのことなのだ。

それだからといってそれが悪いわけではないのだ。

 

理解できないことを、「悪」や「罪」呼ばわりすることはアンフェアである。

それなのに大人は犯罪でないことをとやかくいう。

悪いことをする人は「馬鹿」で、勉強ができないのは「馬鹿」ではない。

大人は子供の学びのペースを忍耐を持って待ち、異なる学び方を理解してあげるべきであると思う。

 

とは言っても、実際の対応は難しい。

こういう子供に親もイライラしたりは多い。

 

そんな時は

本当はできるようになりたい我が子の心に寄り添うことが大切かと思うのだ。

どんな子供も先生や親が誇りに思ってくれるような人になりたいと思っているものだ。

でもそんな理想に報いることができない時は子供はどうしたらいいのだろうか?

反抗にはそういう子供の切ない思いが隠されているのかもしれない。

 

 

大人は子供の肉体と思考の訓練にもっとも力を入れる傾向がある。

でも人間は肉体と脳だけでできているわけではない。

心、つまり魂というものもある。

それを忘れている人が多い。

子供の心は肉体よりも思考よりも大切なのではないだろうか。

 

大人の世界は子供の心を傷つけるようなことをたくさん行ってきた。

勉強もそのうちに入るかもしれない。

勉強は子供の人生の多くを占めるが、一生という長い人生でもっとも大切なことではない。

 

勉強のできない子供に無理強いしても良い結果があまり得られない。かえって性格が湾曲するだけ。自分も我が子の性格を湾曲させてしまった部分がある。

今できないことを無理やり押し付け素直な子供を期待する方が間違っているのだ。

子供は思春期に入り、自分の目標ができてきて、それには勉強が必要であると理解したら自分で頑張ろうという気になるものだ。それまでは親が色々言っても無駄。

本人の脳の発育が追いつき、やる気の原動が明確になってきた時に、親や学校がその子の心を潰していなければ、そのときに理解能力が開花する確率が高い。

 

だから、

理想なんて大切じゃあない。

心がもっとも大切。

 

子供を愛するということは

すなわち

言葉にならない

その子の心の声を聞いてあげることではないだろうか。

 

ドクダミママ至言

  • 勉強がわからない子供には。知識や概念を寝かせておく長い期間が必要。
  • この潜伏期間中に脳が概念の消化に携わる。
  • 子供の脳では何も起こっていないように見えるがそれは違って本当は多くのことが行われているのだ。
  • デイドリームも大切で、遊びも大切。その間、子供の頭は活性化してゆき、様々な新概念の消化に携わっている。
  • 頭より心の発育が大切。心を養ってあげれていれば時期がきたときにその子は自分で羽ばたこうとするもの。
  • できない子供の心に寄り添ってあげること。言葉にならない心の声を聞くこと。
  • 結果よりもプロセスが大切。

変わるべきは親かもしれない

 
 
「親の祈り」 ルイス・カンガス
 
神様。
もっと良い私にしてください。
子どもの言うことをよく聴いてやり
心の疑問に親切に答え
子どもをよく理解する私にしてください。
 
理由なく子どもの心を傷つけることのないようにお助けください。
 
子どもの失敗を笑ったりせず
子どもの小さい間違いには目を閉じて
良いところを見させてください。
良いところを心から誉めてやり
伸ばしてやることができますように。
 
大人の判断や習慣で
子どもをしばることのないように
子どもが自分で判断し
自分で正しく行動していけるように導く知恵をお与えください。
 
感情的に叱るのではなく
正しく注意してやれますように。
道理にかなった希望はできるだけかなえてやり
彼らのためにならないことはやめさせることができますように。
どうか意地悪な気持ちを取り去ってください
私がまちがったときには
きちんとあやまる勇気を与えてください。
 
いつも穏やかな広い心をお与えください。
 
子どもと一緒に成長させてください。
 
子どもも私も生かされて愛されていることを知り、
他の人々の祝福となることができますように。
 
(出典: 「愛と祈りで子どもは育つ」渡辺和子)

 

上記の詩はとても有名でアメリカでのペアレンテイングの本でよく目にします。

親としての理想的な姿を簡潔にそして美しく表しているとは思いませんか?

でも実は、どんな親でも本当はこうなりたいと思っているはずです。

とはいっては一日でこうなれるわけがなく、日々その理想を心に刻むことが必要かと思います。そして努力を続けていれば、長い先にこんな親に少しでも近づけた自分の姿があるのだと思います。

 

上記の詩は、祈りですが、まさに親業をしていて祈りたくもなってくる状況に追いやられることは多いものです。

それは自分の中の高慢さをことごとく砕き、親を謙虚にさせ、子供のためにもっと良い人になりたいと思わせられることにつながります。

つまり、良い親になるということは、良い人間になるということと同じなのです。

 

立派な親とはつまり

「愛の人」で

立派な人とはつまり

「愛の人」なのだと思います。

 

わたしは親になってからというもの、全ての面において足りない自分を日々嫌なくらい感じされられています。

自分には愛が 欠けていて子供の心の奥深いところを見てあげれない。

 常に自分の心の大嵐を食い止めることばかりに集中しているだけ。

子供がどうとかいう前に自分をどうにかしないといけなかったのです。

 

だから子育ては自分を変える媒介であるとも言えます。

子供の出来不出来で裁くことなく、今の状態で受け入れてあげ、これからの可能性を信じてあげることが大切で、それには親が自分の根本的な人間としての弱さを認め、改善を試みることが必須であるではないでしょうか。

 

親は子供を変えようとやっきになりやすいですが、

本当に変わらないといけないのは子供ではなく親である自分自身かもしれません。

 

そして親の態度が変わるためには

親の心が最初に変わらないといけないのだと思います

わたしたち親の心が変われば、

真に穏やかな広い心子供に接することができるのではないでしょうか。

そうすれば子供も変わります。

変わるべきは親。

男の子をつぶす人は一体誰か?

 

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(出典:https://twitter.com/soompi/status/430545897131216897

怖い面

世界的にみて、社会問題を起こす大多数は男性。

犯罪も80%以上が男性。

非行に走りやすいのも男子。

ギャング活動も男性主流。

そして親に激しく反抗するのも男子。

天才も男性がほとんどだが学習障害も男性の方に多い。

自分の面倒がよく見れないようで、子供の時はとにかく手が焼ける。

親の話を聞いていないことが多い(自分の考えで頭が一杯だから)。

プライドが高い一面、自尊心が傷つきやすい(扱いづらい!)。

 

このようなマイナスの可能性を持つ息子に恐れを抱き

親は息子を一生懸命育てようとする。

このせいか、男の子は怒られる回数も度合いも女子に比べてはるかに上を行く。

よって精神に問題を来す例も多くある。

 

特記側面

男の子は好奇心が強く、怖がらずに色々試したがる。

男の子には個性の強い面白いキャラが多い。

誰もやらないことをやりたがる。

リスクを恐れない。

失敗も多いが立ち直りも早い。

このせいか男性には発明家が多い。

組織設立など何かを始めることに才能を発揮する。

リーダーシップの才に長ける。

社会を動かすのも男性!

より高く、強く、自分の限界を越えようと躍起になるのが男性(だからうまくいかないととても落ち込み酒で憂さ晴らし、なんていうのもある)。

 

どちらに転んでも

男性というのはすることが生半可ではない。

うまくいけばビル・ゲイツ。しくじればアル ・カポーネ(マフィアのボス)。

 

だから

そんな両極端の側面を持った息子に親は大きな期待を抱き、それと同時に悪いことをしないようにと目を光らせている。

 

ここまでは男親も女親も男の子についての概念が変わらない。

ところが女親はこれプラスまだある。

 

母親にはわからない男の子の本能

実際このような男の子特有の個性に母親は脅威を覚える。

我が子は将来一流の何かになれるかもしれないという期待で、責任感と生まれながらの犠牲心により我が子のためにはどんな苦労でも買って出るのが母親。

だが、普通の母親は子供のこととなると心配性で、また自分の生まれ持った女性性のため、息子のとるリスクを怖がる。

 

よって、偉い人になるように励ますと同時に危険なことを避けるようにという相反するメッセージを子供にあげることになる。その結果、息子を混乱させる。また母親に服従を要求することもある。母の言う通りにやっていれば安全だし成功率も上がると説得を挑む。

でも男の子というのは本質的に

人(と世代)を超えていかないといけない生き物(失礼)なのだ。

本能的に、人を超えるためには男性は失敗を恐れず失敗を通して成長して行くべき、と理解している。

 

さらに、これだけは100%わかっている。

自分は男で、ママにようには絶対ならない」ということを。

「ママの言うことを聞いていたら、きっとママのようになる。僕は男だからそれは嫌だ」と自分では気がついていないところで思っているのだ。

 男の子は、大人の男性に脱皮するためには、母親のエプロンの紐を手放し、つまり母親の庇護を離れて一人歩きをすることが絶対必要なマイルストーンであると理解している。

男の子の深層心理にはそう書かれている。

DNAにそう刻まれているのだ。

男性の本能なのである。

そして男の子はそれをなんとなく知っている。

 

だからママの言うことなんて聞かなくて当たり前。

それなのに、

母親は自分の言うことを聞かせようと必死になり、より手綱を固く握り締める。

よって当然反抗される羽目になる。

すると母親は逆上して感情に任せて息子に当たりまくる。

言えば言うだけ、息子は無視に徹する。

「またかよ〜!」

と母親にうんざりする。

男の子というのはこういう感情の爆発では自分の行動を内省するなどできないのだ。

でも母親にはわからない。

なぜなら、女性だから。

 

男の子は通常母親が根本的に好きで、母親をがっかりさせたくないという気持ちもどこかにある。でも男性としての使命を果たすために生まれた男の子は、母親を喜ばせたい自分と自分の人生を生きたいと願うもう一人の自分との狭間で葛藤を経験することになる。

どうしていいかわからなくなった男の子は、とりあえず今は考えたくないし結論も出せない。だからゲームにでも没頭して逃げることにするのだ。(ゲームでは勝てるし、結果は割と早く出る)

おとなしいタイプ(+母親が強すぎるタイプ)の男の子は勝ち目はないと判断し、自分の心の中の声を無理やり消して、母親の好む従順な息子のフリをしようとする。つまりここでは女性化するしか生き延びる方法はないのだ。

母親は従順な息子に喜ぶが、息子は自分の本能をつぶされる。

母親が息子をつぶしているのだ。

 

手放せない

息子に羽ばたいて欲しい気持ちは山々でも、心配で手放せないのも母親である。

引きこもりのケースがこのいい例である。

母親はどんな状況でも息子をとにかく心配する。だから追い出すなどそんなことは不可能なのである。ホームレスにでもなってしまったらどうなるのか。飢え死にしてしまうかもしれない。と、母親は最悪の事態を想像しやすい。

 

だから無理。絶対無理。

「心を鬼にする」ことは母親にとってほぼ不可能なことなのだ。

「心を鬼にする」にぴったりの表現は英語で「tough love」と言う。

包み込み助けてあげるのも愛、厳しい態度で臨むのも愛。つまり、タフラブとは、本人の選択によりマイナスの結果が出た場合は自分で責任をとらせないといけないということだ。学習には痛みが伴うことを受け入れないといけない。

だがこれは母親には限りなく困難なのである。

厳しく突き放すことも大切とわかっていながら同時にそこまで冷たくもできない。息子の男性性を受け入れないといけないとわかっていてもできない。だからいつも中途半端になり息子を混乱させる。そして母親はどうして良いかわからず激しく落ち込む。

 

だからここで

父親が出てこないといけない。

 

父親の出番

男の子がある年齢に達したら(通常は思春期)母親は父親(または信頼のおける他の男性)に子育ての手綱を譲るべきであると私は信じている。もちろん日々の細かいことは母親が引き続き担当しても、大きな決断については父親がリーダーシップを取ることがふさわしい。躾も父親が担当すべきだ。

この件において昔の人はあまり教育はなかったかもしれないが、男の子の育て方については現代人よりはるかに理解していたように見受けられる。江戸時代などは思春期を待たずにもっと早い時期に大人の男性に教育係がバトンタッチされていた。

男の子には男性の模範は必須で、それを当人も知っている。それは、言うまでもなく男の子は「将来は父親のような大人の男性になる」ということを本能的にわかっているからだ。間違っても「母親のようになる」などとは思っていない。

また男の子は自分より大きく強く社会で活躍している男性を尊敬する。たとえ尊敬などしていなくとも、自分の上を行く大人の男性に対してある種の脅威感を抱いている。そして男性というのはそういった明確なランキングを好み、自分が社会のどこの位置に属しているかを知ることによって心が安定するらしい。

だから男性の方の意見の方がわかりやすいだけでなく、このランキングシステムのため結果的に従いやすい。母親と息子の間にはこのランキングはなく、あるのは極めてねちっこい親子関係だけ。つまり感情だけの世界。

 

息子は母親のコミュニケーション方法が嫌い

男性はごちゃごちゃと長説教をしたり小言も言わない。

端的に言うべきことを伝える能力に長けている。

では女性はどうだろうか?

例外はあるとしても一般的に女性はこれとはかなり異なる。

特に我が子のことになると感情に支配され自分でも何が言いたいのかわからなくなってくるくらいだ。

 

母親はその日の気分によって言うことが違う、という苦情はどこの国でもよく耳にする。

 

わたしは、長々と説教をし挙句の果てはちゃんとやってくれない息子に泣きついていた。感情に訴えて相手に罪悪感をもたせるやり方だ。

で、効果はというと

当然ゼロ。

夫は反対に

ただ

「いいか、これからはもうするな。」

で終わり。

え〜?これだけ?

 

そう。

男の子はこれだけでいい。

でも母親にはこんな短い説教は無理。

 

だから父親に任せるのだ。

任せるといっても、父親が母親の期待するシナリオでやってくれるとは限らない。

それでも、男性という性を母親よりはるかによく理解している同性である父親に完全に任せることは両者にとってはるかに価値がある。

でも世の母親というのは、自分以外に我が子のことをよく理解している人間はいないと自負して止まない。だから夫の短い説明で効くわけがないとも思っている。

そのため、昨日せっかく父親が納得させてくれたのに、今日また余計なことを口走ったりする。

よって息子はごちゃごちゃと意味不明で支離滅裂なタワゴトが多い母親を怪訝するようになる。

母親はこのことによって息子から尊敬されない。

でも当たり前。

 

象の社会

象は男女別々の家族単位で生活している。子供の時はメス象もオス象も女系家族内で生活して行く。だがオス象はメス象はある年齢を境に異なる人生を歩むことになる。

当然、象にも思春期も反抗期もあり、メス象のグループは生意気なオスをグループから追い出すことになる。

一人でやっていけないオス象は、男系グループに入れてもらうことにする。

しかし男性社会はここでもそう甘くはない。男系グループには人間社会のようなランキングやルールがあり、入ってきたばかりの生意気な若造の態度を認めるわけがない。それをわからせるために、年長の象がそれを態度で知らしめてやるのだ。

「ここで生き延びたければグループのルールに従え、年長者の言うことを聞け!それができない奴はさっさと出ていけ!」とばかりに激しく鼻で叩かれる。

受け入れてもらえない若年オス象は、

「ああ、いいさ!こんなところこっちから出ていってやる!」

「俺はこんなところにいなくとも自分でやっていけるのさ!」

と負け惜しみを言いグループを離れる。

けれどもどんなに偉そうなことを言ってみたとしても、社会的な動物である象はたった一人では生きて行けなく、当人もそれを知っている。

だから他のグループを当たってみる。

だが、どこに行っても結局同じ。こんなのはどこでも通じない。

最終的に、最初のグループに戻りそこの一番下の平象として小さくなって生きて行くことに甘んずることにする。

 

これは人間の男性社会に似ている。

もっともここまで厳しくはないとは思うが。

結局、男性は男性の社会で認めてもらえる人間にならないといけないのだ。

(もし年長の男性が率いるグループで認めてもらえない場合は同性代とグループを結成する)

それは女性社会とは異なる厳しい社会なのだ。

「甘やかされたママの可愛い坊や」は男性社会では通じない。

だから母親は、さっさと息子の前から消えた方がいい。

息子が思春期を迎えたら(早くて10歳)母親は影の支えとなり甘やかしの許容範囲内(息子の好物を作るとか)で力を発揮し肝心の分野では父親に任せた方がいい。

 

はっきり言って

男の子をつぶすのは(自分を含めた)母親である。

 

ドクダミママ至言

男の子をしかっりさせ自分の言動に責任を持てる大人にするには

母親はある面で消えないといけない。

父親に大事なことは任せること。

男の子は未知にチャレンジし失敗から成長する生き物。

それに歯止めをかけてはいけない。

(と、自分にも言い聞かせている。。。。)

 

 

頑固な子供に効く処方箋はあるのか

 崖っぷちの子育て

どこの家にも頑固な子供がいるものだ。

もしあなたの子供は一人っ子で(それも女子)素直な子供なら本当にうらやましい限りだ。でもこれはほとんどの場合は例外に違いない。

もしくは、親が無理やり素直にさせているに違いない。

(我が家は4人中1人だけが生まれつき素直。)

 

この頑固な子供への対処は本当にしんどい!

どんな忍耐のある親でも観念袋の紐が何度も切れるほどだ。

そして親は常に崖っぷちに立たされる羽目になる。

そして口から出て来る言葉はこればっかり。

「も〜耐えられへ〜ん!!」

 

親と子供の関係は綱引きに例えられる。

綱の一方は親が引っ張り、もう一方は子供が引っ張る。

強い方が勝ちだ。当然子供が小さい時は親が勝つ。

けれどもだんだん大きくなるとこれが逆転することもある。

 

子供はだんだん賢くなってきて親の弱点をしっかり握るようになる。

そこに遠慮なく攻め込んでくるなんて日常茶飯事。

 

親の方はというと、子育てにホトホト疲れきり、戦う気力もほぼ底をついてくる。綱引きで親が弱くなってきていることに気づいた子供は、あと少しで勝てると確信する。そしてそれをいいことにますます態度が大きくなり親の言うことなどほぼ馬耳東風。何の意味も持たない。

 

こうなったら親の威厳もへったくれもない。

  

頑固な子供のいる家庭には平和はない。

譲らない子供にイライラしている両親には耐え難い試練なのだ。

あなたは子育てを放棄してどこかに逃げてしまいたいと思ったことはないだろうか。 親といえどもこんな時は我が子が可愛いなどとは夢にも思えない。

 

そんな子供に処方箋はあるのだろうか?

親が心の均衡性を保つための処方箋はあるのだろうか?

ある!

でもたった一つだけ。

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(出典:https://www.parentmap.com/article/how-to-handle-your-stubborn-preschooler

↑まだ可愛い頑固娘。

 

たった一つの処方箋

それは

自然療法に他ならない。

何かと言うと、

つまり

「原因と結果の法則」または「因果の法則」に従うことだ。

それは「荒療法」とも言われている。

 

ではこれについて説明したい。

 

物事にはいつも原因と結果が伴う。

つまり全ての行いには結果が伴うことを意味する。

怖いことに

人には好きに選ぶ権利があるけれどその結果を選ぶことはできない。

これは時代が変わろうと住む国が変わろうと同じなのだ。

 

子育てに応用するなら、

「結果が出るままにする」ことを意味する。

もっとわかりやすく言うなら、

危険でない限りは、子供の行動や決断に対して自分で気付かせるということだ。

しかしこれはほとんどの親にとって非常に難しい。

でも頑固な子供にはこれしか方法は残っていないのだ。

 

子供が何かをしたいとする。

親はその決断は賢明でないと判断する。

それでも頑固な子供は譲らない。

それなら子供のやりたいようにさせる。

その後予想通りの結果がやってくる。

そしてその子供は結果によって苦しむ。

だから次からしないようにと気をつけるようになる。

これが「原因と結果の法則」

 

だが普通の親は子供がしくじったり子供に悪い結果が起きたりすることは耐えられない。でも待っているのもじれったい。

だから先回りして失敗のないように道を備えてあげようとする。

 

これは素直な子供には問題ない。

でも頑固頭にはバックファイアーにしかならない。

 

頑固な子供に何をしてあげても感謝はされないし嫌々ながら従うだけで心からと言うのはありえない。かえって根に持たれる。

だから失敗させてそこから学ばせるしかない。

しかし頑固な子供というのはおうおうにして自分の考えに徹底的に固執するきらいがある。

だから悪い結果からも学ぼうとしない頑固さもあり(かろうじて残っている小さな自尊心を守るために)

その結果失敗を何度も繰り返す。

 

それに親は耐えられない。

だから更にアドバイスをあげたり

脅したり

手を変え品を変え努力を重ね軌道を変えようと焦る。

でも往々にして、親が口を挟めば挟むほど状況は悪化する可能性が高い。

 

苦しんでいる子供を見て親は辛い。

だからといって黙って影で見守ること以外はしてはいけない。

それが不可能な人は

子供は苦しんでいるのではない学習しているのだ。

と自分に言い聞かせるしかない

 

それしか頑固な子供には学習方法が残っていないのだから。

 

 

具体例

「原因と結果の法則」はまず子供の成長段階に基づいていることが基本だ。また命を脅かす危険を伴う時の親の介入は当然望まれる。

だがほとんどの場合はそんな大きなケースではないはずで、その場合はこの法則に徹するべき。

 

例えば子供が勉強を怠けてゲームをしている。

対応方法は

 

ほっとけ方法!

 

時々「宿題があるんじゃあなかったっけ?」くらいは言ってもいい。

「分からなかったら聞いてね」とも言っていい。

でも宿題をやるかやらないかは本人の自由意志なのだ。

しないで恥をかき悪い成績を取り、それでも子供は改善を試みない可能性がある。

でも悔い改める日はいずれやって来る。

どんなにそれを信じることが不可能に思えても。

ひたすら自分に言い聞かせないといけない。

 

避けるべきは、小言。

小言は全く効き目がない。

小言は親の感情をぶつけているだけで解決にはつながらない。

子供は耳をふさぐ癖がついてしまってなんの改善にもならない。

 

頭を冷やして臨む

子供に本当に理解してもらいたいなら、

いくつか方法がある。

1。可能なら心を落ち着かせて相手の立場に立って愛を込めて話しかけること。

2。それができない人は、もう一つの方法がある。両親と子供を交えてフォーマルな会議をすることだ。

そう。

ちょうど職場の会議のように。

職場の会議で怒鳴ったり自分を失ったりというケースは少ない。

だから親も子供も声をあげたりしないで話し合うことが可能だ。

それには家族会議がオススメ。

 

その際、敬語に徹すること。

「お前なあ〜」とか「するな」とか「ねえ〜なんでこれなの?」などの感情的な言葉遣いは避ける。

重圧しない程度の敬語で、音声を下げ穏やかに淡々と話す。

親は頭が熱していな時にこの会議を実施し会議中にも冷静に対応するよう心がける。

相手(敵)を、(たとえ思ってもいなくとも)まともな人格を持った大人として扱うこと。

これがコツ。

 

自分のケース

我が家の一番頑固な子供は学習障害を抱えている。

だからこちらも甘くなり、転ばぬ先の杖をたくさん用意した。だが結局大人になってからそれが全く役に立たなかったことに気がついた。もともと息子は頑固な性格でその上学習障害があったことからさらに頑固な人間になってしまった。18歳頃から自分でなんでも決めてなんでも自分の好きなようにやりたいという意志を示してきた。それは成長段階に沿っておりなんら問題はない。ただ彼の問題は親の教えてきたことには真っ向から反対し、好き勝手に生きると言う決断だった。その結果、人生は上手く行っていないどころか、現状はほぼ敗北に近い。

だから子供の時にたくさん転ばせ失敗させそこから学ばせればよかった、と後悔。

 

しかに、原因は親の育て方のみにあるわけではないと思う。

逆らうことのできない遺伝子が親の努力の前にはばかっている。

 

この息子の父方の祖父(舅)は息子に全ての面においてそっくりで、わたしはコピーマシーンと呼んでいるくらいだ。この祖父も頑固で学習障害があった。

親は大家族であったこともあり子供にあまり構わないタイプだった。譲れない分野では厳しかったらしいが、細かいところまでコントロールするような親ではなかったらしい。構ってもらえなっかたことが不満だった舅は親に対して激しく反抗した。

何も助けをくれず彼を理解してくれなかった親(余裕がなかったから)を恨んでいた。

 

最後に、学習障害を持つ子供は学びが遅いか、もしくは全く学ばないこともあるという特徴も十分考慮してもいいと思う。

そして学習障害児は一概にして頑固であるケースが多い。

 

この例からわかるように、

頑固な子供にはどのような対応をしてもどうにもならない確率が高いということだ。それは親のせいではない。

 

だからわたしは

ほおっておいてある。

かといって私は子供を見捨てているわけではない。

(我流で)黙って(かなり遠くから)見守るようにしている。

実はこの「見守る」という言葉は理想的かつ上品な言い方で

これを本当に実施するなら辛い修行としか捉えることができないだろう。

そんなことはわたしには無理な注文だ。

わたしの実践している「見守る」とは、現実を把握していることを意味している。

ただ今どうなっているかなんとなく把握はしているが深く考えないようにしている。そして介入もしない(どのくらい介入するからは年齢による)。

要するに半分無視!

でも今はこれしか術は残っていない。

 

そしてゆだねている。

子供の問題解決する力を信じて

悲しい親の気持ちを汲んでくれるはずの慈愛の神に泣きつくしかない。

そして手放すしかない。

 

執着

執着は苦しみの原因である。

だから子供をどうにかしようとする執着心は捨てた方がいい。

親は子供を愛するがため

どんなイバラの山(道じゃあなくて、道のない山!)をも登ろうとする。

でも登りきれない時もある。

全て子供次第。

親の能力次第。

そして何よりも遺伝子次第。

 

この子はどんなに間違っていようとも自分なりのやり方に固執するタイプなのだ。

そういう生まれ持った性格なのだ。

と自分自身を納得させる方が賢い。

 

いつかどうにかなるだろう。

誰もが思いもつかない時に思いもつかない方法で

全てがうまくいく日が来る。

そう信じるしかない。

信じることは執着を捨てることでもある。

 

親が入り込むべきではないということを自分に言い聞かせ、

日々をなるべく平穏に過ごす方法を見つけるべきであると思う。

ただその具体的な方法はそれぞれの親が自分で見つけないといけない。

 

子供は借り物

心に留めるべき最も大切なことは、

子供は自分の所有物ではなく

自分の学習課題として自分のところにきてくれた借り物という事実だ。

 

我が子だけど本当は我が子ではない。

自分を通して生まれてきただけで本質的には自分から来たわけではない。

親は子供に愛を与えることはできても考えを強制することはできない。

親と物理的には一緒にいたとしても親に属しているわけではない。

もっと大きな命に属しているのだ。

 

子供は借り物。

だからいつか返さないといけない時がやって来る。

借り物だから傷をつけて返すこともできない。

それならやはりもっと大切に扱わないかもしないといけないかもしれない。

 

頑固な子供への処方箋は

厳しい自然療法しかない。

自然療法は新薬のようにはいかない。

長期戦である。

長い目で見てこの方法しか残っていないのだ。

 

焦らず長い目で我が子の成長を待つには相当な忍耐がいる。

でも子供の人生は子供のもので親のものではない。

頑固な子供を理解し愛するにはこれしか方法がないと感じている。

 

そして創造主にお返しするのである。

この課題をゆだねるのである。

そもそも、親が子供を創ったのではないのだから。

その子を誰よりも理解しておられる創造されたお方にゆだねることが最も得策であるのではないだろうか。

 

ドクダミママ至言

頑固は治らない。

負け戦に“頑固に”固執する意義はなし。

執着を手放し

自分より大きな存在にゆだねることが鍵。

子供の失敗は避けられないので受け入れるしか他に術はない。

そうしなければ、あなたの人生が破壊されてしまうことになりかねない。

それは頑固な子供はあなたの心を完全にむしばむほどの力を持っているから。

 

頑固な子供に手を焼いているお母様とお父様。

あなたは一人ではない。

いつか必ずあなたの子供はわかる時が来るでしょう。

それを気長に待つことをお勧めします。

そして原因と結果の法則に任せるのです。

Let him/ her go.

 

追記:頑固はいつも悪い特質とは限らない。頑固な人は目標を達成する確率も高い。

実際、大成功する人は頑固な人が多い。だから頑固でもそれをプラスに生かすことも十分可能だ。当然親は一緒に暮らしていてしんどい。でも方向性が正しければよい特質として取れるのではないだろうか。

 

 

 

 

さらば息子よ〜妻をめとった息子はほぼ赤の他人

息子が結婚したら母は息子から99%離れないといけない。

精神的および物理的な距離を取らなければいけない。

それもかなり大幅に。

そんな風に感じている。

 

わたしは息子を持つ母として、お嫁さんに息子を盗まれたように感じる。

そして息子が選んだ女性がイマイチ気に入らない、というのもある。

噂には聞いていたけど

本当だった。

 

でも戦って見ても母親には勝ち目はない。

嫌われて縁を切られるのはこちらだ。

だから息子にはこちらからさようならを言わないといけない。

そしてお嫁さんとせいぜい仲良くするように努めるしかない。

 

次男の嫁は

ものすごく頭がよく何でうちの息子のような人間を選んだのか全く理解に苦しむほどだ。マナーもいいしとても可愛らしい。メキシコ人なので文化がちょっと異なるが夫とわたしには特に問題はない。

問題は嫁のアル中。

結婚する前に絶対にアルコールに触らないと約束させたそうだけれど辞められない。ヴォッカとかテキーラをガンガン飲んでもぶっ倒れたりしない豪酒。ストレスがあるたびに飲み、飲んだら最後、暴れまくる。ハッピーな酔っ払いタイプとは異なりとても怖い酒乱なのだ。昼休みに職場の外で飲んでいたのがバレて、一年に2回も仕事をクビになった。でも飲んでいないときは天使のようだ。

それで家族全員および友人全員がこの結婚に反対した。頑固な息子はそれでも自分の意志を押し通した。愛しているからとか。バカ。アル中は治らないと知らないのだろうか。そもそもアル中が嫌いなんでしょ?嫁はそれだけじゃない。不妊症でもある。でもまあこれは仕方がないとしてアル中は困る。それなのに息子は結婚した。嫁の両親は、「娘をもらってくれてありがとう」ととても喜んでいた。問題児を押し付けてきた感じでとても迷惑。

で、夫とわたしは諦めた。何を行っても無駄だから。

とりあえず嫁と私たちの間には何も問題はない。でも息子とはほとんど話をしないしアドバイスなどしようものなら憤慨されるだけなので口を閉じて何も言わないようにしている。

理由は

妻をめとった息子はある意味でもう自分の息子ではないからだ。

一人の大人として彼の決断と生き方を尊重しないといけない。

 

三男の嫁は

義理の両親(私たちのこと)とは一切話をしない。電話を息子にしても絶対に電話に出ることはない。でも彼女に文句を言ったこともないしいらぬお節介を焼いたことも全くない。

嫁はぽっちゃりを通り越した女性で(160センチで80キロ!)、息子も最初はあまり興味がなかった。でも追いかけ回されること6ヶ月、息子は半分嫌がっていた。彼女は結婚願望の塊でその執念では彼女の右に出る人はいない。自分を忘れさせないように他の女性に行かないようにと、ミシガン州まで飛行機で息子に会いに来た(出身はシアトル近郊で、ハワイの大学で知り合った)。その当時は息子は彼女とは共通点も少ないし別れようと思っていたのに。で、結局相手の思う壺で結婚することになってしまった。(去年の七月結婚)婚約時の二人の約束は結婚式までに20キロ痩せること。でも3キロくらいしか痩せられなかった。そして結婚後は結局太りだした。ちなみに息子の体重は嫁よりはるかに軽く、かなりのイケメンと言われている。めでたくイケメンを捕まえた彼女は幸せかもしれないが、気をつけないとよその女性に取られる可能性もある。嫁は苦労を背負い込んだことがわかってないのだ。

女性は好きな男性を捕まえるためならどんな嘘でもつく、と息子に伝えたのにね。息子は「まあ、これでいいや」というすごいいい加減な気持ちで結婚したのだ。呆れてものが言えない。

 

おそらく嫁は気にしている。自分の体重のことを。そして自分が義理の家族からどう思われているかも気にしているに違いない。

わたしも娘も標準体重。わたしはおばさんだから比較の対象にならないけれど、娘は最近ものすごく綺麗になって来た。だから引け目を感じて会いたくないのだろう。息子はわたしが嫁をいじめると思っているらしい。いやいじめるつもりはないけど、やっぱり「何であんなのと?」と言う気持ちは消えない。

さらに嫁は実家(今はユタ州)に入り浸るタイプで一人で帰ればいいのに毎回息子を引き連れていく。連れて帰ったら最後で何ヶ月も(遠い)実家に残りたがり、息子が文句を言えば愚痴を言い挙句の果ては泣いて説得にかかり息子を諦めさせるのだ。去年の夏2ヶ月もそこで仕事も見つからないから何もせずに時を無駄にした。嫁の実家は将来性ゼロの田舎で人種差別もある。でもそこに腰を落ち着ける可能性は高い。仕事など見つからないだろうと思う。

わたしが思うには実家から離れたくない女性は結婚などしない方がいいのだ。いつまでも子供をやっている嫁のおかげで息子は仕事で成功などしない確率が非常に高い。

それはこの母にとって非常にムカつくところである。

そんなことがあっても嫁を受け入れる努力はしたいという気持ちはある。それでも嫁は真っ向から避けてくる。息子との関係がこじれるので、嫁についてのわたしの評価は言わないようにしているけど多分息子は気づいているはずだ。

 

何を思っていても何も言わない。ただ笑顔を作り本音は隠すしかない。

なぜなら妻をめとった息子はある意味でもう自分の息子ではないのだ。

息子ではなく一人の大人の男性。

今は他の女性に属している

だから母親は口を慎み、いらぬことは言わない方がいい。

 

男の子を持つことは悲しい

ラテン系の国を除いてはどこでも「男の子を持つことは悲しい」と言う愚痴を耳にする。

結婚すると家に寄り付かないからだ。

連絡も来ないし。

母親の言うことなどどうでもいいと思っているきらいがある。

なんとなくバカにされているようにも感じる。

「俺は男だ!」みたいな態度がもろに出ていてはっきり言って怖い。

そしてやっぱりひしひしと感じるのだ。

可愛い息子はとっくに卒業して他の女性にあげたのだから

もう自分には属していないのだと。

 

親は当然寂しい。

でも諦めないといけない。

息子というのは結婚して始めて親離れが完成するのだ。

そして親はここで究極的な子離れを強いられる。

つまり、息子の結婚は親が息子を失うことを意味する。

 

わたしは息子たちと自分の間に、世界で一番強力でなおかつ太いマジックマーカーで線を引くことにした。それは決して消すことができないほど強力なマーカーだ。

だから母のことなどさっさと忘れてこの先は

自分の選んだ女性と仲良くやっていってほしいと願っている。

 

さようなら。

息子だったけど、これからは時々連絡を取り合うだけのただの知り合い。

相手から誘われない限りは訪ねて行ったりもするべきではない。

婿養子に出したのと同じなのだ。

それだけの軽い関係で生きた方がお互いに楽。

これでいいのだ。

 

ドクダミママ至言

結婚してしまった息子は知り合いか赤の他人扱いくらいでちょうどいい。

息子家族のことに口を挟まない。

聞かれない限りはアドバイスなどあげない方がいい。

呼ばれもしないのにこちらから図々しく訪ねて行くなんてルール違反。

呼ばれた時だけ顔を出すこと。

息子夫婦と自分との間に一線を引く。

常に丁寧語で話し他人行儀で振舞う(これなら決して境界線を越えることはない)。

お嫁さんに対して嫌なところがあっても我慢して受け入れる。もしできたら友達になるように努力。

 

毒親にならないために何ができるか

 

f:id:MimosaPalette:20200322043418j:plain

あなたは毒親ですか?(出典:https://www.kinbox.com/are-you-a-toxic-parent/

毒親といっても様々なタイプが存在する。

その中でも過干渉タイプの毒親がいる。

親が子供を構いすぎて子供が親をうとましく思うケースだ。

子供には自分の意見を持つことが許されず、

その結果自分で決定することができなくなり自信のない大人になったりする。

いつもビクビク怯えたりもある。

そしてこのような親のほとんどが母親だ。

それも外に仕事に行かない主婦が大多数を占める。

 

なぜ毒親になるのか

それは母親が自分を捨てて子供のために頑張りすぎるからである。

要するにそんな女性の人生には子供のことしか頭にないからである。

だから愛しているからという理由でやりすぎてしまうのだ。

全てを子供のために捨てることが美徳と思っている。

でも現実は怖い。

捨てると期待も大きくなり結局子供を潰してしまうのだ。

 

毒親にならないために

では、こんな風にならないためにはどうしたらいいのか。

それは母親が母親以外の自分のアイデンティティを持つことに他ならない。

自分がない女性が自分のない人間を育て上げてしまうからだ。

まさに負のサイクル。

これに終止符を打たなければ永遠に繰り返されることになる。

 

もし毒親になりたくなければ

毒親パンデミックを避けたければ

母親以外の顔を持たないといけない。

つまり自分の人生を生きるということ。

自分の成長を一番に心がけること。

子供を通して生きてはいけない。

どんなに愛していてもやりすぎてはいけない。

子供には子供の人生を生きさせないといけない。

子供が自分でできることに手を貸してはいけない。

たとえどんなに危なっかしくてもだ。

 

何もしてあげないことはチャイルドネグレクトだから

それもまずい。

どこからが干渉なのか見極めることが難しい。

それはきっと子供によって異なるのだろう。

入ってはいけない領域に足を踏み入れずに影から見守る。

それは難しいけれど

母親が自分の世界を持っていれば可能だ。

 

わたしの母

わたしは生みの母について何も知らない。

4歳になったばかりの時に亡くなってしまったからだ。

でも育ててくれた母が二人いる。

そのうちの最後の母は毒親からはかけ離れていた。

 

子供にあまり干渉しないタイプだった。

仕事で忙しすぎて子供に過干渉する時間がなかったのだ。

 

なんでもできる女性だった。

茶道、華道、洋裁、編み物、着付け、料理など、

女性のたしなみと言われていることも人並み以上にできた。

洋裁と編み物に関してはプロレベルだった。

加えて女社長だった。

経済的に自立していて、自信に満ちていて

いつも綺麗にしていて魅力的だった。

だからとても尊敬していた。

 

こんな才色兼備の母のようになりたいと思ったものだ。

でも自分が母親になってみると反対の母になってしまった。

で、子育てに失敗した。

母の模範は本当に正しかったと思う。

 

ドクダミママ至言

いつも子供のことを考えていてはダメ。

子供を通して自分の人生を生きてはダメ。

子供中心もだめ。

興味のあることを追求して。

自分を発見して。

自分を磨く。

それが鍵。

子供を怨み嫌いになることもある

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(出典:https://www.quotemaster.org/No+Hate#&gid=1&pid=3

(訳)

愛しても嫌っても

両方とも私の味方。

私を愛するなら

私はずっとあなたの心の中に住む。

私を憎むなら

私はずっとあなたの思考の中に住む。

 

怨憎会苦

怨憎会苦(おんぞうえく)とは苦諦(くたい)の「四苦八苦」の一つだ。

つまり人が人生で通る八つの苦しみの一つ。

この言葉は字面を見ても「怨む、憎む、会う、苦しみ」なので、

「嫌いなものと会わねばならぬ苦しみ」を意味する。

 

これがどのように親業と子育てに関係があるのか。

いやいや大いに関係があるのだ。

 

あなたは自分の子供を嫌ったことがあるだろうか?

怨んだことがあるだろうか。

ない?

それは素晴らしい。

あなたはきっと聖母マリアのごとき女性なのだろう。

もしくはもう既に悟りを開いた人か

凡人のレベルをはるかに通り越した人なのだろう。

 

でもほとんどの人は、我が子をいとましく思ったり、つまり嫌いになったことがあるはずだ。一瞬もないなんて人は稀に決まっている。

人間なんだから当然だ。

でもそんな風に思った時どんな気持ちがしただろうか。

後ろめたい気持ちになっただろうか。

そのことによって苦しい気持ちになったりはしなかっただろうか。

 

恐ろしいことに、

その恨みや憎みは母親の子供を愛する気持ちと同時に存在しているのだ。

なぜ?

 

それは子供は奪っていく存在だから。

母親の体力を。

エネルギーを。

才能を。

時間を。

母のアイデンテを。

そして命を。

全て奪うのが子供なのだ。

 

それでもほとんどの母親は子供のために全てを捧げる覚悟がある。

奪われていいほど、つまり全てを捨ててもいいほど我が子を愛する。

 

ただある時ふと、母親は自分のしてきたことが報われないと思うことがある。

だから奪っていった我が子を怨み、憎む。

深層心理の中の現象だ。

 

その怨み憎む理由はなぜか。

それは奪っていかれるばかりで見返りがないと感じるから。

 

母は子供のために骨身を削るこのを厭わないところまで犠牲を払っても肝心の子供はそんな母の努力はなんとも思っていないことが多い。

母親が自分でやりたいからやっていると子供は思っているのだ。

だから子供に感謝を要求するのはお門違いなのだ。

それでも時々はこの努力を認めて欲しい、と思うのは間違っているのだろうか。

結果が見たいと思うことや見返りを求めることは邪道なのだろうか?

 

認めてくれなくてもいい。

ただもうちょっと素直になって欲しいと思うのは望みすぎなのだろうか?

母親の言うことを聞いて欲しいという願いは小言にしか聞こえないのだろうか?

 

母鶴

わたしも我が子を怨み嫌いになったことがある。

わたしは「鶴の恩返し」の鶴で、我が子の名前の美しく立派な織物を完成させるために日々自分の羽を抜いてきた。そのため今は羽が全部抜けてしまった。でも織物は特に立派にもならなかったし美しくもならなかった(羽がもともと美しくなかったのと織り方が悪かったから?)。大人になったので皆自分の好きなように生きている。それで本人たちが幸せならいいがそうでもないようだ。

それを目の当たりにすると、なんとも重苦しい気持ちにさせられる。

あれは(子育てとは)一体なんだったのだろうか?

 

健康に気を遣い、栄養価の高い家庭料理で育てたが、家を飛びたした途端ジャンクに走り、今は見れないような体型の息子たち。そして極めて不健康。真っ白だった綺麗な歯も今はコーヒー色に染まっていて強力な研磨器で削らなければ元に戻らないだろう。歯医者に最後に行ったのはいつだろうか。歯並びを整えるために矯正もした。でも今は矯正をしたことがあるなんて信じられないくらいのひどい歯並びだ。才能を伸ばすように音楽の好きだった子供たちに楽器の習い事をさせて毎回レッスンに連れていったのもわたし、アドバイスをあげたのもわたし。全教科の家庭教師を務めたのもわたし。夜泣きに付き合い、医者通いに付き合い、病気の子供たちの健康改善のために代替医療の研究をしたり、ありとあらゆるサポートをあげた。4人分の大学の学費を払ったのも当然わたし。でも娘以外は全員、親の教えてきたことなんて全て捨てたようだ。だから社会的にも成功していない。犠牲?そんなものは当然だと言わんばかりの横柄な態度だ。

あの時、何も収穫がないなんて夢にも思わなかった。

ただひたすら子供たちのために走り続けた。

 

でも、今は

「うるさい」と言われ邪険に扱われる始末。

だから何も言わずに黙っているしかない。

娘だけがわたしを労ってくれている。

でも手がかかったのは息子たち。

 

いたたまれない気持ちだ。

でもやっぱり実感している。

人をいとましく思ったり嫌ったりすると苦しみが増えると。

これ以上苦しみたくないので

許してあげるしかない。

そしてこんなに犠牲を払った自分が馬鹿だった、と素直に認めるしかない。

母親というものは随分後になるまで心からの感謝や理解をしてもらう日は来ないものだ。そう覚悟したほうがいい。でも来ればいいが来ないことも十分考えられる。

でもそれはそれで仕方がない。

 

親の悲しみ

流行りの引き寄せの法則は自分自身には適用できるが、自分以外の人には本人の自由意志があるから適用できない。どんなに母が願っても本人の願いが他のところにあるなら母の願いは届かない。

たった一つのできることは、子供が自分の人生を自分で選びそれを母から見て残念に感じることでも受け入れてあげることだ。

それが親の悲しみであると感じている。

 

子育てなんてこんなもんだ、と開き直るしかない。

見返りがなくて当然なのだ。

見返りや結果を望むなんて本末転倒にしかり。

子育ては思い通りにならない。

それが普通。

それを受け入れることが悟りへの道なのだ。

そして母の人生を奪っていった子供たちを赦すこと。

これしかない。

 

膨れあがる悲しみでいっぱいになったわが心。

涙が乾くのを待つしかない。

 

ドクダミママ至言

怨憎会苦とは「嫌いなものと会わねばならぬ苦しみ」を意味する。

人生には嫌いなものや、経験や、人に出会うようにできているもの。

子供は母の人生を豊かにすることもあるが基本的に奪うもの。

奪って行った子供を赦すことが幸福への道。

子供に期待しないで結果をそのまま受け入れる。

子育てなんてそんなもの。思い通りにはいかないと認める。

子育ては結果よりプロセスが大切。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心に寄り添う

 

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(出典:https://anchorofpromise.com/2014/07/13/help-my-son-is-out-of-control/

親が失敗しやすいところに子供の態度だけを見て対応するという点がある。

これだと子供にはとてもアンフェアだ。

なぜなら子供は発達途上中の人間だからほとんどの子供はほとんどのことを立派に成し遂げることができなくて当たり前なのだ。

でも親はそのことでついついガミガミと説教をしたり大声をあげたりする。

本当は子供は子供なりに努力をしていないわけではないのだ。

でも結果として親の期待を外れたことをしてしまう。

故意があってのことではないのだ。

それを親はついつい忘れてしまう。

 

子供が宿題をやりたくない時、

あなたは子供になんと言うだろうか?

「さっさとやりなさい!」と叱るだろうか。

 

 

子供があなたに反抗的な態度を取ったらなんと言うだろうか?

どんな反応をするだろうか?

 

ほとんどの親は

こんな反応ではないだろうか。

「カチ〜ン!」

「むかつく!」

「親に向かって何それ?」

「いい加減にせんかい!」

 

自分の失敗から思うことがある。

子供がふてくされていたり協力的でなかったりする時というのは

一般的に理由があるように思う。

それは大人にとってはくだらない理由かもしれない。

理由とは呼べないような理由かもしれない。

でも子供にとっては正当な理由なのだ。

 

子供が嘘をついたらどうすだろうか?

逆上するだろうか?

でも子供は嘘をつかないといけないような状況にやむなく追いやられている可能性が高い。嘘をついたことは正当ではないが、嘘をついた理由は正当なのだ。その嘘をつかなければいけないような状態まで追い込まれてしまったその心を読み取ることができないだろうか。

友達に危害を加える子供はどうだろうか?

実は人に危害を加えるような人になってしまったということは、そこに行き着くまでの道のりがあり、屈折した心が存在するからだ。

 

そこのところを考慮してあげれるのが本当の親(大人)の姿かもしれない。

これを「子供の心に寄り添う」と呼ぶ。

つまり、子供の言葉や態度の影に潜んでいる心の深いところを見てあげることを指す。

 

頭なんかよくなくてもいい。

大学教育もいらない。

かっこよくなくてもいい。

なんの特殊な才能も必要ない。

ただ必要なのは我が子の心を読み取り汲んであげれる広い心のみ。

 

最初にすることは子供の気持ちや意見をそのまま受け入れてあげること。

たとえ子供の態度を無理やり変えることができても、その子の感じ方を変えることはできない。そういう権利もない。たとえ親であったとしても。

物事の感じ方まで強制することは絶対に不可能だ。それはどの人にも平等に与えられた権利であると思う。

嫌なものは嫌なのだ。

嫌というその言葉の裏には子供の深層心理が隠されている。それが態度の悪さや反抗などとなって現れてしまうこともあるが、それはあくまでも外側のことで中身は違うことが多い。

 

我が子がどんなにやんちゃで問題があっても、本当は清らかな心の持ち主であり、心の底では親が誇りに思ってくれるような立派な人になりたいと思っているのが子供というものだ。それを信じて心の目で見てあげることが大切。

つまり、

我が子の隠れた心を心の目で見てあげること、これが鍵。

 

 

親が怒れば親は子供の敵となってしまう。味方であるということを示したかったらまずは本人なりの「正当な理由」を認めることから始めるのはどうだろうか。

すると子供は親に心を開いてくれるに違いない。

そこから全ては始まるように感じている。

 

親は我が子のことになるととかく真剣になりやすい。

これがよくない。

真剣にならなくてもいい。

子供を直そうと思わなくていい。

ただ子供の心に寄り添うこと。

これだけでいい。

他に何もしなくてもいい。

 

愛するということはこういうことを指すのではないだろうか。

 

ドクダミママ至言

子供のわがまま、反抗などをまともに取らない。

心の目で見てあげて子供の感じているその気持ちをそのまま認めてあげること。

それが子供の心に寄り添うことを意味し、それだけすればいい。

心に寄り添うことは愛すること。

 

 

 

親のこころ大学も知らず〜卒業式キャンセル

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2010年のミシガン大学卒業式でオバマ元大統領がスピーチ。このスタジアムを囲んでいる観客席に親が座り教授陣と卒業生は舞台の下にいる。(全員は見えない)

(出典:https://obamawhitehouse.archives.gov/blog/2010/05/03/because-i-believe-you

卒業式キャンセル

コロナウィルスがパンデミックと発表されるとほぼ同時に、ミシガン州の知事が「非常事態」を発表した。そのため住民がパニックに陥ることになった。

 

そして今日、娘の大学の卒業式がキャンセルされた。

今日は3月13日、卒業式は5月2日。

まだ随分先のことなのに。

卒業式がキャンセルなら卒業費や卒業ガウンや帽子の代金も返金されるのだろうか。

I'm so sad! I'm so mad!

娘はショックを隠せなかった。

でも娘よりもっと悲しいのは親だ。

 

卒業式は大切

卒業式は人生の節目の一つであると思う。

そして卒業式の必需性は本当は卒業する本人ではなくて

ここまで育て上げて高い学費を出した親の心をねぎらうためにあると思う。

だから大切なのだ。

5月にできなかったら6月でいいからしてほしいものだ。

 

娘の大学は全米の州立大学の中で最も学費が高い。

その学費を出したのは他でもない母親であるわたし。

このパブリックアイビーリーグ大学に入れるように限りない援助をあげたのもわたし。

入学後も様々なアドバイスをあげたのもわたし。

だから当然、親の労力に対して公式に感謝をしてくれもいいでしょう?

 

卒業式は、広いスタジアムで感無量の他の何百万という親御さんたち(と家族と友人)と同じ気持ちを共有する時なのだ。スタジアムのベンチから若い卒業生が入ってくるときの迫力と歓声とそこからもたらされる圧倒されるようなエネルギー。それを経験したいのだ。親はそれを目の当たりにすることにより。これからの我が子の人生が希望に満ち溢れたものになると確信を抱けるのだ。

わたしはそこで、頑張った卒業生たちと彼らを支えてきた親全員に拍手を送りたい。

卒業生の満面の笑みを見て感動を共にしたい。

でもそれがなくなる。

非常に悲しい。

 

節目

こんな風に人生には節目があり、子供の人生には節目が多い。

その節目節目で親は感無量になる。

なぜなら・・・

親業は非常に大変だからである。

その節目で今までがどんなに大変でもこの瞬間を見ることによって親は過去の苦労と涙に意味を見いだすことができるのだ。全ての苦労が苦労でなく見えてくる。涙と共に苦労が溶けていくのだ。

我が子の多くの節目が脳裏をかすめ、今こんなに立派になった姿を目のあたりにし、心からの幸せを感じるのだ。

It was worth it.

子育ては価値あることだった。

と思えるのだ。

 

だから節目は大切であると思う。

 

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最優等生のグループ(娘も卒業式に最優等生として名前を呼ばれるはずだった)(出典:https://www.detroitnews.com/picture-gallery/news/2019/05/04/um-honors-class-2019/1103408001/

 注:最優等生は首から金(黄色)のタッセル(ひも)を下げていて、優等生は銀のタッセルを下げている。他種のタッセルはオーナーソサエテイのメンバーシップを示すもの。

ちなみに女子学生の方が成績がいい。汗。

でも卒業後は男子学生の方が社会での成功を収めている。

この現実は何を物語っているのだろうか?

 

 

 

 

四苦八苦の子育て〜別れは必ずやって来る

 

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(出典:https://www.theguardian.com/education/2013/sep/18/parents-coping-when-children-leave-home

苦諦

仏教用語に「苦諦(くたい)」というのがある。

その意味はこうである。

生きることは思い通りにならない。だからそれを理解し、苦しみと向き合うこと。

 

この「生きること」を「子育て」に置き換えてみたい。

そうするとこのようになる。

子育ては思い通りにならない。だからそれを理解し、自分の中の悩みと向きあうこと。

 

そう

子育ては思い通りにはならない。

最初からそういうふうにできているのだ。

そして子育ての先人はほぼ100%そういう結論を出している。

それなのに現役の親はどうにかしようと必死になる。

どうにかできないことを認めようとしない。

親というのは相当頑固な生き物だ。

 

四苦八苦

そのため

子育てで「四苦八苦」する羽目になる。

実はこの「四苦八苦」というのは苦諦を分類した概念で、

生きていると必ずつきまとう苦しみの数を意味する。

 

その四苦八苦とはすなわち

1。出生

2。老

3。病

4。死

5。愛別離苦(あいべつりく)

6。怨憎会苦(おんぞうえく)

7。求不得苦(ぐふとっく)

8。五蘊盛苦(ごうんじょうく)

 

最初の4つが基本的な四苦で残りの四苦を足して全部で8つの苦しみとなる。

最初の四苦は誰もが避けることのできない肉体的な苦しみだが、残りの四苦は主に精神的な苦しみを指す。

 

愛別離苦

今回は5番目の愛別離苦についてカバーしたい。

愛別離苦とは愛する対象と別れる苦しみを意味する。

それば物理的な別れだけでなく精神的な別れをも指す。

 

愛する対象とは物質であることもあるし人間であることも考えられる。

その中で最も辛い別れは家族との別れで、その中でもさらに辛い別れは子供との別れかもしれない。そして最も残酷な別れとは言うまでもなく、子供を亡くしてしまうことだ。それは計り知れない苦しみにちがいない。

 

しかしそんな最悪の別れでなくとも子供との別れはたくさんあるものだ。

子供が成長するに従って親は少しずつ子供から離れていかないといけない。

でもそれはなかなか難しいことなのだ。

子供を見ていて、とても自分だけでやっていけそうもないと思えるからだ。

だから自立しようとする子供にちょっかいを出したくなる。

でもそれが自立をさえぎることに繋がらせる。

本当は失敗をしても目を瞑って子供から離れないといけない。

それが苦しいのだ。

子供の失敗や苦しみを黙って手を出さないで見守ることが苦しいのだ。

けれどもこれは誰もが通らないといけない道なのだ。

全ての物にそして人に、どんなに愛着があっても別れを告げないといけない時は必ずやって来るからだ。

 

だからその真実(誰もが通る道であること)を理解し、自分の心の苦しみと向き合うことが大切であると「苦諦」は教えているのだ。

 

別れがあれば出会いもある。それぞれの成長段階にあって自分なりに人生を切り開いていき自立し立派になった我が子に再会する時が出会いなのだ。その時の喜びのために今の苦しみを受け入れ乗り越えることは親に課せられた宿命かもしれない。

だから別れを受け入れることは人間としての成長につながるのだと思う。生きている限りは苦しみから逃れることは不可能だから、それでいいのだ。

 

我が家の娘

我が家には21歳の病気の娘がいる。よく理由なく呼吸困難になりその度に胸が痛くなるのだ。今も原因を探るために医者通いだ。けれども持病はこれだけではない。心配だから家に置いておきたいのが山々だ。でも、今年中には家を出すことにしている。それは家にいると甘えてしまい自分の人生に責任を持たないから。それから親が心配からついつい口出しをしてしまうから。家にいることにより成長が阻まれていることは明らかだ。

外に出したらやっていけないかもしれない。死んでしまうかもしれない、と心配は尽きない。でもどんな結果が待ち受けているかは誰もわからない。私は運命を受け入れることにしたのだ。それに娘に「健康問題があるからやりたいことを諦めないといけない」的な人生を歩んでは欲しくない。そして自分の健康管理も自分で責任を持ってやってほしいのだ。できなかったら?それはそれで仕方がないと諦めた。

親も本人も心配だ。でもチャレンジしない理由はないと思う。

それに、親は先に逝ってしまうのだ。ずっと面倒を見てあげることなどできないのだ。だから成長のために本人も親も両者が一時的な試練を通り抜けないといけない。

別れは辛い。でも子供を本当に愛しているなら別れないといけない時もある。

親は子供の人生をコントロールできないのだ。

「可愛い子には旅をさせよ」とはまさに本当のことだが、送り出す親にとっては苦しみとなる。それはその先に何が待ち受けているかは予測できないからだ。

ただただ祈るような気持ちで我が子の安全を願うしか親にできることはないのだ。

そんな風に思う。

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ドクダミママ至言

子育ては親の思い通りにはならない。

だから思い通りにしようと必死にならないこと。

苦諦を避けることは不可能だから、受けいることが幸福への道。

別れの後には出会いがあるー成長した我が子との再会。